リバーサイド・キッチン
アイク杣人
リバーサイド・キッチン
「おや?あんなところにキッチンカーなんてあったかなぁ?」
彼は大仰に指を差して抑揚のある口調で私に向かって言った。その不自然なセリフと態度は、私の機嫌を取るためにあえて雰囲気を盛り上げようとしているようで、過去何度もあったことだが、その気の遣い方に若干違和感を覚える。
天気も気温も上々。散歩日和で何の不満もない週末のこと。付き合って2ヵ月の私たちが口数も少なく川沿いを歩いていると、
「
まだジャンクフードかどうかは分からないじゃないの……と言いたいのをグッと我慢する。きっと自分が食べたいんだけどダイレクトに聞いて嫌だと言われるのが怖いので、まず私の態度を伺ってから……という手順だろう。
「暮人が欲しいなら行こうよ」
「……うーん、そっか、やっぱ苦手か。うん、じゃあ、別の所に行こう!」
別に苦手なんて言ってないのに……と、暮人の反論を恐れてダイレクトに言えない私も私だった。
何となしに私はそのキッチンカーの方へ視線を向ける。すると、心なしか店員の女性がこちらを向いて笑っているようにも見えた。
もちろん暮人はそんなことには気づかず、一人で「そうだよな」と頷いてそのキッチンカーからさっさと視線を外し、近所の小さな商店街の方を向いて呟く。
「確か、商店街の『エメンタール』でチーズケーキのフェアをやってたから、美愛はチーズケーキ好きだし行ってみるかい?」
自分が私のために調べた情報ですら、行こうよ!ではなく、私が好きだというワンクッションを入れてくるのだ。
「そうねぇ……暮人もチーズケーキ食べたい?」
そしてまた私も断定的に答えることを恐れ、安易に質問を質問で返してしまって、さらなる自己嫌悪に陥る。結局、私たちは何も買わずに彼の家へ向かうのであった。
そろそろ二桁回数に突入する程度には訪問している彼の部屋。一人暮らし二十代男性の典型的と思われる部屋である。私個人の感覚だが綺麗すぎず汚すぎず、それなりに整ってる部屋だった。
彼とは大学卒業前に友人の紹介で知り合い、たまたま住んでるアパートや就職した会社が近所だったということもあって逢瀬を重ね、いつの間にか付き合うようになっていた。
こんな言い方をしたが、彼のことは本当に好きだし愛してるし、きっと彼も愛してくれてる……と思っている。
「そういえば、この間の映画。録画したって言ってたよね。暮人が見逃した!って悔しがってたヤツ。それを見ない?」
彼の部屋のコタツを挟んで座り、聞いてもいないFMラジオが流れる中、カントリーマアムを齧りながら話す。
「ああ、そうだった!君もみたいでしょ?」
「……暮人が見たいんでしょ?」
「君は見たくないの?」
最近はいつもこんな感じの会話だ。たぶん、お互いがめんどくさいと思ってるし、かと言って直球を投げつけるのは怖いのだ。それでも柔らかくて過ごしやすくて温い環境を望んでしまう。
なんだかんだでその映画は見てしまったのだが、そのやり取りが健全であるかどうかなどは分からない。そんなまったりとした時間を共に過ごし、夜が更けると私は近くの自分の部屋へ帰る。
ひょっとしたら、こんな時間を何度も繰り返してるにもかかわらず、一度も身体を重ねていないという事実が、歪である要因の一つなのかも知れない。
数日後、会社では夕方にもなるといつものように叱咤と謝罪の声が飛び交っていた。明るいうちには帰りたいなという希望を持ちながら、窓のを外を見るとすでに夜景だった頃、私は聞いたこともない案件で課長にしこたま絞られ、呪詛の言葉を吐きつつなんとか仕事を終えていた。
ため息を3回ほど付いてスマホを覗くと、昔からの友人である
……と、珍しい出来事のように言ってみたが、彼女からはだいたい週一で飲みに行こうとか買い物に行こうなどの連絡が来る。
それが私に気を遣ってなのか自分が行きたいだけなのかは永遠に分からないだろうけど、私も楽しんでるのであまり気にせず付き合いたい。
"美愛!ご飯食べに行くよ!彼氏さんに言っといて!"
"今日も仕事で遅くなるって言ってたから大丈夫よ。それより、靖子の旦那さんは大丈夫なの?"
"今日から九州出張ぉぉぉ!"
"りょ!待ち合わせは駅前のスタバでいいかしら?"
"いいけど、スタバ行くなら私も飲みたいから飲まずに待っててよ"
また無茶なことを言う。注文もせずにスタバに入って待つわけにもいかないでしょ。結局、近くの本屋で立ち読みをしつつ彼女を待つことにした。
「お疲れー!美愛、またやつれたんじゃない?」
「ちょっと、それ何の嫌がらせ?そんなことないわよ。それより靖子の方こそちょっと太ったんじゃない?」
「おいおい!その単語はタブーだろ!」
私たちはスタバで最新のフラペチーノを飲み、自分たちのご機嫌を整えてから行きつけの焼き鳥屋へ向かった。
当然の如く飲み放題にして、焼き鳥を数本ずつ頼みながらお互い仕事の愚痴をぶつけ合っていると、ビールとハイボールの空グラスが目の前を数えきれないほど行き交っていた。暮人の前ではさすがにここまで飲むことはない。
「なんなの、美愛ちゃん、また課長に可愛がられてたの?」
「そうそう!あのオバサン、前世で相当悪いことしてるはずよ。じゃないと、あそこまで性格が悪くなるはずないもん」
「うわー、そこまで言うか。ウチは同じ部署のオッサン係長だな。なんか女性を見る目が、知性を持った生き物の目じゃないもん」
いやいや、そっちの方が相当な事を言ってるでしょ。そういえば、暮人の前で誰かの悪口を言ったことなんてあったかな。私はハイボールの氷をグラスの中で回しながら考える。
「……どうしたの。暮人くんと何かあったの?」
さすが高校時代からの旧知の仲、鋭い考察だ。
「いや、ぜーんぜん!何もないよ。っつか、何もないよ」
言った後に気づいたが、こういうことを言うと彼女はすぐに気を遣うのだ。
「ふーん……ならいいけど。さて、結構飲んだし今日はこれくらいにしようか」
「えっ、もういいの?靖子、いつもの十分の一くらいじゃない?」
「いや、普段どれだけ飲んでるのよ!私は!」
そう言いつつお会計をしてもらうと、それなりに結構な金額だった。なんだかんだで二人ともストレスが溜まっていたのだろう……と言うことにする。
「それじゃあ、美愛、またね……あっ、そうそう。ちゃんと言うのよ」
「えっ、どういうこと?」
「ううん、そのままの意味。気を付けて帰るんだよーー!」
マリアナ海溝のように深いのか近所の水たまりのように浅いのかよく分からないことを告げて、彼女はちょっとふらつきながら自宅へ戻って行った。まあ、この程度の酩酊はいつものことだから大丈夫だろう。
靖子と別れた後、私の方はふんわりとほろ酔い気分で一人で歩いて帰りつつ、暮人とのことを考える。確かに、ここ最近はお互いのやり取りがしっくりこないだけで、嫌いではないのだ。
……ん?嫌いではない?好きじゃなくて?
頭をブンブンと振って徐々に酔いが冷める感覚を味わいながら、私は最近の二人の会話を思い出す。スムーズではないが決して仲が悪いと言うことでもない……よね。
嫌われたくないのか嫌いたくないのか……そう言った気持ちは、自分の想いを相手にぶつけたら確信できるのか……
あー、もう!とりあえず帰ろう。そしてシャワーを浴びて寝よう。そうだ!家にあるとっておきのクッキーを食べてやろう!
それから1週間。お互いの仕事が忙しいということもあったが、暮人と会って話す機会が作れなかった。それでも毎日LINEでやり取りはしていたので、別にケンカしているのではない。
"仕事は順調ですか?課長にはいじめられてませんか?"
"そちらこそ最近は営業の外回りが大変そうで、疲れてなどないですか?"
敬語のLINEは部屋の気温をちょっと下げる効果があるみたいね、なんて思いながらスマホの画面を見つめている。
スマートスピーカーからはお父さんからもらったCDが流れていて、今日の天気にピッタリとハマっていた。"Soft Rains of April"って曲で、もう35年くらい前の曲らしい。今は4月でちょうど雨が降っている。そっか、部屋の気温が低いのは雨が降ってるからだ。
その週末のこと、先日までの4月の雨は止んで、今の季節らしい小春日和が戻ってきた。暮人は会社の人たちとゴルフに行っているらしく、今回は週末まで雨が続いて欲しいと願っていたそうだ。令和の世の中でも接待ゴルフなんてものがあるんだね。
そんなことを考えながらいつもの散歩道。リバーサイド。もう桜は散ってしまい、初夏に近づいている色と、春を忘れられない匂いが混在するリバーサイドの散歩道を1人で歩いていた。
ふと、いつか見たキッチンカーが止まっているのに気づく。
車がギリギリすれ違えるその川沿いの道の途中には、20台程度の車が停められる公営の駐車場があり、そこでひっそりと営業しているようだった。だけど、こんなところで儲けが出るのかな。
ゆっくりと歩いて近づくとキッチンカーからコンプレッサの音が聞こえてくる。水色と白がベースのウォークスルーバンの横には、BBQで使うような簡易テーブルと椅子、そしてお洒落な看板が横のイーゼルに乗っかっていた。
"リバーサイド・キッチン"
うん、そのままだな。しかも何系を作ってるのか全く分からないとこが逆に素晴らしいと思う。その車の外観だけを見ると、インスタなどに#secretbaseなんていうハッシュタグと一緒に投稿されてそうだ。そして店内?車内?では、先日見た女性が何かを調理している。
「あら!いらっしゃい。……ああ、先日、彼氏さんと散歩されてた方じゃない?」
彼女は綺麗に食パンの耳を切った後、視線を上げてそう言った。あんな一瞬だったのに良く覚えているものだ。
「えっ?あ、ええ……よく覚えてますね」
「うん、なんか二人の雰囲気がね、ちょっと特殊に見えたから」
少し天然系の人かな。年齢はたぶん30歳前後。とは言え、ハーフのような派手な顔立ちではないが、整った美人というか……言うなればまさに日本美人だ。髪の毛はツヤのある黒髪のボブで、肌の色は食パンと同じくらい白く、私なんかよりも断然滑らかに見える。
「もうここでは長いんですか」
「いえ、つい最近ここに来たのよ。なかなか良い川沿いがなくてね。ここはさほど人通りも多くなくていい感じだわ」
普通、人通りが多いところに行くでしょ!というツッコミが湧きあがったが、いつもと同じようにグッと堪えた。
その間も彼女はゆったりとした仕草で料理を続けていた。周りにお客さんは一人もいないように見えるけど、電話注文とか受けているのかな……と思った時、私のお腹から小気味の良い音が響く。
「……」
「あら、素敵なサウンドじゃない。ちょうど良かったわ。私、今自分の
「えっ!?でも……」
「お昼を自分で作ったら半分は余るのよ。いつもはそれを晩御飯として食べるんだけど、やっぱり昼夜一緒の料理ってなんかイヤじゃない?あなたがこれを食べてくれたら、私の晩御飯はまた別のモノを食べられるのよ。分かった?」
なんだか良く分からない理論で納得させられたが、先程の音を聞くまでもなく、私は朝から何も食べていなかった。別にダイエットをしているワケではなく、なんとなく食べていなかっただけだ。なんとなく。
「そ、それじゃいただきます。すいません、急に来てしかもタダでいただくなんて」
「だから、いいのよ。私が作って食べさせたいだけなんだから」
さっきと理論が違う気がするがまあいいだろう。
「それで、何を作ってるんですか?」
「ホットサンド!……にしようかと思ってる。自分で食べるから、そりゃもうテキトーなの。えーっと、あなた……」
「あ、美愛です。
「じゃあ、美愛ちゃん、嫌いなものはない?」
「はい、全くありません」
「まあ、なんて素敵な答え。素晴らしいわ。それだけで人生半分勝ち組よ」
割と楽勝な人生だな。聞いていて顔がほころんだ。
その後、彼女は一瞬迷ったような顔をしたが、おもむろに手を叩いて話し始める。
「……よし、決まったわ。パンの上にケチャップ!そしてチーズ!うーん、チェダーチーズのとろけるヤツよ!そしてほうれん草をパラパラ。これも冷凍品!そして普段はサイドメニューとして使ってるこのチキンナゲットを挟んじゃおうか。もちろんこれも冷凍品。レンチンしてから挟むの。ほぼ業務スーパー!」
私はその「ほぼ業務スーパー!」と言った時の勢いと、両手を広げ天を仰ぐジェスチャに思わず笑ってしまった。そして少々失礼だったかなと口を押えて彼女を見ると
「笑顔、素敵じゃない。やっぱり女は愛嬌よ!」と言って棚からブラックペッパーを取り出した。
「これをチキンナゲットにかける。あっ、ガーリック入れたいなぁ、でもさすがにちょっとまだ営業があるしなぁ……美愛ちゃん、椅子に座って待ってて!」
もうすっかり彼女の独壇場である。私は言われたまま待つしかなかったので、その間はキッチンカーを観察してみることにした。
とにかく不思議なのはメニューらしきものを全く貼っていないことだった。普通なら写真などをキャッチーなコピーと一緒に貼りだしているものだが、そういったものは全く見えず、キッチンカーの側面にはドライフラワーや可愛い小人の置物などが置かれていた。きっと本型やチラシ型のメニューを渡すタイプのお店なのだろう。
「はい!美愛ちゃん!出来たわよ!さあ、さあ、どうぞどうぞ!」
もう完全に親戚の叔母さんのようである。彼女はホットサンドとパン切り包丁を一緒に持ってきて目の前で切り始める。とろけるチーズとチキンナゲットの肉汁が非常に魅力的に見えた。
「チキンナゲットはね、ウスターソースをかけてチンするの。ちょっと染み込んで良い感じでしょ」
こんなジャンクな作り方をしてるが、お腹が減っているということもあって、私には人生ベスト10に入りそうなレベルで美味しそうに見えた。
「こんなね、お互いが激しく味の主張しているような食材を、とにかくぶっこんで食べてみるのも料理人の醍醐味だったりするのよ。美味しくなかったらその時の話。味と味のぶつかり合いを楽しめたら一人前ね。人間関係も一緒よ。誰しもお互いの味ってのを持ってるんだから、とりあえずぶつけてみないともったいないわよ」
美味しい。話を聞きながら一口食べてみたが、予想通り……いや、予想以上に美味しかった。ケチャップとチーズが合うのは当たり前だが、そこでチキンナゲットが「俺が!」と言いそうなところを、ほうれん草が「まあまあ、とりあえず僕が」とスマートに出て来る。味は濃い目だが空腹にはちょうど良かった。
暮人の顔が浮かんでくる。これ、食べさせてあげたいな。
ぶつかり合いを楽しめたら一人前。ダメだったらダメだった時の話……暮人と話している時はそんなこと考えたことなかった。とにかく痛みの少ないソフトランディングを目指していたのだ。
私の味ってどんな味だろ。
「あ、ちょっとごめんなさい。電話をかけてもいいですか?」
「もちろん!彼氏さんかなぁ?」
彼女はそう言って整った顔で無理やり悪い顔をしようとする。それでも十分美人だったけど。
私はスマホを取り出し意を決して電話を掛ける。この時間ならちょうど昼食休憩中だろうし、LINEじゃ私の味が伝わらない気がしたのだ。
5回ほど呼び出し音が鳴って彼が出た。
「み、美愛、どうしたんだ。今日はゴルフって……」
「暮人!こないだ川沿いでキッチンカーを見たじゃない。あそこ、めっちゃ美味しいわよ!今度、一緒に食べに行きましょ!絶対よ!」
「えっ、あっ、はぁ?な、なんで今それを、いや、だから行かないって言ってるんじゃなくて……」
何かいろいろ言ってたが満足したので電話を切った。靖子と飲みながら話してる時と似ていて全く違う気持ちよさがあった。念のため暮人に"折り返しはいらないわよ。愛してる!"とLINEを送っておく。
安堵のため息をついてふと前を見ると、彼女は女性の私でも吸い込まれそうな素敵な笑顔で「ふふふ、お腹も心も一杯になったようね。ホント、ここに来て良かったわ」と口の横にケチャップがついたまま言った。
ホントに不思議な人だ。そしてホントに不思議なキッチンカーだ。次は絶対に暮人と一緒に来よう。
しかし、それからそのキッチンカーを見ることは一度もなかった。まるで、初夏の訪れと一緒に消えてしまった春の匂いのように。
(完)
リバーサイド・キッチン アイク杣人 @ikesomahito
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます