第3話 わたしと紫織ちゃん

 わたしは、いつだって紫織ちゃんと一緒だった。


 初めて会ったのは、中学生のとき。転校してきて同じクラスになった紫織ちゃんに話しかけたのが、初めての会話だった。


「わたし、林原加奈。席も近いし、仲良くしようよ」


 なんの突拍子もない会話に驚いたのか、彼女はきょとんとしていた。


「……うん。あたしでいいなら」


 それからしばらくのあいだは、あまりかかわることはなかった。わたし自身がそもそも人付き合いが苦手だけれど、紫織ちゃんから話しかけてくることがなかったことも、大きな理由の一つだと思う。

 どちらかといえば、彼女はきっと他人に興味がない。一人でなんでもしようとするタイプで、勉強もできる子だった。だから、授業中にずっと寝ていても注意されるのは初めのうちだけで、だんだんと黙認されるようになってしまった。

 対してわたしは、成績は中の下くらい。とあるグループで一緒にいることが多く、今思うと紫織ちゃんからは話しかけづらかったんじゃないかな。複数の人と話している彼女の姿を想像するのは、かなり難しかった。


 状況が変わったのは、三年生になったときだった。

 それまではずっと同じクラスにいたわたしたちは、きっと三年生になっても同じなのだろうと思い込んでいた。しかし、クラス発表で同じクラスの中に紫織ちゃんはいなかった。


「クラス、別々になっちゃうね」


 放課後、二人だけの教室。ここで帰るまでダラダラとして過ごすのが、日課になりつつあった。特に理由もなく、誰にも縛られない時間。永遠のようにも思えるこの時間だって、いつまで続けられるかは分からない。

 来年には、高校生になるのだから。


「……そうだね」

「別々になっても、放課後は一緒にいれるよ」


 あまりに寂しそうだった紫織ちゃん。わたしはそれを見ていて、とても苦しくなってしまった。

 なんだか、どうしようもない感情に襲われたわたしは、気がつくと紫織ちゃんのことを抱きしめていた。理由なんてない。寂しそうにしている彼女のことを、放っておくことはできない。


「え、あの。加奈…?」


 動揺するのは無理ないよ。だって、わたしは一方的に抱きついたんだから。

 初めて……だった。誰かに求められる以外で、誰かに抱きつくなんて。そんなことをする相手が、紫織ちゃんだということも。考えてばかりいると、なんだか息がいつもよりもしづらいような気がしてきた。


「大丈夫だからね」


 紫織ちゃんに向けて言ったその言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだった。普段は自分からあまり話しかけにいかないくせに、こういうときだけわたしは離れたくないと思ってしまう。自分勝手だなあ。

 自分の胸元に紫織ちゃんの顔を当てながら、わたしは彼女の頭を撫でた。ちからを極力いれないように、まるでたんぽぽに手を当てるように。


「…急にどうしたの?」

「ん?」

「普段、こんなことしないじゃん」

「気まぐれ?」


 そう返すと、紫織ちゃんは笑い始めた。それに合わせるように、わたしは乾いた笑いを出してみせた。


「気まぐれでこんなことする?」

「するよ」


 寂しそうにしていた彼女は、どこへ消えていったのか。わたしは、背中のほうに回していた腕を離していた。自分から抱きつくなんてしたことがなかったので、離したあとでなんだか恥ずかしく感じて、顔のあたりが熱くなっていた。


「でも、ありがとね」

「感謝されるようなことは、してないよ。紫織ちゃんが離れていっちゃうのが寂しいと思ったのは、わたしも同じだから」


 わたしだって、寂しいんだよ。それを伝えたかっただけ。でも多分、わたしよりも紫織ちゃんのほうが寂しいと思う。だって、一人になるんだから。いや、わたし以外の友達を作れば解決するんだろうけど、そう簡単にいくのかな。

 これからは、お昼休みも「一緒に食べない?」って誘ったほうがいいのかな。けれど、そうすると今わたしがいるグループの子が嫌がるかもしれない。


 そんなふうに考えているうちに、わたしのもとから紫織ちゃんが離れていった。春になるとともに、クラスが変わり机の位置も変わり、教室の階数も変わり。わたしと紫織ちゃんのあいだの見えない糸も、変わった。

 糸をどれだけ引っ張っても、彼女のところにいける自信がなかった。

 なんでだろう。時間が経つほど、紫織ちゃんが遠く感じた。別のクラスになったとはいっても、隣の教室にいるのに。会おうと思えば、すぐ会える距離にいるのに。

 わたしは、なにをそんなに怖がってるんだろう。



「加奈、最近あの子と会ってないよね」

「え?」

「そうそう。あの、なんてったっけ? ふじ……なんとかさん」

「富士宮さんのこと?」


 桜が散ってから随分と経った日のお昼休み。いつも通りの二人と過ごしていると、思いがけない方向からボールが飛んできた。


「そうそう、富士宮さん。けんかでもしたの?」

「いや、そういうわけじゃないけど」

「なーに? 訳ありな感じ?」

「ううん。ただ…別のクラスになっちゃったからね?」

「青春っすなあ」

「…そういえば、その富士宮さん。彼氏できたらしいね」


 え…? 今なんと言いましたか。


「あれ、もしかして加奈は初耳だった?」

「あ…うん…。そうなんだ」


 わたしが知らないところで、わたしが知らない紫織ちゃんがいる。

 そんな当たり前のことに気づいたのは、友達から聞いた噂話からだった。

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