忍ぶ者あり
シンカー・ワン
修行
基本的に迷宮は富をもたらす。
困難は伴うが、克服すれば数か月は遊んで暮らせるくらいの財を得られる。
故に迷宮の近くには自然と人が集まり、大なり小なり街が出来て繁栄するものだ。
が、何事にも例外はあるもので。迷宮があっても栄えない、そんな街もある。
北の山脈の麓にあるグッドウィンがそうだ。
グッドウィンの迷宮は階層が深く怪物も手強いのが揃っているが、得られる宝物がショボいため一獲千金目的な冒険者には人気が無い。
それでも腕試しや鍛錬目的の変わり者たちが途切れずやって来るので、どうにか街としての体裁は保てていた。
今日もまた、己を鍛えんとする冒険者がグッドウィンの迷宮に下りていく。
迷宮の闇に紛れるように気配を消し、
怪物相手に
影がわずかに動く。数ブロック先からすえた臭いを放ちながらなにかが近づいてくるのを察したのだ。
迷宮構造材が放つ淡い光がやって来たなにかの姿を露わにする。
不気味な緑色をした肌にいくつもの斑点、欠損した部位から腐汁を滴らせながらぎこちなく徘徊していたのは
特殊な細菌の繁殖した亡骸が迷宮に澱む魔の力により仮初めの命を得て甦った、不衛生極まりないバケモノ。
体液は神経毒であり、侵された場合は全身麻痺したのち静かな死を迎えキャリアーのお仲間となる。
飛沫からでも感染するため戦闘の際は距離をとっての攻撃、魔法で焼き払う、あるいは聖職者の祈りで清め土くれに還すのが定石。
だが待ち伏せていた人影は定石に従うつもりはないようだ。
迷宮の闇から飛び出したのは小柄な人族。
暗闇に紛れる柿色をした特徴的な装束、そして見事な隠形の術。間違いない、忍びの者だ。
忍びは飛び出した勢いのまま一気に怪物との距離を詰め、両の手それぞれに握りしめていた短刀らしきものを目にもとまらぬ速さで振るう。
三体いるキャリアー、その先頭の首が左右から交互に連撃を受ける。
ほとんど同時に繰り出されたように見えた斬撃のあと、わずかな間を置いてキャリアーの首がずれ自重で床に落ちた。
内圧によって切断口から体液が噴き出るよりも早く、忍びはこれまた尋常ではない速度で移動し、二体目のキャリアーに忍び寄り背後の死角から
わずかにタイミングをずらした二刀の斬撃により、矩形に切り取られた延髄から体液が吹き上がる。
己が攻撃の成果を確かめもせず、忍びは即座に移動をし三体目を襲う。
次は自分が狙われると判断したのか? それともただの反射行動か?
屍人の腐り溶けた脳みそがどんな働きをしているのかを知るすべはないが、三体目のキャリアーが襲撃者を迎え撃たんと爛れた腕を振るい、汚染された体液を撒き散らす。
空間に撒かれた幾多の雫は、高速で動く忍びにとって厄介極まりない迎撃網となる。
かわしきれず柿色の装束に汚液が沁みつく。が、迷宮の床に落ちたのは腐汁にまみれた布束のみ。
襲撃者が一瞬で服を脱ぎ捨てたなど、キャリアーに理解できたかどうか。
何もわからないままのキャリアーがわずかに身震いすると、その首が落ちた。
かりそめの命を失い、汚物と化したキャリアーの傍らに立つのは肌も露わな女。
「……不覚」
不機嫌も露わに吐き捨て、腰の後ろのホルダーに両の手の武器を収め、先の一戦を省みる。
たかがキャリアーごときに後れを取り『
秘部を隠す下履きに手甲と脚甲、それから腰帯と括りつけてる二刀用の鞘と小物入れ。なんとも滑稽な自分の姿。
頭巾で顔が隠れている分、傍目からすればおかしな性癖の持ち主にしか見えないだろう――。
恥辱に身が震える。自分の未熟さに腹が立つ。
「――あーっ、もうっ!」
女は叫ぶなり頭巾をはぎ取り、まだ燻ぶっていた装束の燃えかすに叩きこむ。
現れたのはまだ成人して間もないだろう、うら若き少女の
頬を朱に染め、まなじりに涙を浮かべ、うつむいたまま屈辱に耐える。
「次は――もっとうまくやって見せる!」
決意を言葉にし顔を上げ、目尻の涙を手の甲で拭い、迷宮の闇を見据える。
新たな試練に挑む。この姿のまま、誰の目にも触れず、地上の宿まで。
過酷なミッションに少女は不敵な笑みを浮かべる。
「これも、修行」
迷宮の闇に歩を進めながら少女は思った。
今度潜るときは外套を用意しておこう――。
恥じらいを忘れてはいない少女であった。
迷宮よもやま話。
迷宮に挑む女性冒険者の中には、鍛え上げた肉体を誇示するかのように必要最低限の防具しか装備しない蛮族出身者、下着や水着同然の
ゆえに迷宮街で裸同然の格好は特に珍しいものでは無く、気に留める者もほとんどいない。
忍ぶ者あり シンカー・ワン @sinker
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