第十六話 パンを口に放り込む

 その頃エネロの地方騎士の元に行ったオリヴィエは、手に持っているロープの先に繋がれた襲撃者に警戒し、事の顛末を掻い摘んで話した。無論、すみれや自分たちの正体を隠して。


「わかりました。すぐにでも手配しましょう。丁度今夜には一輪の馬車が戻るはずなので明朝には出発できると思います」

「それで結構です」

「その男はこちらで預かりましょう」

「え、それは…」


 地方騎士の申し出は当然だ。護送はオリヴィエたちの仕事ではない。本来の手順なら地方騎士が王都に連絡してから、犯罪の重さで地方騎士、もしくは迎えに来る王都騎士が移送する。聖女の騎士であるオリヴィエたちならその役回りに適しているが、身分を明かせないので、彼から見ると身分不相応の振舞いになってしまうのだ。オリヴィエはひとつ咳をして騎士に小さな声で言った。


「自分はレスター家の息子です。ハロルド・レスターの名代として私に移送させてもらえませんか」

「レスター様!?レスター家のご子息とはつゆ知らず、失礼いたしました」

「いえ、そんなにかしこまらないでください。私もわけあってそのことを隠しておりましたし。出来れば他言しないでくださると幸いです」

「そう望まれるなら勿論です。しかしレスター家の方が何故一聖職者の巡礼の護衛などされているんですか」


 レスター家の人間、つまりは騎士ということは至極当然のことで、常識のひとつと言わんばかりだ。それも王都騎士や聖騎士について当たり前という認識である。その子息が騎士に準ずることなく放浪の旅をしているのは以ての外だ。時には恥ずかしいと思われることもある。だからレスター家の名を汚すことを恐れて出来る限り隠していたかった。勿論国王陛下から賜れた役職は騎士で間違いないので恥ずべきことは何一つない。


「まあ色々ありますよね」


 何も言わないオリヴィエに地方騎士はそれ以上踏み込まなかった。


「この男を一晩見張れる場所を用意してもらえますか?私が責任もって見張ります。出来れば食事の用意もお願いします。簡単に食べられるパンとスープで」


 地方騎士は畏まりましたと恭しく答え、傍で馬の世話をしていた年若い騎士に案内を命じた。命じられた騎士の案内で地下牢に赴く。男の拘束を解くことなくそのまま中に入れた。


「これ解いてくれよ」

「そういうわけにはいかない。王都につくまでこのままだ」


 ウンディーネのかけた拘束を解くわけにはいかない。この男の腕前がどれほどのものか計れない今、大精霊のかけた拘束は簡単に解けないので安心感があった。すぐに運ばれた食事のパンを一口大に千切って男の口へとやる。


「おまえレスター家のガキだったとはな。全然似てないから気付かなかったぜ」

「それがなにか」

「へっ!そう睨むなよ」


 男はにたにたと笑いながらパンを咀嚼する。オリヴィエはパンを千切った手を止めた。


「何故薬草を燃やしたんだ」

「尋問か?」

「そうではない。純粋な疑問だ」


 ふーんと鼻であしらった。男の興味は口にしたパンの味に向けている。普段よりも何倍も時間をかけ咀嚼して飲み込んでから口を開いた。


「別に意味はない。依頼を受けた、それだけだ」

「依頼?」

「依頼主に頼まれたことしか俺はやらない」

「誰からの依頼だ」


 素直に答えるとは思っていたわけではない。駄目元だった。予想通り男は胸を一度だけひくつかせて嘲笑した。


「御者を殺すのも依頼内容のひとつか」

「そうだ。百発百中、良い腕だろう」


 男は悪びれもなくあっさり自白する。それどころか自分の成果を喜ぶように答えた。人を殺すことにも躊躇いのない男にオリヴィエは吐き気を覚える。


「それ程いい腕だと思うなら、何故その場で俺たちを狙わなかった?あの時は見晴らしのいい草原で他に目撃者もいなかった。聖女を神殿で狙うならあの草原で殺した方が、都合が良かったはずだ。それなのに御者だけを狙ったのは何故だ」

「依頼に沿っただけだ」

「なんだと?」

「俺は聖女を殺せと命じられたわけではない。あの時は怖がらせろと言われただけだからな。もしそのまま道を引き返せば俺の依頼はそこで終わっていた。でもおまえらはエネロに向かった。だから次の依頼に向かったんだ」

「ちょっと待て、だったら何故神殿では彼女の命を狙ったんだ?」

「神殿まで行けば殺しても良いと了承を得ている。奴にとって聖女の命など重くはないらしい」

「それはお前にとってもそうなのか」

「はっ!そんなことはどうでもいい。殺せるチャンスがあるならそうするだけだ」


 オリヴィエは鼻筋に皺が寄りそうな程男を睨みつけた。当の本人は恐れることも怯むこともなくただオリヴィエを嘲笑し続ける。


「俺は呪術師だが、普段はハンターで生計をたてている。俺にとって動くものはただの獲物だ。ただしそれが聖女なら俺は迷わず狙いたい。大物だからな」


 オリヴィエはその言葉を最後に、怒りに任せて残っていたパンを口の中に押しこんだ。男は瞬間だけ苦しそうに唸ったが、ゆっくりと嚙み砕き嚥下し、睨みつけて、にやりと薄気味悪く口端を限界まで上げた。

 オリヴィエは捉えきれない狂気に負けそうな気がしたのは、その目を離せなかったからである。動揺をみせるまいと振舞ってみせようとすればするほど挙動に表れ、スープカップを持つ手が震えていたことにオリヴィエの顔は赤くなっていた。

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