第十五話 差し伸べられた手

 エネロの町に戻ると、来た時よりも少しだけ外を歩く人が多く見られた。生活は徐々に戻る気配が目に見え、三人は胸を撫でおろした。


「おお…聖女様!ご無事でしたか」


 三人の姿が司祭の目に映ると満面の笑みで大股で駆け寄った。笑顔は次第にぐしゃりと歪み「良かった良かった」と泣き出した。


「司祭様、この通り無事です。あなたも何事もなくエネロに戻って下さってよかった」


 すみれの言葉に司祭は「ご無事で本当に良かった」とまた泣いた。


「お疲れでしょう。教会でお休みください」

「ありがとうございます。俺はこいつを連れて馬車の手配をお願いしてくる。こいつの見張りもあるから別行動だな。明朝に町の入口で待ち合わせだ。クリス、頼んだぞ」

「わかった。オリヴィエも気を付けて」


 オリヴィエは強く引っ張ると男は文句を言いながら着いていった。


「では聖女様、どうぞこちらに」

「司祭様、聖女様は私ではなく…」


 司祭は首を振った。


「いいえ、貴女でしょう。ねえ、白銀の騎士様」

「えっと…それは…」

「何かご事情があるのですね。勿論必要とあれば他言は致しません。私たちエネロの人間はあなた方に救われた。その感謝をお伝えしたいだけなのですから」


 司祭は胸に手を当てて感謝の意を示した。


「では、どうかご内密に」


 クリスがそう言うと司祭は「必ず」と目を細め返事をた。


 教会の二階に案内された。少し前まで病人が集められていたが今は片付けをしている修道女が一人いるだけで静穏だ。窓は開けられ心地よい風が部屋を駆け巡り、ひとつ呼吸をすると気持ちが良い。司祭は目配せすると修道女はお辞儀をして部屋を出て行った。


「お食事をお持ちしましょう。何日でもごゆっくりなさってください」

「どうぞお構いなく」


 司祭はにっこりと笑って退室した。これはすぐにでも出発しないと手厚いもてなしを受けそうだとクリスは直感的に思った。


「気付かれてしまいましたね」

「ええ。でもどうしてバレちゃったんだろう。ここで浄化を行った時はクリスさんのことを聖女と思っていたように見えたのに」


 クリスはすみれを聖女と認識できる人がいることに胸が熱くなる。

 これはお忍びの任務だ。気付かれないことが一番いいことは理解している。でも本物の聖女が傍にいるのに何もしていない自分を聖女と思われるのはまるで成果を奪っているようで複雑な思いだった。司祭はその嘘を見抜いた。それはクリスの罪悪感を溶かしてくれる気がした。

 しかし喜んでもいられない。司祭の口止めには期待するしかない。それよりも問題は呪術師という存在が瘴気を起こしているという事実だ。その存在はクリスには未だどういったものか理解が出来なかった。彼が国や聖女を仇なす存在である、それは間違いないだろう。

 疑問は他にも山積みだ。

 何故すみれの命を狙っているのか、そして何故万能薬が植えられたウンディーネの大樹を灰と化したのか、エリックの銀のチャームが瘴気の元になっていた理由も気になる。そして何よりもローズに毒を盛っている可能性があると語ったオリヴィエの話が懊悩の極みである。幾重にも問題が重なりクリスは今にも頭がパンクしそうである。


「なにがいけなかったのかなあ。次はもっと気をつけなくちゃ」

「そうですね…」


 心ここにあらずとはっきりしない返事にすみれは首を傾げた。


「クリスさん」


 すみれはクリスの背中をぐいぐいと押した。いきなりのことでクリスは「え?え?」と戸惑い、されるがままに椅子に座らされた。


「す、すみれ様?」


 すみれはテーブルを挟んで向かい合わせにもう一脚の椅子に腰をかけた。面と向かってにっこりとほほ笑むすみれの意図が読めない。クリスはす真似るように同じように口角をあげてみるが、いかにもわざとらしいくらいに表情が硬くなるのが自分でもわかった。


「クリスさんって驚く位強いのね!神殿で大の男をとっ捕まえてきた時は驚いたわ」


 突然振られた話題にクリスは面食らい、思わず「はあ…」と間の抜けた返事をしてしまう。自分の声にはっとして、咳払いしてからどうしてそんな話題を吹っ掛けたのか考え込んだ。とくに答えは思いつかなかったが。

 そんなことは気にしないとでも言うようにすみれは言葉を続ける。


「フィグさんやハロルドさんたちから学校でも優秀な生徒だったって聞いたの!評判通りというか、凄いなーって」


 楽しそうに話している。一見は。身振り手振りは大きく見せているが、肩に力が入っている。よく見ると顔は笑っているけど印象的な黒い眼玉は小刻みに揺れている。緊張しながらも一生懸命心を通わす努力をしてくれているのだろう。すみれの気遣いはこそばゆい。

 友達のようになりたいと言っていたのは本心からの願いなのだろう。最初はその無邪気さは、想像の聖女からだいぶかけ離れていたので受け入れがたかった。

 騎士学校で学んだ常識だと、聖女と聖女の騎士では身分が違いすぎるのである。しかしこの世界では知り合いの一人もいないすみれにとってクリスやオリヴィエは命綱ともいえる。心の底から信じられる相手がすみれにとっては友達作りなのだとクリスは気付いた。己の頭の固さから拒んでいたが、相手の誠意に応えないのはもっと不敬ではないか。そう考えるようになっていた。

 考えなおしたのは、ウンディーネから「狭量」だと窘められたことである。知識では知っていても目の前にするとそれらを素直に受け入れることが出来ない自分は確かにそうだと実感させられた。


 今思えば騎士学校でもオリヴィエ以外に深く付き合っていた友達はそう多くない。遅刻魔で、見た目から敬遠されていたクリスは友達作りも下手だった。身分違いをどこかで言い訳にしていたのだ。


「自分で言うのもなんですが、騎士学校の成績は良い方だったんですよ。体力にも自信があります。度重なる遅刻の賜物です」

「遅刻?」思わぬ答えにすみれは素っ頓狂な声をあげた。

「遅刻の度に運動場を走らされるから体力がつくんですよ。結構筋肉ある方だと思います」


 腕を差し出すとすみれは少し遠慮がちに二の腕に触れる。そのタイミングで腕に力を入れるとすみれは膨らんだ筋肉に思わず声をあげて笑う。そんなすみれを見てクリスは居住まいを正した。


「すみれ様…これまでの無礼をお許しいただけますか?」

「え?無礼?どういうこと?そんな風に思ったことはないけど」

「いえ。馬車の中で友達のように話そうって仰ってくださったのにそれを拒んでしまったことです。私は己の常識に捕らわれすぎていたのではないかと思ったんです。まだこうして口調もとれないし、あなたを呼び捨てにすることも出来ないでいるのが恥ずかしくて…でももしお許しいただけるなら友達…になりたい、です」


 頭が沸騰しそうだった。これまで友達になろうと言ったことなど一度もないクリスには一世一代の告白のようだった。


「勿論!嬉しい!」


 すみれは今までで一番の笑顔をみせた。


「口調なんて全然構わないよ!というか私の方が謝らないといけないと思うんだ。私は遠慮がない方だし、ずかずかと踏み込んでしまって迷惑だったんじゃないかなって今になって反省してる…でも友達、そう言ってもらえてとっても嬉しいよ」


 目で見てわかるほどにすみれの頬は紅潮していた。恥じらいとかそういうのではなく本当に喜んでいるといった様子だった。それを見てクリスは自分の顔の熱さから、どれほど赤くなっているのかと思うと恥ずかしかった。


「口調は全然構わないんだけどひとつお願いがあるの」

「はい。なんでもどうぞ」

「名前は呼び捨てにして欲しいな。すぐにじゃなくても良いから。徐々に、ね?」


 友達というからには呼称に「様」をつけるのは確かにおかしい。それくらいは友達が少ないクリスでもわかる。相手は聖女ではなく一人の少女だ、そう頭で何度も繰り返し唱えて口を開いた。


「ど、努力します」


 すぐに変えられない頑固さが情けなかった。


「充分よ!」


 それでもすみれは嬉しそうに声をあげて笑った。クリスは予感した。きっとこれからこの笑顔に何度となく救われるのだろうと。クリスは改めて騎士として、そして友として守り切ると一人心の中で誓った。


「あっ」


 すみれは急に何かを思い出したかのように声を張り上げた。


「どうかしましたか?」

「いけない…クリスさんからの申し出が嬉しくて忘れてたけど、私本当は励まそうと思ってたんだった」

「励ますって私を、ですか?」


 すみれは「勿論だよ!」と強く返事をした。思っても居ないほどの大きな声に自分で驚いたすみれは咳ばらいをしてから続けて言葉を紡ぐ。しかしその口ぶりはこれまでとは違って言いにくそうに言葉を選んでいるような様子で話し始めた。


「スカーレットさんから聞いたの。聖女の騎士になるのはクリスさんの夢だって。小さいころから憧れていたって。だから少し訊ねにくいし、的外れだったらごめんなさい。ローズ様に毒を盛っているのが聖女の騎士のお二人、どちらかかもしれないって聞いて戸惑ってるんじゃないのかなって思って、それで…」


 クリスは酷く驚いて目を見開いた。すみれの指摘はまさにさっきまで頭の中で考えがまとまらず悩ませていたからである。


「いえ、仰る通りです。どうしても信じられなくて。聖女の騎士は誰よりも聖女を大切に思って聖女のために働く、そういう存在だって小さいころから言い聞かされてきました。一人の人間を守る。それも国の、いえ世界の宝だと思っています。そんな尊いお方を守れる力が欲しくて目指してきました。フィグ様やハロルド様、先代のエリック様、それ以前の歴代の騎士は皆素晴らしい騎士だと思っています。そんな方々が毒を盛るなんて信じたくない」


 言葉にすると体の奥の方が締め付けられるような感覚がする。それは涙腺に伝わって今にも溢れてしまいそうになる。天井を仰いで潤みそうな目を大きく見開いた。なんとか零れないように抑えきった目を閉じて一呼吸をつく。


「でもあなたが狙われて、それも薬草畑に火をつけられた今、あくまでも呪術師を騙る男の仕業で間違いないのですが、やっぱりお二人のどちらかが加担しているって考えてしまうんです。信じたくはないけど疑いを拭うことも出来ません。でもたとえそうだとしても…」


 頭はグルグルと嫌な考えが渦巻いていた。大切なことが飲み込まれそうなっていることにクリスは気付いた。

 自分は何を守りたいかなんてすでに答えがでているのに何を迷い悩んでいるんだ!クリスは渦に飲まれそうな自分に手を伸ばしてくれているすみれを思い描いた。その手を掴むのになんの躊躇いもない。


「私はあなたを守ります。それだけは絶対です」


 例え相手が尊敬する騎士だとしても命を狙われた事実から目を背けるなと自分に言い聞かせた。

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