第十四話 呪術師

「危ない!」


 ウンディーネの叫び声と共にすみれは乱暴に左肩を押されよろめいた。ちりっと一縷の風の音と共に鈍いうめき声がした。すみれは何が起こったのか頭での理解が追い付かない。一本の火矢はウンディーネの左胸を貫きそのまま後ろの薬草畑に落ちると火が一瞬で燃え広がった。

 二人の騎士は飛んできた矢の方へと飛んでいき元凶であるフードを被った何某を捉えようと剣を抜いていた。そこですみれは漸く攻撃されたのだと気付き撃たれたウンディーネの傍に駆け寄る。


「ウンディーネ様!お怪我は…」


 ウンディーネは傷を負うはずがないが射貫かれた箇所に違和感を覚えた。すみれはウンディーネの肩を見たが、想像していたような血が流れている様子はない。しかし想像よりも気味が悪いのは射貫かれた箇所が黒ずんでいた。なんとか立ち上がって大事に育てて来た薬草畑に手をかざす。空気中に水が躍るように現れて鎮火した。


「問題ない…そなたはどうだ。怪我はないか」

「ありません。ウンディーネ様のおかげです」

「泣かずとも良い。我は実体を持たぬ身だ。怪我などはせぬ」

「でもこれは瘴気ですよね。今治しますから」


 すみれはウンディーネの黒ずんだ体に手を当てて治ってと必死に祈った。祈りは通じ瘴気はみるみる小さくなって消えていく。


「助かったぞ」

「どうですか?気分とか悪いところはありませんか?」

「そなたのおかげで問題はない。しかし…」


 地面に突き刺さった矢を抜いてみると矢じりは同じように黒ずんでいた。すみれは鳩のチャームを思い出した。


「ちっ!外したか」


 物騒な言葉を吐き捨てた黒いローブを羽織った男は後ろ手をクリスに掴まれている。クリスは力を入れると「いててて」と大袈裟に騒いでいた。すみれとウンディーネから少し離れたところで無理矢理に膝をつかせた。


「くそっ何しやがる」

「それはこちらのセリフだ!言え、誰を狙った」


 オリヴィエは怒りをむき出して怒鳴りつけた。


「誰を?本気できいているのか。貴様ら一行で狙うなら聖女に決まっているだろう」


 口端をにぃっとあげてすみれを見据えた。すみれは背中に走る冷たさに体温を奪われた気持ちになり怯んで後ずさる。


「まあいい。本来の目的は果たせた。十分だ」


 男の目線は少し下にずれて更に奥の、あっという間に燃え広がってしまった炭と化した薬草畑に目をやった。大樹も跡形も残さず朽ちてしまっていた。あまりの光景にクリスは言葉も出なかった。

 ウンディーネは男の前に矢を放りなげた。


「これは貴様のだな」

「へへ…よくできているだろう」

「…そうだな。この魔法石はどこで手に入れた」


 男に矢じりを向けた。それは赤色の火の魔法石を研いで作られたものだった。道理で燃え広がるのが早いわけだとクリスは苦虫を嚙み潰したような眼でそれを見下す。

 男はにやけた面のまま返事をしない。クリスは掴んだ手首を引き上げて痛みを与えても顔を歪めるだけで口を割ろうとはしなかった。


「よい。ではこの瘴気はおまえがやったのか」


 ウンディーネは矢を拾い上げ、矢じりを男の目の前、それも目と鼻の先程近くに差し出した。さっきまでものともしなかった男の顔はみるみる青ざめて、少しでも遠ざかろうと顔を背ける。


「どういうことですか?」


 男が顔を歪ませた理由がわからなかった。クリスは力を緩めることなく疑問を投げかけた。


「この黒ずみ、瘴気にまみれている証拠だ。これほど黒ければそなたたちにも見えるだろう」

「確かに見えますが、これが瘴気なんですか?」


 確かに魔法石は斑に黒ずんでいる。気味が悪い程どす黒い。すみれには空気中に漂う瘴気がこのように見えていたのだと思うとクリスはぞっとした。


「こんなもの、ただの人間が使えるわけがない。もう一度訊く。どこで手に入れた」

「わ、わかった、わかったから!」


 直ぐにでも答えろと言わんばかりに矢じりを更に近づけると。男は上半身を捻じって顔を背けるのでひっつめたような声を出した。


「俺は呪術師だ」


 聞きなれない言葉にきょとんとした三人に比べ、ウンディーネはそれまでに見せたことのないくらいの怒りを露わにし鬼のような形相で男を見下した。三人は思わず肩を震わせ硬直した。


「下劣極まりない存在がまだいたとはな。口にするのもおぞましい」


 大精霊の怒りは男にはまるで届かないとでも言うように片方の口端をあげひくついた。それを見たウンディーネは男の目玉を自分に打ってきた火矢のように睨みつけた。


「呪術師ってなんですか」


 三人は同じ疑問を浮かべていた。オリヴィエは代表するかのように問いた。その純粋な疑問はウンディーネも男も顔を歪ます。


「はっ!すっかり忘れ去られた存在ってわけか。俺たちはやっかいものってか」

「当然だ。害悪しかもたらさぬ下賤な存在だ。数百年前に絶滅させたはずだがどうやって生き延びてきたのか」


 物騒な言葉が飛び出したと誰もが思った。しかし絶滅という重苦しい言葉はぴんとこなかった。ウンディーネが心の底から憎む程三人は呪術師がどういうものか判らないからである。ただ事実すみれの命を狙って、ウンディーネに一時的にでも怪我を負わせ、貴重な薬草を灰に化したその男を許したわけではない。オリヴィエは続けてウンディーネに問いかける。


「害悪っていうのは具体的にはどういうものなんですか?」

「瘴気を人工的に生み出しているんだ。この矢じりのようにな」


 まさかと否定的な言葉が出そうになるが、ウンディーネの険しい顔を前に口には出来なかった。


「もしかして聖杯に入っていたあのチャームも意図的に作られたものなのかな?」


 すみれは矢じりを見た時から思い浮かべていた鳩のチャームのことを訊ねた。


「チャームだと?」


 見せろと言われる前にオリヴィエは懐にしまったチャームをウンディーネに手渡した。


「手に取って大丈夫ですか?」


 すみれは慌ててウンディーネに訊ねると「問題ない」と宥められた。


「これに瘴気はすでにない。変色はしているが長い年月、瘴気にあてられるとこうなるのだ。大体四、五年ってところか」


 もし更に長く瘴気に晒されていれば、浄化が難しいだけでなく、それが出来たとしても汚された物は形も残らないと言った。


「これもおまえの仕業か」

「さてな」


 男は惚けて我関せずと薄笑いを浮かべた男にウンディーネは一瞥を投げた。また眉間に深い溝が作られる。これ以上ここで問い詰めても聞き出せる情報がないと判断したのかウンディーネは長嘆した。


「出来ることならこの場で首を落としてやりたいところだが、国王に報告すべき事案だ。そなたたち、頼めるか」

「勿論構いません。私たちもどのように対処すべきかわかりませんし」


 クリスとオリヴィエは顔を見合わせて、とにかくウンディーネの言う通りに国王に判断を仰ぐべきだと頷きあった。

 ウンディーネはクリスに手を離せと命じた。言われた通りに手を離すと、ずっと掴まれていた男の手首は赤くなっている。男は束の間ほっとしたが、すぐに別の違和感を覚えた。


「あ?」


 男の後ろ手はクリスが掴んでいた時と同じく、縄できつく縛られたように動かせない。ウンディーネは精霊の力で男の手首を拘束した。水で形どった縄でくくられているように見える。一見すぐにでも解けそうに見えるが男が藻掻いてみてもびくともしない。


「聖女の騎士たちよ、拘束したが安全が図れたわけではない。早く王都に戻って国王に報告せよ、良いな」

「わかりました。エネロの町で馬車を手配して直ぐに帰ります」

「頼んだぞ」


 手首を拘束された男の腰に念のために縄をくくりつけた。クリスに変わってオリヴィエが縄の先を持って目を光らせ、出入り口へと踵を返した。

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