第七話 ぎこちない関係

「お嬢さんお嬢さん!これ見て行ってくれよ!今日の夕飯にどうかな。安くするよ」


 もう日が沈みそうなところ、全て売りつくそうと店仕舞いを始めながら安さを売りに声を張り上げている。肉や魚、野菜、花、雑貨など、見慣れたものもあれば見慣れないものも多く、すみれはついつい目移りして足を止める。その度にクリスは一歩引いてそれを許したが、ハラハラしながら様子を伺っていた。


「可愛い木彫りのペンダントですね」

「これは西の森での神聖な木でつくられた魔除けのおまもりだよ。つけてみるかい?」

「いいんですか?」

「勿論さ…」


 店番の女性はすみれの顔をみてはっとしたと思ったら急に態度をかえた。差し出したペンダントを引っ込めて睨みつけた。被っていたローブの隙間から黒髪が見えたからである。


「あんた魔女かい…魔女に売るもの等なにもないよ」

「魔女…ですか?」


 彼女が何故急に態度を変えたのか見当もつかず、すみれはきょとんとし小首を傾げた。


「おばさん!その御方は…」

「なんだい、クリスじゃないか。あんたの連れ?」


 聖女を「連れ」だと言うにはあまりにも恐れ多いことだ。内心カチンとくるが、だからといって箝口令を敷かれている以上すみれを聖女だとも言えない。


「えっと…そう!スカーレットの弟子なの」

「スカーレットさんの…それならそうと早く言っておくれ。スカーレットさんのお弟子さんなら構わないさ」

「いえ、今日はもう行かなくちゃ。また来るわ」


 クリスはすみれの手を取って足早に店を離れた。すみれは戸惑いながらも女性にお辞儀をして引かれるままに店を後にした。


「申し訳ございません。嫌な思いをさせてしまって」

「そんな…クリスさんが気にすることではありませんよ。でもどうしてあんな風に怒っていらっしゃったのかしら」


 振り返って店の方を見ると、女性はこちらには気を止めることもなく店じまいを始めていた。クリスは唇をきゅっと噛む。気分を害することはわかっていた。それはすみれにとってもクリスにとっても。


「王都にはすみれ様のような艶やかで美しい髪の人間は数少ないのです」


 そう言われてすみれはあたりをきょろきょろ見渡す。金色や栗毛色、様々な色で溢れている。しかしフードの中に隠されたすみれの黒髪を同じ色はいない。


「黒髪ってそんなに珍しいんですか?」

「ええ。少なくとも王都では殆どいないでしょう。すみれ様とスカーレット…私の母だけと言っても過言ではありません。本当ならお立場のあるあなたが、こんな風に隠れる必要なんて何一つもないのに」


 聖女を深く愛する人が多い王都でも、姿が変われば態度も変わる現実にクリスはもどかしさを覚える。とはいえ、そう言った声を責める立場でもない。クリス自身もすみれの髪色を見て身構えてしまったからである。


「どうして黒髪が少ないんですか?」

「わかりません。黒髪は魔女と呼ばれることが多いんです。聖女信仰が厚い王都では魔女は忌み嫌われるせいもあると思います」

「それで…なるほど…」


 すみれは頷きながら考え込んだ。浮かび上がる疑問を続ける。


「それじゃあ黒髪の聖女ってかなり珍しいんですか?この世界に来た時も皆戸惑っていらっしゃったし気になってたんです」

「仰る通りです。私もすみれ様を初めて見た時は正直驚きました」

「合点がいきました。初めは余所者だからだと思っていたけど、そういうことだったんですね」

「本当に申し訳ございません」

「クリスさんが謝るようなことでは…」


 二人は顔を見合わせてぎこちなく笑った。人々の笑い声が耳を打つばかりだった。


◆◆◆


 陽が沈み切らないうちに速足で娼館が並ぶ道に入った。すでに夜の町は目覚め始めており、独特の空気が満ち始めていた。それまではあちこちに目をやっていたすみれも、勘づいたのか少し俯いている。クリスは絡まれないように周りを警戒しすみれの手を引く。宴の声を背中に浴びながら、家がある丘まで二人は駆け足に近い素早い足取りで宿屋通りを抜けた。

 丘を登るころには西の山肌は今日を締めくくる陽光で輝いていた。すみれは丘に建つ小さな家を見て、まるで絵本の一ページを切り抜いたようだと感歎した。

 家に辿り着くと丁度店じまいの為に玄関をあけたスカーレットが出迎えた。


「おかえり」

「ただいま。こちらが…」


 クリスが紹介すると同時に、被っていたフードを脱いだすみれは深くお辞儀をした。


「はじめまして。すみれと申します」


 スカーレットは他の人と変わらず驚いた顔をした。しかし間もなく笑顔で両手を広げ歓迎の意を示した。


「ようこそお越しくださいました。お疲れでしょう?中に入って」


 ドアを開けるとカウベルが軽やかな音色を奏でた。店内に飾られたランタンの蝋燭が揺らいでいた。草花の瑞々しさがすみれの緊張をほぐしてくれる。


「凄い…ここはなにかのお店ですか?」

「ああ。魔女の薬を売っているのさ」

「魔女の薬…本当に物語の中みたいで素敵」


 クリスには見慣れた風景を、すみれは感嘆の息を漏らして眺めている。


「そう言ってもらえるとなんだか誇らしいね。ささ、お腹空いたでしょう。夕飯の準備も整ってるし温かいうちに召し上がって」

「ありがとうございます。お世話になります」


 スカーレットを先導に奥に入るとダイニングテーブルにはサラダやスープ、鶏のステーキなどご馳走が並んでいた。


「今日は歓迎のパーティだ。いっぱい食べておくれ」

「こんなにたくさん…ありがとうございます」

「今スープを温めるから座って待っててね」


 スカーレットはキッチンに行き、魔法石で薪に火をつけてから、へらで鍋の中のスープを混ぜている。鼻歌交じりでご機嫌だ。クリスはそんなスカーレットに気付かれないようにすみれに耳打ちをする。


「すみません…無遠慮な態度に気を悪くされてませんか。嫌だと思ったら遠慮なく仰ってくださいね」

「そんな!とんでもないです。こんなに歓迎していただけて恐縮するくらいですよ」

「それなら良いんですが…」


 国で一番権力を持つ聖女を家に招くだけでも恐れ多いクリスは気を揉むばかりだ。


「おまたせ。温かいうちに召し上がれ」


 すみれは両手を合わせて「いただきます」と言いスプーンを手に取った。


「美味しい!」


 根菜がたっぷり入ったスープを口にして素直な感想を言葉にした。


「生姜…ジンジャーの香りが良いですね。体が温まります」

「わかるかい?こっちの鶏肉も是非食べてみて」


 勧められるがままにナイフとフォークを使い切り分けて口にした。


「こっちも美味しいです。ローズマリーの香りですね」

「驚いた。いい味覚をしているんだね。ハーブの知識もおありだとは」

「私がいた世界でもハーブを使った料理は珍しくないんですよ」

「そうかい。似たようなものがあるならよかった。食事は生きる基礎だ。食べなれたものがあるのは良いことだね」

「スカーレットさんは私のことをどこまで聞いていらっしゃるんですか?」

「クリスから聞いただけのことだよ。召喚されてこの国にやってきたんだろう?大変だったね。見知らぬ世界に飛ばされて。色々気苦労や、時には重圧に押しつぶされそうになることもあるだろうけど、ここでは自分の家だと思って伸び伸びと寛いだらいいさ」


 クリスはどきりとした。隣に座るすみれを見ると目はじんわりと涙が滲み今にも零れそうだった。すみれはぐっとこらえ目を閉じて頭頂部をスカーレットに見せるように頭を下げた。聖女の前に一人の女の子であることを初めて実感した。


「ところでこれからどうするんだい?上から何か言われているんだろう」

「ローズ様の代行で各地を回って浄化をすることを命じられたの。早速明日の朝、日が昇る前にすみれ様とオリヴィエと三人で王都を出るわ」

「明日だなんて…慌ただしいねえ」

「王都に駆け込む人も多いから出来るだけ早く対処するように言われてるのよ」


 聖女の庭でフィグは瘴気が特に多い地域があると言っていた。浄化しても何度も溢れてくる瘴気を聖職者が数人でなんとか持ちこたえているギリギリの状態であるという。王都の瘴気も気になるが、手が届きにくい地域を先に浄化にあたるようにと国王陛下からの厳命が下されたらしい。


「まずは西のエネロの町に行くわ。王都から近いこともあって聖職者を多くとられてるそうなの。あとエネロを浄化できれば王都に影響している瘴気も緩和されるって考えられているのよ」


 王都から一番近いエネロは農業が盛んで穏やかな土地だ。地域騎士は王都から離れている場所に多く配置される傾向にある。比べてエネロは王都騎士がいつでもかけつけられるので地域騎士も多くはない。そのためモンスターが出ても即座に戦える者が少ないと問題視されていた。


「今は王都も騒がしいから王都騎士の派遣も難しくて自警団でモンスターの討伐を行ってるみたい。農民が駆り出されることもあるって聞いてるわ。すみれ様をお連れして瘴気の浄化を試みていただこうと思っているの」


 クリスは与えられた使命感が燃えたぎっていた。聖女の騎士として必ず聖女に選ばれたすみれを守り切ると。役目を果たせるか緊張もあったが心は高揚していた。逆にすみれは急に与えられた使命に押しつぶされそうな緊張感が心身を蝕んでいた。

夜も更け自室に入るとベッドが二つ並んでいた。スカーレットによると聖女の庭に行っている間に、マヌエルが手配したベッドが運び込まれたらしい。


「奥のベッドでもよろしいでしょうか」

「どちらでも構いません。でも…」

「どうなさいましたか?」


 すみれは手を組んでもじもじとしていた。そんなに言いにくいことなのかとクリスも身構えて息を飲む。家では安らいでいただくことも任務のひとつなので努めて優しい声で言葉を引き出そうと声をかける。


「ご遠慮なくなんでもお申し付けください。出来ることならなんでも致します」

「もう少しフランクにお話できませんか?年齢も近い、いえクリスさんは私より大人っぽいしもしかしたら年上かな。私は聖女なんて言われても数日前までは普通で、そんな風に大事にしてもらうような女の子でもないし、なんの取柄もないんです」


 予想にしなかった言葉にクリスは呆気にとられた。しかしすみれの言い分の一部はわからないでもない。

 これまでクリスは聖女を間近で見たことがなかった。幼い頃に王都の祭りで遠目に聖堂の塔の窓から手を振る聖女ローズを一度見ただけだ。記憶の中の聖女はとても高潔で凛としていたように見えたものだ。

 確かに彼女の言うように、すみれは高潔な聖女のイメージからは随分かけ離れており、一目見ただけではまさに普通で取るに足らない少女だ。それも黒髪で白い肌…スカーレットと同じ魔女の姿だ。

 それでも彼女は召喚された聖女であることは間違いない。敬うべき聖女に友達のように話すなど想像もつかないのである。騎士としては未熟なクリスでも自分なりに騎士としての矜持が自然と拒んでしまった。


「善処します」


 まともに目が見られなかった。尽くす主からの命令ならば聞いて当然だと考えていた。しかも彼女からすれば些細な願いである。しかしクリスにはあまりにも恐れ多くて、そうできない自分が恥ずかしくなった。すみれもまた俯いていた。口角を無理矢理上げて唇をきゅっと噛んでいた。

 急に異世界に飛ばされ聖女と呼ばれ国の命運を背負わされている少女の動揺にクリスはまだ気づいていなかった。

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