第六話 夢の続き
「ご気分はいかがですか」
薄ら開けた目には覗き込んで優し気に声をかける男性らしき輪郭が映る。夢の中でみた甘い顔の男性だ。
(あれ?さっきのは夢だった?)
リアルな夢を続けてみたせいかどれが夢か判らなくなっている。とにかく今は夢ではないのかもしれない。根拠はないけどおでこに触れた男性の手は冷たくて心地よかった。
「元気です…多分」
「それは良かった」
「えっと…私どうしたんでしたっけ?」
ここが保健室ではないことは確かだ。無機質な天井ではなく、古い木材の匂いがする。田舎にあるおばあちゃんの家の匂いに少し似ていた。
「ここは大聖堂で、俺の自室。安心して二人っきりってわけじゃないよ。もう一人厳しい目が見張っているから変なことはしないさ」
「見張っていなかったらなにかするんですか?」
見知らぬ男性の自室という言葉にすみれは思わずかけられた布団を握り締めた。何かされるなんて思ってはいないが、死んだおじいちゃんから、男と二人きりになるなと固く言い聞かされていたので自然に身構えてしまうのである。
「ははは、その調子なら元気そうだな」
「返事になっていません」
「何もしないよ。俺には愛する人がいるからね。その人を裏切ることは出来ないさ」
すみれを覗き込んだ時よりも愛しいという瞳を浮かべた。
ノックの音がした。男性がどうぞと声をかけると、静かにドアが開く。それと同時にいい匂いが漂ってきた。すみれは鉛が入ったような重い身体を起こし、乱れた長髪を指先で解く。
「お目覚めでいらっしゃいましたか」
「丁度今目が覚めたところだよ」
もう一人の男性はテーブルに持っていたお盆を置いてから、すみれの傍に近づいて跪いた。すみれはどきりとして慌てふためいた。膝をつくなんて、最近流行っている少女漫画のワンシーンでしかみたことない。しがない庶民の少女が、本当は良家のお嬢様で、彼女の世話係についた使用人の男性との恋物語、自分も含め同級生は夢中になって笑っていたことがぱっと頭に蘇った。
「聖女様、もうしわけございません。本来なら女性に世話をさせるべきなんですが、事情により、私どものようなものしかおらず…」
状況を読み切れないすみれには、男性の言葉は自分に向けられているとは思えない。まるで舞台の作られたセリフのように聞こえた。
「暫くの間は我々がお世話につきます。どのようなことでもお申し付けください」
「ハロルド…俺は君の真面目さが好きだけど、聖女様が戸惑っているぞ?」
「それは…その…申し訳ございません」
謝った先は間違いなくすみれに向けられたものである。しかし当の本人には謝られる理由もわからず、さっきよりも戸惑うしかなかった。その様子に気付いたのか、軽口を放つ男性が口を閉じたまま咳をしてから言葉を続けた。
「聖女様、まずはお食事をなさいませんか」
男性は首でテーブルを指した。そこに置かれたお皿から湯気がたっている。ハロルドと呼ばれた男性が入ってからずっとお腹が主張していた。
ベッドから起き上がる。ハロルドはじっとすみれをみていた。すみれは見られているのが身に着けている自分の寝間着だとわかった。彼らが着ている服が見慣れず、同じような視線で見ていたからである。ただ寝間着を見られるのは流石に恥ずかしく、そこにあったガウンを羽織って前を合わせるように手で隠した。
椅子をひいたハロルドに誘われて座った。目の前にはにんじんや玉ねぎが浮かぶミルクスープとパンが二切れある。手を合わせて「いただきます」と呟いてから手を付けた。
「美味しい」
家で食べるクリームシチューと似ている。普段食べていたそれよりもさらさらとしている。少し牛乳の臭みはあったが野菜の甘みや鶏肉のうまみが滲み込んで優しい味がした。
「お口にあったなら何よりです」
「皆さんは、お食事しないのですか?」
「後ほどします。お気遣いのないよう」
見られながらの食事は緊張感が増す。少し俯いて、スプーンで掬う一口を減らして食べる。最初の味よりも少し薄く感じた。
時間をかけて食べ終わると、見計らったようにハロルドはポットからお茶を注いで、浚えた皿と交換して置いた。座っているだけの食事はなんだかくすぐったくて身の置き所がなくそわそわした。
「ご馳走様でした。美味しかったです」
ミントと思われるハーブティが入ったカップに口をつけて一息ついてから挨拶をした。
「少し落ち着きましたか?」
「落ち着いたかどうかはわかりませんが、おなかは充分満たされました」
「左様ですか。落ち着いていらっしゃるように見えます」
「多分、よくわかっていないから、そうするしかないんだと思います」
「なるほど…」
甘い顔の男性が言うように不思議と落ち着いているのは確かだ。戸惑っているのも本当だけれども、ここで慌てふためいてもどうしようもないこともわかっている。そうしたって状況は変わらない。受け入れるしかないのだと悟っていた。
「今更ですが、お名前を聞いても良いですか?」
「失礼しました。俺はフィグ・フェレメレンです。どうぞフィグと気軽にお呼びください。こっちで立っている怖い顔の男はハロルド・レスターだ」
「私は
「すみれ様…あなたがこの世界に呼ばれたわけがわかりますか?」
姓名が逆だということは、今いる場所は外国だろう。でもただの外国ではない。夢でみた少女の言葉、そして創作物でしか見ないコスプレのような衣装。この世界が今までとは違う世界だと判ってはいるものの理解が追い付かなかった。
「夢の出来事だと思うんですが」
「それでも結構です。お話いただけませんか」
初めはここも夢の中の出来事かもしれないと思っていた。起きた時の空腹も、クリームシチューの味も鮮やかだ。白銀髪の少女にあった場所よりももっとリアルを感じる。すみれは今目の前にある現実を完全に受け入れたわけではなかったが、この状態から目をそらすわけにはいかない。とにかくあったことを話すことを決めた。
「白銀色の髪をした女の子…彼女が助けを呼んでいたんです。私咄嗟に手を伸ばして気付いたらここに居ました。どうして私なのかはわからないけど…」
フィグとハロルドは静かに話を聞いた。そしてすみれが黙り込んだところでハロルドは口を開いた。
「あなたは選ばれた人間なんです」
食事を持って来た彫りの深い男性の目はぎょろりとすみれを刺すように見据えて言った。すみれは委縮してしまい思わず目をそらした。
「こらこらハロルド、そんな目で見るんじゃないよ。すみれ様が怖がっていらっしゃるだろう」
「元々だ。…本当にそのようなつもりはない」
「ご、ごめんなさい。私も緊張してしまってつい…」
「ご無理ありません。突然のことで色々驚かれているでしょう」
「えぇ…まぁ…」
「それでも私には肝が据わっているように見えます。流石聖女様だ」
「聖女?」
創作物でしか聞いたことのないようなファンタジックな言葉に耳を疑う。真顔とは反面すみれの頭は混乱しグルグルと掻きまわされている感覚を覚えた。
「えっと…私に言っていますか?」
「勿論です。信じられないかもしれませんが」
「聞きなれない言葉なんで」
「聞きなれない?」
二人は顔を見合わせて驚いた。二人にとっては聖女の存在は当たり前だ。二人が聖女の騎士だからではなく、この国では至極当然だからである。それを耳慣れないと言われるとは思っても居なかった。
「フィグ、これはどういうことなんだ?」
フィグは手で口を覆って考えこんだ。暫く間を置いて口を開く。
「憶測だが異世界から呼び寄せられたんだろう」
「異世界?」
すみれとハロルドの声が重なる。
「言葉の通り、この世界とは違う世界のことだ。そういう世界があることは聞いたことがあったけど都市伝説ではなかったとはね」
「異世界の人間が聖女だとは…では聖女に対する知識はどれほど…」
すみれは全く分からないとかぶりを振って示すと、ハロルドは眉間に皺がぐっと寄らせてため息をついた。
夢であった少女の世界を救って欲しいと言われたことを思い出す。聖女という立場がどれほど重要なもので、自分に何ができるかは解らないが、もし世界の運命をよそ者の手にあるとするならば納得できないのは無理もないだろう。
「私は何をすればいいんでしょうか」
「まずは現在の聖女、ローズ様とお逢いになってください。すみれ様さえよければ今からでもいかがでしょうか」
「勿論です。是非、お願いします」
きっと彼女が夢の少女だ。自分とこの異世界を繋ぐ唯一の人物だ。すみれは立ち上がり案内をお願いした。
◆◆◆
直ぐ隣の部屋が聖女の部屋だ。ノックをすると中から微かにベルの音がした。それを合図にドアをあける。
「召喚された聖女様をお連れしました」
ドアを閉めてから二人は胸に手を当ててお辞儀をする。目の前には誰もいない。すみれはきょろきょろとあたりを見渡した。
聖女の部屋は聖女の騎士の自室と雰囲気が変わらない。フィグの部屋より広い部屋に必要最低限のものが置いてある。食事をするテーブルに椅子が一脚、昔どこかでみたようなアンティークのビューローデスク、重厚なクローゼット、あとは窓際にベッドがあるだけ。無駄な物はひとつもなく、個性も感じられない部屋だ。
ベッドも飾り気はなく木製のシンプルな造りで質素だ。そこに小さな体が横たわっていることに気付いた。フィグが先導して部屋の中に入る。ベッドの近くに近づくとか細い声が聞こえた。
「すみれ、近くに来て」
寝たままで細い手が手招きする。夢で訊いた優しい声を聴いて初めてほっとした。ただ夢であっただけなのに、不思議と昔からの知り合いのような思いになった。すみれは呼ばれるままにゆっくりと近づいた。顔が見えると思わず息を飲む。夢で見た少女とは全く異なり、頬は痩せこけて目が窪み青白い。年齢も少女とは違う。決して年老いているわけではなかったが、皺がないだけで老け込んで見える。
「こんな姿で驚いたでしょう」
すみれは何も言えなかった。ただ小さく首を横に振ってわずかに「気にしないで」と示すことしか出来なかった。
「二人で話をしたいの。席を外して頂戴」
フィグとハロルドは胸に手をあて「かしこまりました」と言うなり部屋を出た。
ローズは手でベッドをポンポンと叩く。その場所に近づきすみれはベッドに腰をかけた。そしてローズの細すぎる手を包み込む。肉の厚みのない薄くて冷たい手にぬくもりをわけるように握った。ローズは微笑んで力なく握り返した。
「来てくれてありがとう。色々混乱しているでしょう?」
「ええ…全く想像もつかない世界で…昔流行った映画でも見ているみたいな気持ちかな」
不思議とそれまでの緊張感は彼女を見るだけで消えており、夢の続きの様に気を張らず話しができる。すみれは少しだけほっとした。
「えいが?」
「創作物のことだよ。でもここはリアル、なんでしょう?夢の続きかなって思ったけど頬っぺたつねっても目が覚めないの」
「ふふ…訊きたいこと沢山あるでしょうけど、答えられることは全て話すわ」
「じゃあ…まずは名前からかな。夢で訊きそびれたから気になってたの」
ローズは声に出して笑って握られた手を解き握手をし直した。
「私は聖女ローズ。すみれ、あなたを待っていたの。どうか助けて頂戴」
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