第五話 鮮やかすぎる夢

 すみれは夢をよく見る。どんなに疲れていても朝まで熟睡することは殆どない。一度でも気絶するように眠るというすっきりするような気分を味わってみたい。

 見る夢は大抵は取るに足らない普通の夢だ。友達と遊んだとか、幼少期の再現、見たこともない景色を彷徨うだけのこともあるし、時には悪夢だって見る。鮮やかな夢を見ることも決して珍しくはない。

 しかし今夜程鮮やか———それどころかまるで夢か現かわからなくなる程、全ての神経が起きている感覚の夢は初めてである。

 幅の狭いさらさらと流れる川が作られた日本庭園に一本の大きな桜の木が植わっている。すみれは月夜の空の下、景色をぼんやりと眺めていると川を挟んで立っている知らない女性が隣で話かけてきた。知らないとはいえ、時々夢に現れる白銀色の髪をした美しい女性は、これまでも時折夢に出て来た。その女性はと同じように桜の木を眺めていたが、これほどはっきりと会話をすることは一度もなかった。


「美しい花の木ね。これほど目が離せない花を見たことがないわ」


 白銀色の髪の女性はうっとりと桜をみあげて感嘆の声をあげる。すみれはこんな声なんだと初めて聴く声に耳を傾けた。


「これはなんていう木?」

「桜、です…ソメイヨシノっていう種類の…」

「サクラ!響きも不思議ね。優しい音だわ」


 少なくとも同じ日本人でないことはすみれでも解る。反応も桜を初めてみる外国人のような反応と感想だ。

 彼女が言うように桜の木は満開に咲き誇り溢れんばかりにハラハラと花びらを散らしている。時折風が吹くと桜は吹雪となり、その下で見上げる女性の髪は靡く度に輝いて見えた。桜の木の真上で輝くまんまるの白い月の光のようだった。そういえばこ この明かりは月光だけなのに彼女の姿はくっきりと形どっていることに気付く。不思議な光景だが、夢だし、そういうものだと思った。


「なんだか、かぐや姫みたいだね」

「かぐや姫?」

「月のお姫様。物語上だけどね。地上に降りて沢山の男性に求婚されたモテモテのお姫様だよ。帝にも…えっと、その国の王様みたいな人にも求められるの」


 彼女は声をあげて笑った。姿からは想像もつかないほどに豪快に笑っている。


「そんなに魅力的な女性だったら苦労はしなさそう。そのお姫様は誰を選ぶの?」

「えっと、誰も選ばずに月に帰る話だったと思う。そう、故郷に帰るんだよ」

「そうなの…」


 彼女は意外だともそれが悲しいとも口にはしなかった。ただ月を見上げていた表情は悲し気だ。


「あなたならどうする?そのお姫様のように選ばれた人間なら、その世界に残る?それとも家に帰る?」

「理由にもよるかなぁ…物語ではかぐや姫の人間性については殆ど語られないから、どうして地球に降り立ったかはわからないんだよね。月での罰を償うためって聞いたことはあるけど。ストーリーは地球に来てとあるおじいさんとおばあさんに育てられて、美しく育ったから求婚される。それだけなんだよね。地球で特にやることがないなら、月に帰るかぐや姫の気持ちはわからないでもないわ」

「役目があれば、その地上に残る?」

「そうかも。役目は自分を必要としているってことでしょう?それなら残ると思う」

「それじゃあもし私が助けてって言ったら応えてくれる?」


 彼女の青い目はすみれを捉えじっとみつめた。風がびゅーっと鳴った。散っていく桜の花びらは彼女の姿を消していく。


「お願い、助けて。私を…世界を」


 桜吹雪の中で彼女は手を伸ばした。すみれは思わず彼女の手を握った。必死に掴んだ手は握り返したがその手はひんやりとしており力もない。それなのに強く引っ張られた。人間の力ではない何か大きな力ですみれの体は桜吹雪の中へと飲まれていく。意識は次第に薄れていった。


◆◆◆


 身体がおかしい。首も胴体も足も至る所が違和感を覚える。右手だけが妙に冷たくて、それが夢の中で握った白銀髪の少女の手の温度と同じだと気付いたときに、はっきりと意識が戻った。

 狭いところを通ってきたかのように体が締め付けられた感覚がしたと思ったら意識がなくなったことを思い出す。気付いたときには地面に横たわっていた。どれくらい眠っていたのだろう。長かったかもしれないし、さっきのことのようにも思える。

 意識は戻ったものの、体の自由が利かない。全身から力が抜けだらりと床に溶けるように張り付いている。

 目には広い星空とフードを被った誰かしらがのぞき込んでいる姿が映った。視界の端っこはパチパチと音をたてる炎がちらっと見える。それらをぼんやりと虚ろな目で眺めていた。本当は起き上がりたかったけれど、体が意識とは別にあるようで指一本も動かすことが出来ない。


「これは成功なんですか?」

「成功なわけなかろう。見よ、この髪を。聖女様なら雪の様に美しい白銀の髪をしているはずだ」

「そうとは限りません。歴代の中でも金色や薄茶色の髪の者もいました」

「この髪でもそう言えるか!こんな漆黒の…まるで魔女のような髪の者はこれまでの聖女様にはいないだろう!」

「それはそうですが…召喚術の順序も確かに間違っておりませんし…」

「では君はあの少女が聖女だと言えるのか?」


 語勢を強めて話すフードを被った人たちが何を言わんとしているか全く想像もつかなかった。なんとなく昔のSF映画で見たような衣装だなとか、これって何かの撮影なんだろうかなどと、朦朧とした頭で考えが浮かんでは消えと繰り返していた。


(白銀の髪?)


 夢で見た少女は綺麗な白い髪だったことを思い出す。月光を思わす淡い輝きを纏った美しい少女だった。さっきまで月の話をしていたと思い出していた。


「まあまあ。そう声を荒らげないで。どういう結果でもあなた方はきちんと仕事をこなした。それで十分だ。これ以降は王都や聖堂で預かるから」

「フェレメレン様…」


 カフェオレ思い出す柔らかな髪色の男性が近づいてすみれの周りで言い争う二人を諫める。テレビでみるアイドルや俳優にも負けないくらい甘く綺麗な顔だ。


「召喚士の代表は誰だい?」

「私です」

「あなたはこれからの会議に参加していただきたい」

「も、勿論です」

「他の方には箝口令を敷くからそのつもりで。彼女の身柄は聖女の名の下、こちらで預かるが構わないね」


 ふわりと体が宙に浮いた。綺麗な顔が近づきどきっとしたが、その感情を表には出なかった。まだ体に力が入らず、目も半開きで虚ろな状態だ。


「いつまでも地面に寝転がせてしまってもうしわけございません。聞こえていますか?大丈夫ですか?」


 返事をしたかったが叶わない。男性の胸に預けた頭はぬくもりを感じながら意識はまた夢に落ちた。

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