第四話 聖女の庭

 二日後マヌエルがまたやってきた。今度は夕方のまだ明るい時間である。この二日、クリスは言われた通り家の敷地から外に出ることはなかった。久しぶりの休暇を楽しもうと決めていたが、出かけることも叶わず、やることと言えば家の手伝いか欠かさず行っていた鍛錬に勤しむことだけだった。


「どうも…」

「クリス・ノーブル、これに着替えてすぐに大聖堂に来るように」


 今日も薬草畑の草むしりをしていたクリスは土だらけの軍手をはめた手で汗が流れる頬を拭った。口を開かずとも彼の目は「すぐに顔を洗え」と言っている。

 マヌエルから差し出された水平に抱えた薄くて幅のある箱を軍手をとってエプロンのポケットに捻じり込んでから受け取る。衣装箱のようだ。新しい制服だろうか。それに言及することなく了承した。


「あの、外ではなんですからよろしければ中でお待ちください。お茶でも淹れますから」

「結構、すぐに出発する故、ここで待たせてもらう」


 山のよう微動だにせずどっりしと構えていた。軽くお辞儀をして家の中に戻った。一秒でも早く支度を済ませようと気が急く。


「おつかれさまだね、クリス。その箱はどうしたんだい」

「ごめん。草むしりはまだ終わってないの。今マヌエル様が迎えにいらっしゃったわ。召喚された聖女様のことでお呼びがかかったんじゃないかしら」

「そうかい。中で待っていただこうかね」

「外で待つって仰っていたから早く支度しなくちゃ」


 急いで家の中に戻り、テーブルに箱を置いて台所の洗い場で顔を洗った。汚れひとつ見落とさないように脇の壁にかけてある鏡で何度も確認した。

 箱の上にタオルが置いてあった。気を利かせてくれたスカーレットの姿が見当たらない。見落としている汚れがないか確認してもらいたかった。しかし彼女を探している余裕もないので顔を拭いてから、もう一度鏡を見てタオルと箱を二階に持って上がった。

 ベッドの上に箱を置き開けると、仕立てたばかりの服の上に薄紙と二つ折りのカードが添えてある。カードを見ると『導きのままに』と書かれている。まるで数日前に諭されたスカーレットの言葉のようで運命じみたものを感じた。

 服を広げるとシャツにパンツ、そしてジャケットが入っている。聖女の騎士という名誉ある役目を貰ったがそれに見合う服ではない。見習い騎士の制服の方がよほどそれらしく見える。クリスの普段着と変わらない装いは少し物足りなさを感じた。

 仕付け糸を切り袖を通してみる。新品とは思えないほど肌なじみがよい。クローゼットに仕舞われている私服より肌触りの良い衣類だ。唯一騎士らしさをかんじさせる付属している剣帯を身に着けて姿見の前に立った。

 鏡に映る姿は、騎士というより傭兵もしくは用心棒のような民間人といった具合である。これでは本当に騎士になったのか実感がわかない。髪の乱れを直して階段を下りて外に出た。


「おや、似合ってるじゃないか」


 外でマヌエルとスカーレットが立ち話をして待っていた。あの無口なマヌエルと何を話していたのか気になる。スカーレットはクリスに近づき服装の乱れがないか前から後ろからと眺めた。子供のような扱いにクリスは思わず赤面する。


「では今後ともよろしくお願いします。いってらっしゃい、クリス」


 マヌエルは足を揃えてスカーレットに深々と頭をさげた。

 

 一昨日と同じ道を特に会話を交わすこともなく黙ったまま歩く。マヌエルは一定の速さを保ち姿勢を正したままつかつかと歩みを進めた。クリスはマヌエルの傍を離れないように大股でついていく。


「ノーブル」

「は、はい」


 城下町の大通りにさしかかった時にマヌエルは前を向いたまま口を開いた。町の賑わいに交じってしまいそうな声に必死に耳を傾ける。


「いい母君だな」

「え?」

「一昨日宿屋通りを歩いていると、こんな場所に、それも魔女の家にあのお方を預ける等もってのほかだと思っていたが、ノーブルの母君と話をして考えが変わった。勿論環境は心配ではあるが、あの家が心の拠り所の一つになるなと良い…そう思う」

「はい、少しでもお心を慰める場になるよう努力します」


 マヌエルはクリスの方を振り向かなかったが、西日に照らされた左の横顔は微笑んだようにみえた。

 聖女は勿論のことだが、彼女に遣える聖女の騎士、そして彼らの補佐をする、聖騎士の中でも位の高いマヌエルも雲の上の人である。クリスのような見習いの身で、お目通りが叶うなんて夢にも思っていなかった。だからこの瞬間もまだ緊張がほぐれているわけではない。それでも体温のある一人の人間なんだと気付かされる。少なくとも一昨日よりはイメージが柔らかくなったのは間違いない。

 こちらから声をかけるのもおこがましいという思い込みを取り外した。 


 そうこう言っている間に大聖堂の近くまでやってきた。変らず民衆は助けを求めて老若男女の長蛇の列が作られている。一向に減る気配がない。召喚された聖女が力を振るえば世界は平和になるのだろう。


(もう少しだから辛抱してね)

 クリスはまだ見ぬ聖女に、心の中で嘱することしか出来なかった。

 

 大聖堂には入らず、大聖堂の脇道をずっと歩いていく。暫くすると普段から封鎖されている聖女の庭についた。レンガで出来た高い塀が庭をぐるっと取り囲んでいるので中の様子がうかがえない。入口には先日召喚の臨時の叙任式にいた聖騎士が一人立っていた。クリスを迎えにきたマヌエルのように、オリヴィエを案内した騎士だと思われた。マヌエルと目で合図すると中へ入るように促した。


 これまで聖女の庭については場所こそ知っていたが誰入ることが許されない場所である。見習い騎士になって間もない頃に同期と近くまで見に来たことがあったが、入口は見張りの者が必ずついていた。レンガの塀を上ろうとしても必ず見つかってしこたま怒られたことを思い出す。そんな場所にまさか入れる日が来るとは思ってもおらず胸が高鳴った。

 前を向いても横を向いても木々が遠くまで生い茂っているように見え、道なりを外れるとすぐに迷ってしまいそうな程鬱蒼としている。きょろきょろと見回している間にマヌエルを見失ってしまいそうだ。周りは気になりながらもはぐれない様にマヌエルの背中を追った。


「こんなに広いとは思っていませんでした」

「ここは魔術が掛けられているんだ。外から見る規模と中の広さは比例しない。後、あの川の傍を外れると迷うから気を付けなさい」


 足元に気を付けながら指さした左下の急な坂を覗くと川が見えた。川が見えている間は正しい道を歩いているとマヌエルは付け足した。正しい道を外れるとどうなるのかと訊ねたがマヌエルは答えなかった。その沈黙が恐ろしく大きな背中から離れないように着いていった。


 森を抜けると打って変わって広々としたバラが眼を華やかに染めた。様々な色のバラが道となって両脇に植えられている。足元を見ると土の道が石畳に変わっていた。バラの壁よりも遠くを見ると澄み切った青空と草原の境目がくっきりと見えた。

 薔薇の姿や香りを楽しみながら歩いていると東屋が見えてくる。ドーム状の白い東屋の外側に立っている三人の男性がいた。フィグにハロルド、そしてオリヴィエだ。


「やあいらっしゃい」


 フィグはクリス達に気付くと笑顔で二人を出迎えた。


「お待たせいたしました」


 フィグとハロルドは一段高くなっている東屋に上がった。


「失礼します、聖女様。あなたのもう一人の騎士が現れましたよ」


 男たちの影に隠れて見えなかった少女は、ハロルドが椅子をひくと同時に立ち上がり降りてきた。

 クリスは目を疑った。歴代の聖女は色の薄い色の髪や目をしている。しかし目の前にいる少女は若々しい艶やかな漆黒の長髪、目は焦茶色だ。その風貌は聖女というより魔女である。


「聖女様、こちらがあなたのもう一人の騎士クリス・ノーブルです。いかようにもお使い下さい」


 まっすぐ見つめるくりっとした焦茶色の目はクリスを捉えると、ここにいる誰よりも姿勢を正して頭を大きく下げた。


「すみれと申します。よろしくお願いします」

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