第三話 真夜中の式典

 寝る前にホットミルクを貰って部屋に篭った。鎧戸の縁に腰をかけてマグカップを掌で包むとぬくもりがじんわりと伝わる。星が瞬く綺麗な夜空を眺めながら夕食でのスカーレットの言葉を思い出していた。

 スカーレットの言うことは最もだ。それでもクリスにはずっと重荷だった。白銀色の髪だけで勝手に期待されて勝手に失望される。まるで自分が必要とされていないような虚しさを感じることも少なくなかった。


(スカーレットも教官も認めてくださっているのに足りないと思ってしまうなんて)


 己の欲深さが嫌になると一人自嘲の笑いを漏らした。


「あ」


 夜空を一筋の光が長い長い尾を引いた。今この瞬間だけ、時間がやけにゆっくり進んでいるのではないかと思うほどだ。

 この流星は吉兆か凶兆かどちらだろう。今はわからなかったが、クリスの心に巣くっていた鬱屈した思いは流れ星と共にどこかに流れて消えていた。考え込んでも仕方のないことだ。思いっきり伸びをしてからベッドにもぐりこんだ。


◆◆◆


 階下からドアを叩く大きな音で目が覚める。風を入れるために透かしていた鎧戸からはまだ星空がしんしんと瞬いている様子が見える。椅子にかけていた足首まですっぽり隠れるローブを羽織り、火を灯したランタンと剣を持って階段を下りた。スカーレットも物音で目が覚めたのか後ろからついてくる。クリスは持っていたランタンを渡し、ここで待っていてと目で合図を送る。スカーレットはわかったと頷き返した。

 すぐに剣を抜けるように構えドアの近くによる。力強く叩かれたノックは鳴りやまない。そっとドアを開けると、ランタンの明かりで下から照らされた褐色の男と目があった。


「クリス・ノーブルはいるか」

「私ですが」

「私は聖騎士のマヌエル・ヘリオットと申す。大司祭様並びに聖騎士フィグ・フェレメレン様の遣いで参った。至急支度をし共に参られよ」


 遠くから見るだけで一生見えることないようなとんでもない方々からの呼び出しに仰天し、その理由も訊ねることも出来ず「わかりました」とだけしか言えなかった。

 すぐに二階に戻り、寝間着を脱いで騎士見習いの正装に着替えた。長い髪を一つにまとめて後ろに垂らす。


「クリス、一体何があったんだい」

「よくわからないけど聖女の騎士様からの命令みたいだから、すぐに行ってくるよ」


 スカーレットは心配そうな顔をしながらも頷いた。クリスは支給された青色の剣帯を締め玄関先で待ってるマヌエルと共に家を後にした。


◆◆◆


 明け方の前、建物の中はまだ賑やかな声が聞こえるが、通りはぽつぽつと人がいるだけだ。すっかり酔いつぶれて道端に座り込んだ人やご満悦で足取り軽く家路につく人が歩いている。色欲に染まった小さな通りをマヌエルは脇目も振らずまっすぐと突き進んでいく。城下町もまだ眠ったまま静まりかえっていた。

 

 城門に近づくと門番はマヌエルを見ると即敬礼をする。クリスは敬礼を返した。マヌエルは頷いて城門のすぐそばにある小門を開けるように促した。

 小門をくぐり大通りを歩く。見回りの兵士が歩いているだけで、昼間の賑わいが嘘のように静かだ。朝もこれくらいならいいのにと頭の隅で邪念が掠める。暫くすると二手に分かれた道にさしかかる。普段は左手側の大聖堂へと行くがマヌエルは王城の道を進んだ。クリスは大聖堂にむかわないマヌエルに疑問を投げかけたかったが、重苦しい雰囲気に口を開くこともできなかった。

 城の門を警備する王都騎士はマヌエルを見るとすかさず門を開いた。クリスが敬礼をしている間も立ち止まることなく一定の速さを保ちながら先へと進む。クリスは慌てて速足でマヌエルの後を追った。

 

 夜の警備に携わる王都騎士がいるだけで、話し声もしない王城は二人の大理石の上を歩く靴音が城内を響かせた。奥へと進むにつれクリスの心臓は大きく鼓動する。謁見の間の門が開かれると息をするのも忘れてしまうほど緊張感がピークに達しそうになっていた。


「失礼いたします。クリス・ノーブルを連れてまいりました」


 青い絨毯の両脇に並べられた燭台には火が点っている。幻想的であるが、異様な雰囲気は不気味だった。直立不動の姿勢をとっている両手で数えきれる人がいる。

 王座に座っているのは間違いなく国王陛下だろう。傍に立っているのは輪郭からして大司祭と聖女の騎士が二人、マヌエルと同じ聖騎士が一人だと思われる。それからクリスと同じ騎士見習いが一人いた。他にはフードをかぶった数人立っていた。彼らが何者かは想像すらできない。


「跪け」


 極度の緊張感から呆けていたクリスはマヌエルの低い声ではっと我に返り、慌てて片膝をつき頭をさげた。


「よい。こちらへ」

 

 陛下に呼び寄せられマヌエルは立ち上がり前へと進む。それに倣ってクリスは真っ赤になった顔を俯かせたまま着いていった。見習い騎士の隣に立つとそれがオリヴィエだと漸く気付き驚きから声をあげそうになるのを抑えひゅっと喉だけがなった。オリヴィエと視線が合うとお互いに戸惑っている様子だけは伺えた。


「急な呼び出しをすまなかったな」

「と、とんでもないことでございます、陛下…」

 

 クリスの声は緊張のあまり語尾は消え入るように小さくなってしまう。

 フィグは「私から」と一歩前に出て話し始めた。


「叙任式を控えているが、君たちに先だち役職を与えることとなった」


 二人は思わぬ話に驚いて顔を見合わせた。フィグがこほんと咳をする。弓の弦のように背筋をぴんと張り前を向いた。クリスはどこを見ればいいのかわからないと言うように顔は前にむけたが目玉は細かく泳いでいた。

 フィグは跪くよう言い、それに従う二人を見てから言葉を続けた。


「オリヴィエ・リリジェン・レスター、およびクスティーン・ノーブル。本日付で聖女の騎士に任命する」

 

 クリスはついに驚嘆の声をあげてしまう。フィグはまた咳ばらいをし沈黙を促した。


「ただし聖女は正式なものとみなさず、とする」

 

 見習い?聖女の見習いなど聞いたこともない。言うまでもなくそれを今此処で問うことはできない。


「オリヴィエ・リリジェン・レスターは謹んでお受けします」

「く、クリスティーン・ノーブルは謹んでお受けします…」

 

 訓練でも正式な行事に出る練習をすでに行ってはいたものの、クリスは状況を読み込めない事態に頭からすっかり抜け落ちてしまい、オリヴィエの真似をするしかなかった。


「これにて叙任式を終えます」

 

 フィグは陛下に体を向け胸に手をあてた最敬礼をすると周りにいた人も呼吸を揃えて倣った。クリスとオリヴィエは一間ずれて最敬礼をした。

 慣例の叙任式とは違い、蝋燭の揺れるあかりのもと、華やかな音楽もなく、人数は数える程しかいない異様な雰囲気で締めくくられた。


「驚いただろう」

 

 張り詰めた空気を和ますような柔らかな声がする。それまで眉根を寄せて厳格さを際立たせていた国王は全く異なり、優し気に目を細めて言った。


「陛下…」

「堅苦しいことは終わったのだから構わないだろう?それにこれは秘匿の式典だ」


 ハロルドはいたずらっぽく笑う国王を咎める言葉が続けることが出来ず、ただ困り呆れた顔をしていた。フィグは肩をあげ「いつものことだ」と顔が言っている。国王は立ち上がり聖女の騎士に任命されたばかりで戸惑っている二人の元に近づいた。


「失礼ながら、秘匿の式典とはどういうことなんでしょうか」


 声を固くし、少し震えた声でオリヴィエが訊ねる。国王の姿を拝見するのも恐れ多いというのに国王自ら立ち上がり近づいてきたことで二人はまだ緊張感の渦に飲まれていた。


「うん…君たちは召喚の儀のことは聞いているかい?」

「聖女を呼び寄せるという…え、あれは噂ですよね?」

「いや実際に行われた。つい先ほどな」


 つまりは聖女ローズの体も思わしくない噂は真実味を帯びているとクリスは憂心を抱く。


「では成功したのですか?」


 一同は何も答えなかった。失敗したとも言わなかった。フィグは誰も口を開かなさそうだと察し言葉をつなげた。


「そのあたりは次の聖女…に逢った時に詳しく話そう。とにかく、聖女が降臨されたことはまだ民衆に発表する予定はない。今は聖女が二人いる状態だ。混乱を招く恐れがある。とはいえ聖女を呼び出したからには騎士を付けなければいけない。そこで騎士学校の教官に相談したらおまえたちを推薦された。成績を見せて貰ったが問題ないだろうと判断した」


 昨日の夕方にがっかりした顔をみせていたわけが分かった気がした。心からの期待を裏切っていたのだと思いクリスは罪悪感は心の痛みで実感する。


「これからの任務については追って連絡する。それまでは自宅で待機するように。騎士学校もこれにて卒業とみなす。勿論これらのことはトップシークレットにより、口外することを禁ずる。いいな」


 クリスとオリヴィエは背筋を弓に張った弦のようにまっすぐ正して敬礼をした。

 

 オリヴィエはまだ城に残ると言われ、クリスは先に出ることにした。城門を抜けると東の空からは昇る夜明けを告げる陽の光に目が眩んだ。昨夜もよく眠れていない。眠気はあるがそれ以上に興奮で胸がどきどきしていた。


(私が…聖女の騎士)

 

 幼い頃に読んでもらった聖女の絵本、可愛らしい聖女と凛々しい騎士の絵が思い出される。憧れの聖女の騎士は今現実になっているのだと思うと自然と口が緩みそうになる。正式に発表されるまでは秘密にしなければならないと判っていても高揚感は抑えられそうにない。

 

◆◆◆


「ただいま…」


 昨夜寝付いてからマヌエルがやってくるまで二時間くらいしか経っていない。スカーレットはまだ眠っているだろうか。音を立てないように玄関を開けて小声で中の様子を伺った。


「おかえり」


 スカーレットは見送ってくれた時と同じようにローブを羽織ったままテーブルでお茶を飲んでいた。


「起きていたの?」

「そりゃあ気になってね。いったい何だったんだい」


 口外厳禁の儀式を終えた後、城を出る前にフィグに呼び止められたことを思い出す。


「本来なら家族にも口外することも禁止されることなんだが君には別途頼みがあるんだ」

「なんでしょうか」

「君の母君はエスメ・ノーブルの娘で、今でも王都の外れで魔女として働いているかい?」

「はい…確かにそうですが…」

「当分の間、召喚された聖女を匿う家を探しているんだよ。本来なら大聖堂でお守りするべきなんだが、彼女のことは公にできないだろう?そこで君の家でお願いしたいんだよね」

「そんな高潔な方に居住していただくような家なんかじゃありません。普通の庶民の家ですし。それに外れとはいえ娼館も近くにありますし…」

「いや普通の家が良いんだ。とにかく今は聖女とわからない方がいい。君が傍にいることも併せて一石二鳥なんだ」


 戸惑ってばかりのクリスに断る理由を考える時間を与えないようとするかの如く即座に手紙を差し出した。プラス、とびっきりの愛想のよい笑顔つきで。


「これに正式にお願いする文章と契約書をいれてあるから母君に渡してくれ」


 懐から出して改めて見ると王家の印章が重い。断るなと言っているようなものだ。スカーレットに両手で恭しく手紙を渡した。すぐに印章に気付いたスカーレットは店に置いてあるペーパーナイフと羽ペンを取りに行った。手慣れた様子で一気に封を切り手紙を開ける。一通り目を通し、羽ペンでサインを書くと紙は鳥の形に変貌する。窓をあけると飛び去った。


「え、了承したの?」

「勿論さ。断る理由なんかないだろう?」


 即時即決のスカーレットに呆気にとられた。普段からあまり迷うことのない気持ちのいい女性だと町でも評判だが、気軽に決められることでもない内容なだけにクリスは独りまごまごしていた。


「でも聖女様だよ?高貴なお方だよ?うちは、その普通だし、なんなら環境的には良いとは言い切れないよね」

「お上はそれもお見通しさ。私らは上が決めたことをとやかく言うような立場じゃない。それに言っただろう?お役が与えられたならそれを全うするだけさ」

「もし何かあったらどうするの?」

「馬鹿だね。何かがないようにお守りするのがあんたの仕事さ」

「それはそうだけど」

「そんなに肩肘張ってないで。クリスは聖女の騎士に見合う実力があるのは上も認めているんだ。胸を張ってしっかりやんなさい」


 クリスの両肩を叩くように落とし包み込んだ。服の上からでも暖かい太陽のような手のぬくもりが伝わった。

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