第二話 萎んだ夢

 すっかり日が暮れている。大聖堂は朝と変らずごった返している。人々の疲れた顔を横目で見ながらそこから逃げるように人混みを抜け帰路に就く。掴まってもどうしてやることも出来ないと、クリスは胃からこみ上げる苦さに気付かないふりをして足早に駆け抜けた。

 大聖堂を少し離れると重苦しい空気が和らいだ。城下町に立ち並ぶ店も店じまいを始め、今日の晩御飯がどうのとか、これから飲みに行こうと男たちが奥さんの愚痴を背中に受けながら宿屋通りへと向かい始めていた。クリスは男たちに紛れてついていくように宿屋通りに入った。一日の疲れを晴らすように賑わっていた。大きく開けられたあちこちの窓や門からは乾杯の音頭や音楽がひっきりなしに聞こえてくる。

 更に奥へ進むにつれて、道には艶っぽい女性が店の前で色気を振りまいて立っている。美しい花に誘われた男達はふらふらとジグザグに歩き回っている。今日の客を手ぐすねをひくように建物からも色めいた匂いがしていた。相手をみつけた娼婦は相手の腕に絡み店の中へと消えていく。


「こんなところに修道女がいるなんて」


 クリスは肩を強く掴まれ足を止めざるを得なかった。肩を掴んだ男からは酒の匂いがプンプン臭ってきた。当然身の毛がよだつほどの不快さはあるが、表情を崩さずにすかさず手をとって男の背中側に回すと、痛みから悲鳴があがる。


「残念だけど修道女ではないし客はとりませんよ」

「いてててて、何者だ」


 門の傍で壁に背中を預けている女性の高らかな笑い声がした。


「あははは、お客さん、その子は娼婦じゃないよ。将来の騎士様さ」

「なんだと?こんななりで騎士ぃ?」

「たとえ修道女だとしても手を出すなんて信仰心が足りてないんじゃないかねぇ」


 男はじろじろとクリスの顔、正確にはひとつにまとめ後頭部から垂れ流した白銀色の髪を凝視していたが、『信仰心』という言葉が心の一番奥にある愛国心を刺激したのか罰が悪そうに顔を背けた。クリスが手を離すと舌うちをする。


「道を歩く女性に手をだすことのないよう、ちゃんと店を選んでくださいね」

「悪かったよ、間違えちまって」


 素直に謝罪の言葉を口にする男にクリスは仕方がないと許し苦笑した。酒が入っているとはいえマナーは守るようにと言いつけると体の大きな男は後頭部をかきながら身を縮こませ頷きながらもう一度謝った。


「まあまあ、うちにも可愛い子いるよ、良かったら遊んで行きな」


 女性が店の中を指さすと、グラマラスな娼婦が手招きしていた。男性は誘われるがまま店の中へ入っていった。


「クリスも災難だったね、というかあんたに声をかけたあの人の方が気の毒か」


クリスが男の腕をとった様子を女性が適当な身振りで再現してくくくと喉を引っ掻くように笑った。クリスは声に出さず口角をあげ眉を下げた。


「今日もお客さんが多いね」

「大聖堂に人が集まっているだろう?助けを請う人が多いと城下町は賑わって、うちらにも恩恵があるってもんさ。それよりもうすぐ叙任式だってね。どこに配属されるか目星はついているのかい」

「それは全然。地方騎士で希望は出したけど」

「あんたが地方騎士!腕は良いのに勿体ないんじゃないか?地方騎士選ぶくらいならこの辺の用心棒でもやっておくれよ。あんたになら皆良い金額出すと思うよ」

「お姉さん方のあしらいが上手いから私なんて必要ないでしょう。この辺は警吏も回っているし」

「それはそうだけど、あんたがこの町からいなくなったら、スカーレットも寂しがるよ。私らもね」

 

 物心ついてからこの宿屋通りで育っているクリスは町の人からも可愛がられていた。特に目立つ白銀色の髪は、聖女を思い出し恐れ多く思う人が少なくないせいか、曰くつきの客は減って、質のいい客が増えたという逸話がある。


「まあ、あんたが決めた道なら皆応援するさ。頑張るんだよ」

「ありがとう」


 クリスは女性に向かって手をプラプラと振った。子供の時からの癖である。思わず手をひっこめお辞儀をするが、女性も手を振り返した。ひっこめた手を恥ずかしそうにもう一度振り直した。


 娼館を抜けた先の小さな丘の上にポツンと一軒の二階建ての家がある。他の家は全くない。それでも振り向けば宿屋通りの賑わいは微かに聞こえており寂しさは感じさせなかった。家の明かりを頼りに足早に丘を登って行くと、シチューの匂いが漂ってきた。

 玄関のドアノブには『closed』の札がかかっていた。まだ鍵はかかっておらずドアを開けるとカウベルがコロンと軽やかな音を奏でる。クリスはドアについている先が曲がった部分を壁に取り付けてある輪っかにかけて施錠した。

 家の中は薬草や湿った土の香りがする。建物の一階はスカーレットの店だ。壁沿いに置かれた棚には瓶詰の薬草や様々な植木鉢が所狭しと並べてある。緑の多さだけでいうなら城下町にある花屋のようだ。とはいえ花屋ほど華やかでもなく、此処に置いてある植物は薬にも毒にもなる扱いの難しいものも少なくない。

 カウンターを抜け店の奥に行くと食卓でスカーレットは本を読んでいた。


「ただいま」

「おかえり。遅かったね」

「まあ、ね」


 そう言うとスカーレットは察したとでも言わんばかりに苦笑いをした。今日の様に陽が落ちるまで帰ってこない日は大抵遅刻したことが原因なのである。


「手を洗ってきな、すぐにご飯だよ」


 洗い場に置いてある木のバケツから、井戸で汲んできた水を杓子ですくい手を洗って口を濯いだ。火照った顔をバシャバシャと洗うとひんやりとして気持ちが良い。帰ってくるのを見計らって汲んできたのだろう。


「ささ、食べよう」

「いただきます」


 大きく切られた野菜や鶏肉が沢山入っているクリームシチューはクリスの大好物である。スプーンで割れる程柔らかく炊かれた野菜は甘くて美味しい。クリスはスカーレットの作るクリームシチューに一日続いていた緊張の糸が緩んだ気がした。


「もうすぐ叙任式なんだろう」

「うん。地方騎士の希望を出したら教官に叱られちゃった」

「地方騎士?」


スカーレットは声のトーンを少し下げた。クリスは咀嚼中人参を思わず喉に流し込んでしまう。詰まりを覚え食道付近をどんどんと強めに叩いて、グラスに注がれたお茶を流し込んだ。


「ほ、ほら、この髪だと目立つでしょう。聖騎士や王都騎士だとうまくやれる気がしないんだよね。地方の領主様のところで雇ってもらった方が、同じように勘違いされても町の規模が小さいほうが馴染みやすいと思うんだ。もし地方騎士になれなくても王都からは出て働くつもりだよ」

「馬鹿言ってんじゃないよ。そんなものどこに行ったって変わりはしないさ。地方なら受け入れられるなんて甘いこと言ってんじゃないよ。あんたは剣の腕も良いんだし、天から賜った力は民衆のために活かしなさい。それがノーブル家の掟だよ」


 スカーレットは常々民衆のためにと言う。予言の力を持った強い魔女の先代、つまりはスカーレットの母親もよくそう言っていたそうだ。


「誰もが聖騎士や王都騎士になれるわけじゃないんだ。上から仰せ付け通りに行いなさい」

「そうは言っても…」

「それじゃあ訊くけど、その髪が他の色だったら断っていたのかい?」


 今までも違う色だったら良かったのにと思うことも少なくなかった。美しい髪を褒められることは嬉しかったが、聖なる力を持たないことでからかわれることもあった。酷いときには珍しい毛色だと誘拐されそうになったこともある。その度に強くならなくてはと自分に言い聞かせてきたクリスは強くなろうと剣の腕や体術を磨き上げた。

 喜ばしいことに、それらはクリスには向いておりメキメキ上達した。騎士学校にもすんなり合格し夢であった騎士の道が開けたとクリスもスカーレットも諸手を挙げて喜んだ。しかし日々通うにつれて、クリスはどことなく元気を失っていく。それもこの髪をからかわれ、聖なる力を持たないことを蔑まれ、悪目立ちばかりすることがクリスの心を疲弊させた。それでも決してひるまず精練を重ねた。おかげで陰口を叩く輩を実力で黙らせるまでには実力がついた。

 それでもクリスの心は決して晴れなかった。例えこのまま王都騎士や聖騎士になっても見返してやれるなど強気になれるわけではない。


 幼い頃から読み聞かせてもらった絵本が大好きで、物語の騎士になりたいと思っていた。それが夢だった。夢はすでに萎んでしまい心の奥に仕舞いこんだのである。

 

 クリスの諦めにも似た感情を伴わない笑顔にスカーレットはため息をついた。


「勿論地方騎士に任ぜられたのなら構わないさ。でも髪の色だけで人生を左右する決断はやめなさい。いいね」


 クリスはただひとつ頷き、残りのシチューを口に運び続けた。

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