第八話 波乱の旅路

 外は暗闇に包まれている時間帯にベッドから起き上がる。隣で横になっているすみれに声をかけると、彼女もすぐに身体を起こした。

 朝の支度をしてダイニングに行くと、昨晩と同じようにいつもより豪勢な朝ごはんが用意されていた。昨日やってきたすみれにとって休む暇もない旅立ちだ。スカーレットはそんな彼女を労わって用意してくれたことにクリスは感謝した。

 朝食を平らげて荷物の点検をしていると、約束の時間ぴったりにオリヴィエが門を叩いた。

 行きましょうと声をかけるとすみれは緊張した面持ちで静かに頷いた。


「とにかく休めるときには休むんだよ。無理はしないようにね」


 スカーレットは薬や少しのお金を入れた袋をクリスに手渡ながら言った。


「わかってるわ。騎士学校でも充分叩きこまれてるもの」

「それでも旅は初めてでしょう?油断しないで」


 スカーレットはクリスの額にキスを落とした。


「辛い時には必ずクリスを頼りなさい。この子はこう見えて誰よりも強いわ。誰よりもあなたの味方になるはずだから」


 すみれをぎゅっと力強く抱きしめた。緊張を隠せないすみれはスカーレットの背中に手を回す。スカーレットは少しでも緊張をほぐしてやろうと、彼女の母親の気持ちで背中をポンポンと叩いた。


「そろそろ行こうぜ。日が昇りきる前に」


 薄いベールがかかったのように徐々に白みだした空を見てオリヴィエが急かす。すみれは名残惜しそうにスカーレットから離れた。


「行ってきます」

「ああ!いってらっしゃい」


 丘を下っていく際にすみれは少し振り返った。隣で歩くクリスもまた同じように振り向いた。

 スカーレットはずっと手を振って見送っていた。


◆◆◆


「おはようございます。お待ちしておりました」

「マヌエル様?どうしてこちらに」


 王都の入口で思わぬ見送り人にクリスは驚いた。これから始まる叙任式には聖女の騎士補佐官であるマヌエルも参加する。準備に忙しいはずだ。


「フィグ様からお見送りをするように言いつけられていました」

「わざわざありがとうございます」

「それからこれを」


 マヌエルはすみれの前で箱を見せてから蓋を開けた。中には銀色のオリーブの冠を模したペンダントが入っている。


「ローズ様よりあなた様に。道中役に立つから肌身離さず身につけるようにと仰っていました」

「ありがとうございます」


 すみれはそれを手に取って首の後ろに手を回して金具を止める。クリスは少し乱れた髪を整えるとすみれは微笑んだ。


「すみれ様は国民の希望です。どうかお気をつけて」


 マヌエルは胸に手を当てた。クリスとオリヴィエも同じように姿勢をとり、間に立ったすみれはお辞儀をした。

  今日は正式な叙任式の日だ。本来ならばクリスとオリヴィエも同期と並んで王城に向かうっていたはずだ。きっとどういう結果になろうとも門出を祝い、胸を高鳴らせていただろう。


(いけない。まだ訓練生の気分でいるんだわ)


 クリスはすみれを横目で見て、見習いとはいえ自身が聖女の騎士の自覚を持たねばと奮い立たせ胸を張った。


◆◆◆


 エネロの町までは馬車で二日と半日くらいの距離だ。土の道をガラガラと車輪が勢いよく回転する。東向きの窓には山肌を超えて日差しが差し込んできた。


「昨日はよく眠れましたか?」

「はい。おかげさまで。クリスさんもスカーレットさんもよくしてくださったので」

「それは良かった。旅の間は出来る限り宿でお休みいただけるように努力しますが、 どうしても野宿を強いてしまうこともあると思います。休める時にはきちんと休むのは旅の基本です。疲れたら我慢せずに必ずお申し出ください」


 すみれはこくりと頷いた。心配してくれることは素直に嬉しかったが、身に余る肩書が居所の悪さを助長させた。

 自分が聖女だという自覚はまだ持てなかった。

 それも当然である。数日前にそれまでの常識が全く通じない世界に飛ばされたのだ。聖女がどういう存在なのか教えてもらったが、それまで自分はただの女子高生で人に自慢できるような取柄もない。取るに足らない自分が世界を救う聖女だと言われて誰が信じようか。

 すみれは二人にため息だと気付かれないようにゆっくりと静かに息を吐いた。


「と、堅苦しいのはこれくらいにしましょうか」


 オリヴィエは空気を一変させるように手を叩いた。


「この旅は俺たちの関係を悟られないことも重要です。聖女と騎士としてではなく、 

俺たち三人が共に旅をしても自然な関係性が良いんですよね。因みにすみれ様のご年齢は?俺たちと変わらないと思うんですが」

「最近、十六になりました」

「やっぱり!俺は十九でクリスは十八だったよな」

「え、ええ」

「それなら普通に友達同士かギルドで偶然出会ってパーティを組んだ旅人で良いんじゃないか?とにかく互いに遠慮しない間柄の方が自然でいいだろう。どうでしょう」


 オリヴィエの申し出はすみれの顔をぱっと明るくさせた。


「そうしてくださると私も嬉しいです。名前も呼び捨てで構わないし気楽に話してください」

「じゃあ決まりだな。改めてよろしく、すみれ」


 オリヴィエは手を差し出すとすみれは両手でぎゅっと握りぶんぶんと振った。あまりの空気の変わり振りにクリスはついていけなくて唖然とするばかりだった。


「クリスもそれでいいな」

「それは…でも流石に不敬が過ぎない?」

「本人の意思に反することも不敬だと思うけど?」


 オリヴィエはにやりとして首を傾げた。すみれを慮っての正論にクリスは反論する余地がない。


「クリスさん、本当にその方が気楽なんで、どうかお願いします」

「わかりました…」


 クリスはすみれと握手をしようとしたその時、馬が嘶き馬車が大きく揺れた。クリスはすぐにすみれの頭をかばって抱き寄せる。

 男のうめき声があがった。走っていた馬車の窓から男性が地面に転がっていく様が視界を走り、ついに馬車はバランスを失って横転した。クリスはすみれにけが一つ負わしてはいけないと体を捻じって背中から落ちた。


「クリスさん!大丈夫ですか」

「どうした?」

「クリスさんが背中を打ったみたいで…私をかばったせいで」

「少し打っただけで問題ありません。下にチェインメイルを着ていて良かったわ。それよりもお怪我はありませんか」

「私は平気」

「何よりです」


 暫く馬の呻く声が続いたが、次第に聞こえなくなった。


「ちょっと外の様子を見てくる。二人は此処で待っててくれ」


 誰も怪我をしていないことを確認すると、オリヴィエは天井にかわったドアを少し押し上げて、外の様子を伺ってから出た。

 残された二人は息を潜めて大人しく待った。クリスは神経を尖らせて外の様子を伺う。誰かが近づいたらすぐに剣を抜けるように左手は鞘を握った。すみれは必死で息を殺しカタカタと身体を震わせていた。


「大丈夫です。我々がいます」


 殆ど息を吐くくらいの声で「はい」と返事をした。怖がって当然だ。クリス自身も初日にまさかこのような事態になるとは思ってもいなかった。野盗の仕業なら今にもこの馬車に不届きものが群がってもおかしくないが嫌に静かだ。襲撃者が何者かがわからないことが恐怖をあおった。

 かたんと音がする。すみれは物音に体をびくんと震わした。クリスは更に力を込める。


「敵はいない。とりあえず外に出よう」


 ドアを開けたのはオリヴィエだった。クリスは力が少し抜けた。オリヴィエの伸ばした手にすみれが掴まって先に外に出て、クリスは自力で這い上がった。


「きゃっ」


 先に出たすみれの小さな悲鳴の方を見ると、四頭いた内の二頭の大きな馬の肢体が倒れ込んでいた。その陰に御者の足が見える。クリスはすみれにそれ以上凝視しないようにと庇った。オリヴィエは矢が首にささった御者に近づいた。


「御者は?」


 オリヴィエは眉間に皺をよせて首を横に振った。


「馬と同じで首を一突き、即死だ。野盗かと思ったけど何も盗られていない。食糧や生活品はおろか、乗る前にマヌエル様から渡された報酬もそのままになっていたよ。まあ…野盗なら俺たちを放置するわけないだろうけれど」


 倒れたキャビンを叩いて言う。オリヴィエの言うように、いかにも客を乗せていると言わんばかりの馬車を無視をする野盗は居ないだろう。


「殺しが目的?まさか聖女様を狙ってる?」

「まさか。そんなわけないだろう?まだ正式に発表はしてないんだぜ?とにかくとどまり続けるのはよくないな。すぐにここを離れよう」


 オリヴィエは懐の魔法石を取り出して青い炎の松明をたてた。青い炎は蔓延るモンスターや野犬が近づけないので現場保全が可能である。


「御者の方にも松明を立ててくるからここで待ってろ」

「わかった」


 クリスはすみれに声をかけようとした。しかしすぐに躊躇った。

 すみれは御者の遺体に近づきしゃがみ込んで手を合わせている。見慣れない仕草だったが、御者や馬に哀悼の意を示していることがわかった。傍に寄ってすみれと同じ目線になり背中を擦る。


「彼はどうなるの?せめて亡骸は家族の元に帰してあげられますか?」

「きっと大丈夫です。これから宿駅に寄って彼のことを知らせ、常駐してる騎士に知らせます。この辺は王都の方が近いから遺体は大聖堂に運ばれてきちんと埋葬されるはずです」

「せめて安らかであれば」

「そうですね」


 もしかしたら自分が狙われてるのかもしれないとすみれは嫌な考えが過ったが、あえて訊ねなかった。もし本当にそうだとすれば自分のせいで御者が死んだことになってしまう。そのことに向き合う勇気は持ち合わせなかった。胸の真ん中に氷が落ちるような冷たさを感じた。

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