四限目 花は短し花見よ乙女 後編

 はぁ、胸糞悪・・・

 イーベルジュの先導に従ってやって来たのは人気のない奥まった森林地帯。二千年も自分を縛り付けたあの忌々しい場所を彷彿とさせる。

 この女、何のつもり?

 先導するイーベルジュの背中を睨み付ける。

 シェニーとの奇妙な共同生活が始まってしばらく経つがこの女とシェニーが会う機会は数える程度しかなかった。

 授業のルーチンもある程度把握したが、この女が教壇に立つ授業を受けているのを見たことがない。

 ヴィレッタが知る限りシェニーとイーベルジュに接点はほどんどない。そんな奴がシェニーをこんなところに呼び出して何を話すというのか。

 考えるほどに不信感が募り、イーベルジュへの警戒が強まっていく。

 そんなヴィレッタの様子など知る由もなく、イーベルジュは歩みを止めて振り返る。


「この辺りでいいだろう。座ってくれ」


 そう言って木を背に座り、シェニーにも座るように勧める。シェニーはすぐには座らずおずおずと切り出した。


「先生・・・。あの時は本当にすみませんでした!」

「あの時?」

「森でのことです。噂で聞きました。わたしのせいで先生が罰を受けたって。いつかきちんと謝りたいって思ってたんです」

「あぁ、そのことか。君が気に病む必要はない。全ては僕の不手際が招いた失態だ」

「でも・・・」

「生徒を守るのは教師として当然のことだ。僕の選択が生徒を危険な目に遭わせてしまった。それだけの話だよ」


 シェニーは納得していない様子だったが、イーベルジュの有無を言わせない眼差しに圧されそれ以上は何も言わなかった。

 しばしの沈黙が流れる中、イーベルジュは仕切り直すように咳払いをする。それを聞いたシェニーが地面に腰掛けたのを確認してから口を開く。


「ミス・ローレリア。最近の君は飛ぶ鳥を落とす勢いだそうじゃないか」

「ありがとうございます!」

「聞くところによると進級試験の時は魔法を使えなかったとか。それが闘春祭ではミス・ユフェルコーンに勝つほどに強力な木の魔法を使っていたね。僕も見させてもらったよ。とても学生とは思えない魔法だった」

「えへへっ、それほどでもないですよぉ・・・」

(浮かれてんじゃないわよ間抜け)

「ひどい!?」


 教師に褒められて嬉しいシェニーとは対照的に猜疑心を秘めた目でイーベルジュを睨み付ける。

 シェニーは気づいていないようだが微笑み混じりで彼女を褒めるイーベルジュの瞳は微塵も笑っていない。隅々まで監視するかのような鋭い視線がシェニーを捉えていた。

 何を考えているかは分からないがこの女は何かを探っている。それだけは理解できた。

 いっそ乗り移って口八丁で乗り切ろうかとも考えたがそれも難しい。

 相手が疑っている以上こちらも下手に動けないのだ。


「ドラシィ先生やガンダリン先生からも君のことを聞いたよ。努力を惜しまないとても優秀な生徒だとね。そんな君に是非御教授願いたい・・・」


 そこで言葉を切り、獲物を捉えた猛禽類の如き眼光でシェニーを見据える。


「あの魔法はどこで、誰に教わった?」

「・・・っ!?」

(こいつ!?)


 核心に迫る質問に流石のシェニーも異変に気づいたらしい。今更助けを求めるような視線を向けてくるシェニーに呆れて閉口する。


「杖も詠唱も使わない魔法を教える授業などうちにはない。であればそれは君が我流で習得したものか、あるいは誰かに教わったものだ。違うかい?」

「それは・・・」

(黙ってなさい!今考えるから!)


 しゃべればボロが出るシェニーを黙らせ打開策を考える。

 本で読んだと答えさせる?駄目だ。

 何を読んだかと聞かれてボロが出る。適当な名前を言っても徹底的に調べるだろう。そこで嘘だとバレれば余計に怪しまれる。

 人に聞いた?それはもっとありえない。

 封印が解けてからというものシェニーを介してこの時代の知識を調べてきた。だが、血唱術の存在はどの文献にも記されていなかった。万象礼術のみが魔法として残っているこの時代に誰が血唱術を教えるというのか。

 考えを巡らせれば巡らせるほど思考が堂々巡りしていく現実にヴィレッタの焦りは募っていく。


「答えられない、か。まぁいいさ。誰にだって秘密はある」


 シェニーから視線を外して顔を上げる。木陰から差す春の木漏れ日を眩しそうに見つめていたイーベルジュはそのままの姿勢で語り始める。


「こうしているとあの課外授業のことを思い出す。あの日もこんな天気だった」

「えっと、はい・・・」

「あの日僕は信じられない光景を目の当たりにした」

「信じられない光景?」

「君が徒手空拳で魔物を打ち倒すところだ」

「あっ・・・」


 見られてた!!

 久しぶりの大暴れに夢中で警戒を怠っていた過去の自分を呪い殺したくなる。

 まさかこんなに厄介な目撃者がいたとは・・・。


「我が目を疑ったよ。悪い夢じゃないかとも思った」

「えっと、それはその・・・」

「思うにあの時からだ。君が体を鍛えるようになったり魔法が使えるようになったのは」

「・・・っ!!あ、あの!それは・・・」

「そこで僕は一つの仮説を立てた」


 再びシェニーに視線を定めたイーベルジュは腹の底を見透かすような瑠璃色の瞳を向ける。

 その目に籠もった気迫にシェニーは思わず目を逸らして身じろぎする。その仕草は何かを隠してると答えているようなものだったがそこで平静を装えるほどの腹芸など望めるはずもない。


「君は森の精霊から知恵を授かったのか?」

「・・・はい?」


 あまりにも予想外な言葉に二人の目が点になる。そんな二人の様子などおかまいなしに明後日の方向に持論を展開する。


「あの森はとても不思議な場所でね。周囲に漂う魔力の濃度が比較的濃くなっているんだ。今までその理由が分からなかったが、あの森に人智を越えた精霊が住み着いていると考えれば説明もつく」

「はぁ・・・」

「それなら魔物を倒せたことも急激な成長も納得できる。魔物は体に乗り移った精霊に倒してもらって知識はそうすればいいと助言されたんだろう?」

「え、えーっと・・・」


 大分間違っているが全くの間違いというわけではない。

 どうすればいいかわからないのだろう。シェニーは困惑した様子でイーベルジュとヴィレッタを交互に見ていた。


(・・・こいつアホなの?)

「さぁ。あまり話したことないので」

「上位存在からの叡智の伝授。古今東西あらゆる国に類似した伝承が残されている。僕が生まれた国では海の向こうから神がやってきて神託を下すなんて話もあった」

「はぁ・・・」

「そのような存在がもし目の前に現れたら聞いてみたいものだ。空白の歴史のこととかね」

「空白の歴史?さっきルジーちゃんが言ってたような」

「ミス・ドワルホルンは実に見事なレポートをまとめてくれた。それを題材にしてみないかと持ちかけたのは僕なんだ」

「そうなんですか?」

「あぁ」


 徐に立ち上がり、シェニーに背を向けたイーベルジュは近くにあった木に手をついて言う。


「他にも色々理由はあるが、教師としてこの国に来たのはインセィズ王国に存在する空白の歴史に興味があったからだ。この国の歴史にはおよそ2000年前を境にまるで穴が空いたかのように資料が見つからない期間がある」

「2000年前・・・?」


 シェニーは傍らに漂うヴィレッタに視線を向けてきた。


「先生が生きてた時代ですよね?何かあったんですか?」

(特になかったはずよ。今みたいに平和だったわ)


 長きにわたる封印のせいで記憶の大半が磨耗しているものの、今のように平和で穏やかな時代だったことは覚えている。少なくとも大きな戦争が起きた記憶はない。

 小声で話し合っている二人の様子を知ってか知らずか、イーベルジュは背を向けたまま話を続ける。


「君はエルフを知っているか?」

「えるふ?」

「森と共に生き、魔法の扱いに長けた人とは似て非なる種族だ。永遠にも等しい長命と長く尖った耳が特徴だ」

「長く尖った耳・・・!それって!」

「あぁ。ガンダリン先生だ」

(やっぱりね)


 あの耳を見た時から気づいていた。

 エミーの長くて大きな耳。あれはエルフの特徴だ。

 何故そんな話を?

 突然振られた無関係な話の意図を読み取ろうとするヴィレッタに思いがけない言葉が投げかけられる。


「知っての通り、ガンダリン先生は海外の魔法学院を卒業してこの学園に来た。恐らくこの国唯一のエルフだ」

(唯一?そんなわけないでしょ)

「先生?」


 イーベルジュの言うことが理解できなかった。

 あのガキが唯一のエルフ?

 数は少なかったがエルフの集落はいくつもあった。多少の差別はあったものの人間とエルフは互いの領分を越えずに共存し、森から出て街で暮らすエルフだっていた。

 2000年程度ならまだ生きているエルフがいてもおかしくない。それが一人もいない?

 迫害か?それはありえない。

 一つの種族を根絶やしにするほどの苛烈な迫害があったなら歴史書に記されているはずだ。

 少なくとも今まで読んできた本にそんな記載はなかった。


「2000年以前の文献ではエルフの存在を確認できた。だが、空白の歴史を経て現在に至るまでの文献にエルフの存在は認められなかった。まるで突然消え去ったかのように」

(エルフが消えた?)

「不思議ですね」

「エルフだけではない。いくつかの知識や伝承も不自然なほど綺麗さっぱり失伝している。まるで誰かが意図的に葬ったかのようにね」

「意図的に?」

「あぁ。特定の情報だけが都合よく抜け落ちているんだ。そこに人為的な意図があると考えるのが自然だろう?もし人為的なものだとして誰がなんのためにそんなことをしたのか・・・不思議に思わないか?」

「はい!面白そうですね」

「そうだろう?君もそういった不思議なものを見たことはないか?」

「はい!前に森で・・・」

(馬鹿!!)

「えっ?あっ!」


 失言を振り返って慌てて口を塞ぐが時既に遅し。肩越しに振り返ったイーベルジュはにやりと口元を歪めて笑っていた。


「なるほど。あの森で何を見た?」

「えっと、あの・・・誰も見てません!」


 自分の失態に歯噛みしながらイーベルジュを睨みつける。

 イーベルジュがシェニーを呼び出した理由。恐らく不審な行動を見せるシェニーの正体を暴くことが目的なのだろう。

 途中で投げてきたトンチンカンな推論は油断させて判断を鈍らせるためのフェイクだったのかもしれない。あの推論によってこいつはただのバカなのだと決めつけまともな助言をしてやれなかった。

 そのせいでシェニーの馬鹿正直を止められず森に何かがあるという致命的な情報を渡してしまった。

 自分という存在が露呈すればどうなるか分からない。よくてシェニーごと危険分子として拘束、最悪の場合・・・。


(やるか?)


 頭を過る最終手段を頭を振って否定する。

 敵はこの女一人とは限らない。彼女の仲間、あるいは上役が報復に来る可能性もある。

 何より教師を殺害するという暴挙のためにシェニーが体を貸すとは思えない。

 胃を直接掴まれているかのような焦燥と不快感に襲われるがどうにもならない。

 自分達はこの女にしてやられたのだ。


「そうか・・・。話は以上だ。長々と引き止めて悪かったね」

(えっ?)


 ヴィレッタの思惑に反し、イーベルジュはあっさりと追及をやめた。

 意図が読めず困惑するヴィレッタをよそに今度は心からの笑みをシェニーに向ける。


「いえ!面白いお話が聞けて楽しかったです!歴史って面白いんですね」

「ふふっ、そう言ってもらえて嬉しいよ。今僕達が生きているこの世界、この大地は全て過去に生きた人々が築いた礎の元に成り立っている。それを忘れないで欲しい」

「はい!」


 そう言うとイーベルジュはシェニーの方へと歩み寄る。

 警戒するヴィレッタの予想に反してあっさり通り過ぎていくその最中、すれ違うその一瞬でイーベルジュは静かに囁いた。


「もし君に師がいるのであれば伝えてくれ。失伝した血唱術をどこで覚えたのか教えて欲しいとね」

「えっ?」

(なっ・・・!?)


 どんな文献、どんな魔法使いの口からも出てこなかった言葉。それを事も無げに出してきた事実に驚き振り返るも既にその姿はなく、風に揺れる木々の囀りだけが鳴り響いていた。




 イーベルジュと別れて皆のもとに戻る道すがら、シェニーは先ほどのやり取りについて考えていた。

 しかし考えたところで何かがわかるわけもない。堂々巡りの思考に頭を抱えているところでヴィレッタが声をかけてきた。


(シェニー。あいつには気を付けなさい)

「はい。あの、イーベルジュ先生はどうしてあんなことを言ってきたんでしょうか?」

(さぁね。でも、疑われてることだけは事実よ。それだけは忘れないで)

「はい!」


 ヴィレッタの忠告をしかと胸に刻んで頷く。

 今までは目の前の事だけに追われてそんなことを考える余裕もなかったが、言われてみればおかしいことだらけだ。

 魔法が使えなかった生徒がある日を境に魔法が使えるようになってついには無敗の女王と謳われたレンデに勝つほどにまで成長する。

 今時三文芝居でもないような筋書きだ。

 しかしそれが起きたのだから当然怪しむ人間も出てくる。

 幸いすぐにどうこうということはなかった。

 だが、今後何かがあったとして家族や友人にまで被害が及ぶようなことがあれば・・・。

 その可能性に至り額から冷や汗が垂れる。

 今後はもう少し周囲に気を配る余裕も持っていこう。

 そう決意したシェニーの耳になにやら楽しげな声が聞こえてきた。


「あっはははは!レンデ先輩それ反則ですよ!!」

「しょ、小生笑いすぎてお腹が・・・!」

「レンデリアさんがこんなに面白い人だなんて思わなかったよ。もっと怖い人だと思ってた」

「無敗などと呼ばれていたのですからそう思うのも詮無きこと。そのイメージが払拭できたようで何よりです」


 見れば先ほどまで馴染めるかと不安になっていたはずのレンデが輪の中心となって盛り上げているではないか。相当面白い話を聞かされたのかリーチェとドナはお腹を抱えて笑い転げ、ルジーも口元に指を当ててクスクスと笑っている。


「みんなーおまたせー!」

「おかえりなさい。シェニー」

「ただいま。すごく盛り上がってるみたいだけど何の話してたの?」

「聞いて下さいよシェニー先輩!レンデ先輩ってば・・・」


 レンデは人差し指を自分の口元に当てて制した。


「ふふっ、内緒です」

「えーずるーい!教えてよーー!!」


 シェニーが必死でせがむも頑として教えてくれず、二人の押し問答は夕焼けに染まりゆく春空に響き渡っていた。

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