二限目 成果は一日にしてならず 前編
課外授業での魔物騒動から一夜明け、イーベルジュは事の顛末を報告するために学園長室を訪れていた。
「魔物は討伐され生徒、教師共に全員が帰還。負傷者が出たものの皆命に別状はありません。報告は以上です」
「ご苦労。大変だったね」
エデルバは淡々と読み上げられる報告を静聴する。報告を終えたイーベルジュは深々と頭を下げた。
「此度の失態は全て私の不徳の致すところ。どのよう処罰をも受ける所存です」
埃一つない校長室の絨毯を見つめながら振り返るのは己の行動。
行方不明になった生徒を探しに森に入ったイーベルジュは鷹と共に捜索を行い、地と空から懸命に捜索するも生徒は見つからなかった。
一旦足を止め、憲兵隊に捜索を依頼するよう学園長に提言しようかと考えていたところで何かを見つけた鷹が戻ってきた。
最初は生徒が見つかったのかと思ったが鷹が空中で描いたサインは危機。
置いてきた生徒達に危機が迫っているというものだった。
押し寄せてくる後悔に歯噛みするイーベルジュに穏やかな声がかかる。
「頭を上げたまえ。ミス・イーベルジュ」
言われた通りに頭を上げる。
報告を受けたエデルバの顔に怒気や苛立ちの色はなく、今日の天気を訊ねるような温和な声で問いかけてきた。
「何が最善だったと思う?」
「独断で捜索せず憲兵隊に捜索を依頼するよう学園長に提言すべきでした」
「そうかもしれない。だが、今更そんなことを論じたところで何の意味もない。わかるね?」
「はい・・・」
生徒達を置いて捜索に向かったことが発端なのだからその責は当然自分にある。
誰も死ななかったからいいという問題でない。
「何故そのような判断を下したのか。おおよそ見当はついている」
「・・・」
エデルバはイーベルジュの右手に視線を向けた。
「君の判断が生徒達を危険な目に遭わせた。それは事実だ。しかし、あの時の君はその場で考えうる最善策として生徒の捜索と安全を両立させた行動を取った。そうだろう?」
「はい」
「君の判断はそこまで悪いものではなかったと思っている。経験の浅い生徒達と夜の森で人を捜索するなど到底不可能だからね」
「ありがとうございます」
「それに、これは君一人の責任ではない。毎年訪れている場所だからと調査を怠った私にも責任はある。事前調査を徹底していれば・・・言っても栓のない話だな」
「仰る通りです」
肩を竦めるエデルバに苦笑を返す。最善策というものはいつも終わってから思いつく。
「何があろうと君一人だけに責は負わせない。お咎めなしとはいかないだろうが理不尽な厳罰だけは阻止すると約束しよう」
「寛大なお心遣い感謝します」
「此度の教訓を胸に生徒の模範となり彼らを守り導く師となれるよう精進したまえ」
「はい・・・」
イーベルジュが一礼するとエデルバも満足そうに口元を緩めた。
それも束の間。
咳払いをしたエデルバは顔を引き締めて再度問いかける。
「ここからは君個人としての見解を聞きたい。・・・エレア。何があった?」
「ふふっ、フィデルはなんでもお見通しだな。正直なところ、僕自身この目で見た光景が未だに信じられない」
「何?」
「魔物は討伐されたと報告しただろう?あれをやったのは僕じゃない・・・」
シェニーにとって人生を変えるほどの出会いから早くも一週間が経過した。
魔物を虐殺し返り血塗れで気絶していたシェニーは駆けつけたイーベルジュによって回収され他の生徒達と共に学園に帰還。
すぐさま保険室に放り込まれ三日間の絶対安静を言い渡された。
外傷はほとんどなかったが問題はその内部。無理矢理動かした反動で筋肉がズタズタになっていたのだ。
魔法薬を併用した治療と毎日お見舞いに来てくれたルジーのおかげで順調に回復し、ようやく始まった薔薇色の学園生活は・・・
「」
「シェニーちゃん・・・。起きてシェニーちゃん!」
「ミス・ローレリア・・・。私の授業は寝るほどつまらないですか・・・?そうですよね。あなたはとても優秀で常によい成績を修める模範生。こんな根暗で声の小さいゴミクズの授業に価値を見出せなくても無理は・・・えっ?ミス・ローレリア!?・・・し、死んでる?」
「」
「シェニーちゃーーん!?」
(この程度でへばるなんて・・・。まだまだ基礎練が必要ね)
命ごと風前の灯火だった。
魔法薬学の授業中に突如倒れたシェニーは居合わせたルジーと魔法薬学の教師、メディクリア・ドラシィによって再び保険室に運び込まれることになった。
「過労だね。短期間で体を酷使過ぎたんだろう。少し寝て休めば回復するよ」
「そうですか・・・」
「よかったぁ」
一通り検査を終え、保険医、マルシオ・ロタルクスが静かに病状を告げる。
それを聞いてほっと胸を撫で下ろす二人の横で意識を取り戻したシェニーが目を覚ました。
寝起きのはっきりとしない頭上にあるのはつい先日まで過ごしていた保険室の天井。
「あれ?またこの天井・・・?」
「シェニーちゃん!」
「わわっ!?ルジーちゃん?」
目覚めて早々抱きついてきたルジーを慌てて受け止める。周囲を見渡すとこちらを見つめる二人と目が合った。
「えっ?ドラシィ先生?ロタルクス先生?・・・わたし、どうなったんですか?」
「授業中に倒れて運ばれてきたんだよ・・・」
「えぇっ!?」
「よかった。ぴくりとも動かないからてっきり死んだものかと・・・。ミス・ローレリア?具合は如何ですか?」
「えっと、少し楽になりました。ありがとうございます!」
保険室に連れてきてくれた感謝を込めてルジーとドラシィに頭を下げる。
「生徒達を待たせているので失礼します。勤勉は美徳ですが命あっての物種です。休息を怠ってはいけませんよ」
「はい!」
「ミス・ドワルホルン。行きますよ」
「は、はい。またね」
「うん!またね!」
シェニーのことが心配なのか、ルジーは後ろ髪を引かれるようにチラチラとこちらを見る。しかし、退室を促されて保険室から出て行った。
その背を見送ったロタルクスはぽつりと呟く。
「いい子じゃないか」
「はい!大事なお友達なんです!」
「なら心配かけるんじゃないよ」
「はい・・・」
「前に来た時はもっとひどかった。自分だって怪我してるのに血塗れになった君をずっと抱き締めて離さなかったんだ。治療より彼女を引き剥がす方が大変だったよ」
「そうなんですか!?」
(あぁ。そんなこともあったわね)
「知ってたんですか!?」
「えっ?」
「いえ、先生じゃないです」
思わず返事をしてしまい困惑の眼差しを向けられてしまう。ヴィレッタは慌てて誤魔化すシェニーを底意地の悪い笑みを浮かべながら眺めていた。
「なにはともあれ、大丈夫そうで安心したよ。お昼休みまで休んでいきなさい。先生には僕から伝えておくよ」
「ありがとうございます!」
「しかし、一週間で二度も運ばれてくるとはね・・・。僕の教えはあまり役に立たなかったようだな」
「うっ・・・。ご、ごめんなさい・・・」
棘を刺すような物言いに思わず縮こまる。
(教え?)
「前に応急手当を教わったんです。魔法薬のことがもっとよくわかるかなって思いまして」
(あぁ。だからあんなに手慣れてたのね)
ロタルクスに聞こえないほどの小声で質問に答えるとヴィレッタは得心がいったような表情で手を打った。
命に別状はなく元気そうなシェニーを見届けたロタルクスは少し席を外すと言い残し保険室を出ていった。
誰もいなくなった保険室にはベッドに横たわるシェニーと・・・傍らに浮かぶもう一人。
(本当軟弱ねぇ。基礎を作る以前の問題じゃない)
「だ、だってぇ・・・」
基礎?あの筆舌に尽くしがたい地獄のトレーニングが基礎だと言うのか?
毎朝四時に熱烈なモーニングコールによって叩き起こされまだまだ肌寒い早朝の校庭を延々走り込まされること一時間。終われば休む間もなく筋トレを重点的に行う。
腕立て伏せや腹筋などその内容は基本的なものだがそれを身体強化をかけて何百回と繰り返すのだからその負荷は計り知れない。
体と魔力を毎日のように酷使する生活が始まって早四日。シェニーの心身はとうにボロボロだった。
それから授業を受け課題をこなしこの時代のことを知りたがるヴィレッタのために本を読んだりするのだから寝る時以外休まる暇がない。
過労で倒れたのもそれが原因と見て間違いないだろう。
(・・・まぁいいわ。今日はゆっくり休みなさい)
「えっ!?いいんですか!?」
(死なれちゃ困るからね)
「ありがとうございます!よーし!寝るぞー!!」
(大声出したら眠れないでしょうが・・・)
出会ってから初めての休養をもらい気合いを入れてベッドに潜り込む。
怪我人や病人が快適に過ごせるようにと設えられたベッドはとても暖かく寝心地のいいものだった。
疲れた体にふかふかのベッド。
二役揃えばすぐに眠れると思ったのだが覚醒した意識は落ちる様子がなく目は驚くほど冴えていた。
「ね、眠れませぇ~ん」
(言わんこっちゃない。横になって目を閉じてなさい。眠れなくても休めるはずよ)
「はい!・・・あの、先生」
(何?)
「少しお話しませんか?先生のこともっと知りたいです」
(却下)
即答だった。
「なんでですか!?」
(知る必要がないからよ。私はあんたを強くしたい、あんたは強くなって魔法が使えるようになる。それでいいじゃない?)
「それは・・・」
強い口調でばっさりと切り捨てられ二の句が継げなくなる。
シェニーを見据える赤黒い目は言葉よりもなお強い拒絶を示し、これ以上の詮索は許さないと言外に訴えかけていた。
何故あんなところにいたのか、何故幽霊になって彷徨っているのか、生前はどこで何をしていた人だったのか・・・。
聞きたいことは山ほどあったがそのどれ一つとして答える気はないようだ。
どうしたものかと目を閉じて頭を悩ませること数分。妙案が雷光の如く閃いた。
「そうだ!先生!」
(今度は何?)
「いっぱい特訓してすごい魔法使いになったら先生のこと教えてくれませんか?」
その言葉はヴィレッタにとって予想外のものだったらしい。しばし面食らった表情で固まったかと思うと大声を上げて笑い始めた。
(あーはっはっはっは!!!随分大口叩いてくれるじゃない!すごい魔法使いになったら?おしめも取れてないガキが粋がるんじゃないわよ)
「うぅ・・・。確かに、今のわたしはまだまだです。でも!いっぱい特訓すれば必ずうまくなります!運動だって魔法だって今よりできるようになるはずです!」
(でも魔法使えてなかったじゃない。あんただって努力してきたんでしょ?)
「うっ・・・」
図星を突かれて言いよどむ。
どれだけ練習しても魔法が使えなかったのは事実だ。そこを突かれると弱い。
どう返せばいいか頭を悩ませているとヴィレッタは聞こえないくらいの小さな声でぽつりと呟いた。
(・・・目標があった方がやる気が出るかもしれないわね)
「はい?」
(わかったわ。強くなったら話してあげる。約束よ)
「・・・っ!はい!約束です!」
シェニーは大きく頷き小指を立てた右手を前に出す。その指を呆れたような目で見つめ、盛大なため息と共に小指を交わした。
当然触れ合うことはできず、ヴィレッタの小指はシェニーのそれをすり抜ける。
それを満面の笑みで見届け、再び床に就いた。
昼休みまで休んだおかげですっかり回復し、授業に復帰できるようになった。
その前に腹ごしらえをと訪れた食堂は既に生徒でごった返しており、椅子のほとんどが先客と先約で埋まっていた。
「あっちゃー・・・出遅れちゃったなぁ」
満員御礼の食堂を呆然と眺めながら嘆息する。昼休みの席取りはいつだって戦争なのだ。
そこに学年の上下はなく皆が平等に挑戦者である。
「あのー、先生。今日は簡単な物で我慢してくれませんか?」
(嫌よ。今日は甘いものをガッツリ食べたい気分なの。ケーキでもプリンでもいいからじゃんじゃん食べなさい)
一緒になって分かったことだがシェニーが食べたものの味をヴィレッタも感じ取ることができるらしい。原理は不明だがそのせいであれを食べろこれが食べたいと毎日うるさいのだ。
「そんなに食べたら太っちゃいますよぉ」
(その分動けばいいじゃない)
「負担被るの全部わたしなんですけど!?」
横暴な発言に抗議するも当人には届いていないらしい。素知らぬ顔で食堂を見渡していたヴィレッタはおもむろに食堂の一角を指差した。
(空いてないなら合い席頼めばいいんじゃない?)
「えっ?」
指が示す方を見ると二人がけのテーブルに就いて本を読む女子生徒の姿があった。
撓わに実った麦畑のような艶やかなブロンドの髪を肩まで伸ばし、下の方で括ったそれを肩から垂らしている。
新緑の如き青緑の瞳は凄まじい集中力をもって本の頁を追う。
白磁器のような白い肌も相まってまるで精巧なドールのような美しささえ覚える少女に見覚えがあった。
「レンデリアさんだ」
(知り合い?)
「向こうは知らないと思います。有名人なんですよ」
(ふーん・・・)
「レンデリアさんと合い席かぁ・・・。受けてくれるかなぁ?」
(やな奴なの?)
「分かりません。ほとんど話したことないので」
あまり乗り気ではなかったがやらずに断れば提案を無下にされたと更に無茶を押し付けられるかもしれない。
断られたらその時だと腹を括りレンデリアが座る席へと近づき声をかける。
「あのぅ・・・」
「・・・?」
シェニーに気づいたレンデリアは本から視線を外し、青緑色の瞳でシェニーを見据える。
訝しむような視線を向けていたレンデリアは間を置いてあっと声を漏らした。
「貴女は・・・」
「えっ?」
「いえ。何か?」
「えぇっと、もしよかったらなんだけど・・・合い席、いいかな?」
その提案はレンデリアにとって意外なものだったらしい。目を丸くして黙りこくってしまった。
見ず知らずの人間にいきなり合い席を頼まれたら困惑するのも無理はない。
しかし、それも束の間。
周囲を見渡して状況を察したのか対面の椅子を勧めてくれた。
「どうぞ」
「ありがとう!」
シェニーが椅子に座る頃には目の前の本へと興味が戻っていた。後は勝手にやってくれということなのだろう。
傍らに置かれた紅茶を片手に読書を続けるレンデリアに一応断りを入れ、昼食を得るべく食堂列へと並びに行った。
魔法学園の食堂には食堂と購買の二つがあり生徒の性格や気分に合わせて食べ方を選べるようになっている。
椅子に座ってゆったりと食べたい時は食堂、外で談笑しながら食べたり時間がない時にさっと片手間に食べたい時は購買といった具合に用途が分かれている。
しかし、食堂が混んでいる時は購買で食べざるおえないという事態が発生することも珍しくない。
既に長蛇の列が形成されている食堂列に並び、今日は何を食べようかと壁に貼り出されたメニューを見ながら考える。
ヴィレッタの要望通り食後にデザートを食べるとして昼食はオムライスとサラダにしよう。
昼食を決めて満足げに頷いていると購買列の方から聞き慣れた声がした。
「シェニーちゃん」
「ルジーちゃん!今日は購買なの?」
「うん。試作品の調整したいから・・・。もういいの?」
「うん!ありがとうね!」
「えっ?私、何もしてないよ?」
「ロタルクス先生から聞いたよ。課外授業の時すごく心配してくれてたって」
「・・・っ!もぅ、言わないでって言ったのに・・・」
よほど知られたくなかったのだろう。ルジーは赤らんだ頬を両手で押さえて目を背けた。
「・・・あの時はどうなるかと思ったよ」
「本当だよ。イーベルジュ先生がいなかったらどうなってたか・・・」
(やったの私なんだけどね)
「そういうことにしろって言ったの先生じゃないですか」
一週間前、ロタルクスから事の顛末を聞かれたシェニーは颯爽と駆けつけたイーベルジュが魔物を倒して助けてくれたと証言した。
これは自分達の事が周囲に怪しまれないようにというヴィレッタの提案だった。
本人が否定すればすぐバレる嘘なのだがそれも抜かりない。
魔法が使えないシェニーがやったとは思わないだろうし真実を話したところで誰も信じないからだ。
再度問い詰められれば必死だったから記憶があやふやだったとでも言えばいいと言われていた。
しかし、どういうわけかイーベルジュはこれを否定しなかった。何故かは分からなかったが余計な詮索を回避できたのはありがたい。
遅々として進まない列に並びながらあの日の話に花を咲かせているとルジーが唐突に眼鏡を外し目を擦った。
「どうしたの?」
「うん・・・。目にゴミが入ったみたい。ねぇ、シェニーちゃん」
「なに?」
「最近、何か変わったことなかった?」
「えっ?」
突如飛んできた確信を突くような質問にたじろぐ。ある。劇的に変わったことが一つある。
いくらルジーでも言ったところで信じてくれないだろう。
「えっと、特にない・・・かな?」
(きょどりすぎでしょ)
「じゃあどうして急に特訓なんて始めたの?あんなになるまで体を鍛えてどうするの?」
「うぇっ!?それは、その・・・」
裸眼でまっすぐこちらを見据えるルジーにどう返せばいいものかと言いあぐねているとヴィレッタが助け舟を出してくれた。
(魔法は体が資本って本で読んだ、とでも言っておきなさい)
「はい!魔法は体が資本だって本に書いてあったんだ!だから試しに鍛えてみようかなって!」
「へぇ・・・」
疑念がこもった視線がより一層険しくなる。やはり納得してはもらえないらしい。
これ以上追及されてはたまらないと強引に話題を変える。
「あっ!そうだ!ルジーちゃん考古学履修してたよね?」
「えっ?う、うん」
「じゃあさ、ヴラヴラ・ドラコルンルンって人知らない?」
「えっ?」
(ヴラデヴィータ!ドランコルヤ!!)
「ひえぇっ!?」
耳下で響く大声に堪らず悲鳴を漏らす。
「どうしたの?」
「えっと・・・あっ!ヴラデヴィータ・ドランコルヤだった。聞いたことない?」
(なんで私のこと聞くのよ?)
「先生だって知りたがってたじゃないですか」
奇妙な共生関係が始まって早一週間。
まだ日は浅いもののヴィレッタが自分のことを知りたがっていることは理解できた。体を借りて手当たり次第読んでいる本の多くが歴史の本だったからだ。
ルジーはヴィレッタの名前を反芻しながら腕を組んで考え込む。その様子を見守ること数分。
ルジーは静かに首を横に振った。
「ごめん。聞いた事ない」
(はああああああっ!?もっとよく思い出しなさいよ!)
「そっか。ありがとう」
「その人って、何した人なの?」
「何って?」
「えっと、何か人のためになることをしたとか、すごく偉い人だったとか・・・。とにかく歴史に名前が残るようなことした人なのかなって」
(それは・・・えっと・・・)
ルジーの言葉にしどろもどろになって目を逸らす。
「すごく強い魔法使いだったらしいよ」
「うーん・・・そのくらいじゃ残ってないかも」
(はぁっ!?)
「大魔導師とか大賢者って呼ばれる人はいるけどそれ以上に強い人って歴史に残ってないだけでたくさんいたらしいの。その人もそういう人なんじゃないかな?」
「黙って聞いてれば言いたい放題言ってくれるじゃない!!」
「きゃあっ!?」
(先生!?)
怒髪天を突いたヴィレッタは一瞬の隙を突いてシェニーに乗り移り、ルジーの胸倉に掴みかかった。
今にも締め上げんとするヴィレッタを追い出し、すぐにルジーを解放する。
(殺す!もう殺す!!よくも虚仮にしてくれたわね!)
「やめて下さい!悪気はないんです!」
体に入り込もうとしてくるヴィレッタを押し止める。隷属の盟が効いているおかげか押し止めるのは簡単だった。
問題はこの状況だ。
ルジーは大きく目を見開いて怯えたように距離を取り、騒ぎを聞きつけた生徒達の視線が矢の如く突き刺さる。
一連の行動はとても目立ったらしい。こちらを遠巻きに眺めながらひそひそと話す声が嫌でも耳についた。
「えっと、もう行くね」
「あっ!ルジーちゃん!」
すぐに謝ろうとしたが時既に遅し。ルジーは何も買わずにそそくさと立ち去ってしまった。
残されたシェニーに全ての視線が注がれ、とても気まずく居心地の悪い空間が形成される。だが、今はそれどころではない。
「どうしよう・・・絶対嫌われちゃったよぉ」
どんな形であれ長年連れ添った大切な幼馴染にひどいことをしてしまった後悔と罪悪感が胸に去来する。
ヴィレッタはそんなことなどお構いなしに憤慨していた。
(あのガキ・・・!絶対許さないわ)
「ひどいです!乱暴することないじゃないですか!」
(私を貶した罰よ!あの程度で済ませてあげたんだから感謝しなさい!)
「そんな横暴な!」
(あー!思い出しただけで腹立ってきたぁっ!あのクソメガネ・・・!次会ったらぶん殴ってやる!)
「クソメガネじゃなくてルジーちゃんです!」
(名前なんてどうでもいい!)
どうやらヴィレッタの逆鱗に触れてしまったらしい。何に怒ってるのかは分からないがルジーが殴られることだけは阻止しなければならない。
そのためにはヴィレッタを諌めるしかないのだが逆上する彼女を正攻法で説得するなど不可能だ。
どうすればいいかと頭を悩ませるシェニーは知るよしもなかったが二人の会話は周囲にばっちりと聞かれていた。
ヴィレッタが見えない周囲の生徒達にはシェニーが虚空に向けて大きな独り言を叫んでいるようにしか見えなかっただろう。
最早恐怖でしかない。
「・・・そうだ!先生!」
(あぁっ!?)
妙案を閃いたシェニーは仁王立ちでヴィレッタに対峙する。
「ルジーちゃんにひどいことするならわたしにも考えがあります!」
(考え?あんた如きが私をどうこうできるとでも?)
「はい!やめないならこれから毎日先生が嫌いなものを食べます!」
(なっ・・・!!)
強気な態度を崩さず鼻で笑っていたヴィレッタの表情が強張った。怒りをぎらつかせた瞳でシェニーを睨むが怯むことなく続ける。
「わたしは本気です!先生が泣いても嫌がっても食べますよ!いいんですか!?」
(嫌いなものが同じだったら?)
「頑張って食べます!ルジーちゃんは大切な幼馴染です!そのくらいなんでもありません!」
(ぐぬぬ・・・!!)
視線だけで人が殺せるならシェニーはもう百回は死んでるだろう。抜き身のナイフを喉元に突きつけられているような視線に全身から冷や汗が吹き出す。
それでも目を逸らすことなく赤黒い瞳をまっすぐに見据える。諦めないシェニーにようやく折れたのか、舌打ちをして目を逸らした。
どうやら聞き入れてくれたらしい。危機が去ったことに安堵の息を吐いているとヴィレッタが思いがけないことを言ってきた。
(・・・ねぇ。好きな子の飲み物すり替えるおまじないとかあったりするの?)
「へっ?」
ヴィレッタの視線を追うと変わらず本を読むレンデの姿があった。その傍らにはカップに並々と注がれた紅茶が湯気を立てている。
「どういうことですか?」
(さっき男がカップをすり替えて逃げていったのよ。そういう恋のおまじないとかあるわけ?)
「そんなの聞いた事ないですよ」
学生達の間で流行っている恋のおまじないというものは確かにある。だがそんなものは聞いたことがない。
「もしかして・・・!」
あることに思い至り身体強化を発動させる。
ヴィレッタから教わった身体強化は杖も詠唱も使わず体を巡る何かを全身に漲らせることで発動する。学園で教わったそれとは大きくかけ離れたものだった。
特訓の時は全身を強化して長時間走ったり体を鍛えたりするそれを体の一部分だけに集中させる。
対象は鼻。
力を集中させ、嗅覚が鋭敏になったことで食堂中の匂いが一気に押し寄せてきた。
雑多に混ざり合った匂いの洪水に一瞬顔をしかめる。すぐに雑臭を振り払い、カップから漂う香りに全神経を傾けた。
「・・・っ!!」
(シェニー!?)
間違いない!あの匂いは・・・!!
カップから漂う匂いを捉えたシェニーは弾かれたように駆け出した。
そんなことなど露知らず読書を続けているレンデリア目掛けて跳び上がり、
「わぁーーー!!」
盛大にこけたふりをしてテーブルに置かれたカップを手で払った。宙を舞ったカップは小気味のいい音と共に砕けて中身を床にぶち撒ける。
「えっと・・・あぁっ!ごめん!大丈夫!?怪我してない!?」
「えぇ、大丈夫です。貴女こそ大丈夫ですか?」
「うん!ごめんね!すぐ片付けるから!」
「手伝います」
「いいよ!わたしが悪いんだから」
「ですが・・・」
「ほら、座って座って」
食堂の職員から布巾や箒を借り、周りの生徒達の手伝いもあって片付けは瞬く間に終わった。その後、レンデリアに代えの飲み物を奢り、簡単な昼食を購入して食堂を後にした。
校庭のベンチに腰掛け、食堂で買ったサンドイッチで簡単な昼食を済ませているとヴィレッタが声をかけてきた。
(そろそろ話してくれてもいいんじゃない?なんでカップ割ったの?)
「あのお茶には
(発熱薬?)
「危険薬物に指定されている魔法薬でジンガーの根とソシ、モロヤの葉、その他薬草等を一週間薬液に浸して成分を抽出し抽出液を三日三晩焦がさず煮詰め・・・」
(薬効だけでいいから!)
「飲めば風邪みたいな状態になる薬です。殺傷力はないんですけど要職に就いている人に飲ませてお仕事を妨害したり重病に見せかけて遺産を巻き上げるみたいな犯罪に使われる薬なんです」
(よく知ってるわね・・・。なんでわかったの?)
「発熱薬は無味無色なんですが特徴的な匂いがあるんです。すり替えたって言うから薬を盛ったんじゃないかって思いました」
(あの距離から匂い・・・?)
ヴィレッタは口元に手を当て、何かを考え込むような素振りを見せた。
(でも、毒を盛るにしては片手落ちもいいところよね。毒殺ならもっと強い薬使えばいいじゃない)
「殺す気なんてないですよ。あれは多分・・・」
話している途中で校庭にいる生徒達が俄かに騒ぎ出した。
「レンデリアさんが決闘するってよ!」
「相手誰?」
「6年らしいぞ」
「6年でもなきゃ相手にならんだろうな」
どこかを目指して走っている生徒の会話を聞いたシェニーもベンチから立ち上がって同じ方向を目指す。
(レンデリアってさっきの奴よね?決闘って言ってたけど・・・)
「行けば分かりますよ」
昼休みや休憩時間等になれば癒しを求めて人が集まってくる学園の中庭は今、多くの生徒でごった返していた。続々と集まってくる生徒達についてきたシェニーも人並みを掻き分けて渦中の人物を探す。
「いました!」
視線の先ではレンデリアと茶髪の男子生徒が手に杖を持って対峙していた。
(なにやってんのあれ?)
「詳しいことは知らないんですけど、昔からよく決闘を挑まれてるんです。今まで負けたことがないくらい強いんですよ」
(あぁ、それで発熱薬ってわけね)
「あの人が盛ったんでしょうか?」
(証拠がないからなんともね。まぁ、飲んでないなら勝てるんじゃない?)
続々と集まるギャラリーの視線の先では今まさに決闘が始まろうとしていた。
「僕はルース・ショパーナ。ミス・ユフェルコーン。僕が勝った暁には・・・わかっているね?」
「はぁっ、はぁっ・・・!どのような相手でも、約束は・・・約束、です・・・!」
ルースと名乗った男子生徒は笑みを浮かべながら観察するような視線をレンデリアに向ける。
対するレンデリアは傍目から見ても異常だった。風に吹かれる小枝のように体が揺れ、息も荒く声も弱々しい。
「そんな!なんで!?」
(盛り直したのかしら?同じ手に引っかかるなんてバカね)
「その言葉、忘れてくれるなよ!!積土の礫!」
言うが早いかルースはレンデリアに杖を向けて叫ぶように唱える。
詠唱に呼応して中庭の土が浮き上がりレンデリアに襲い来る。
レンデリアはふらつく右手を左手で支えながら対抗呪文を唱えた。
「
レンデリアの正面に身長と同じ高さの竜巻が瞬時に現れ迫り来る礫をことごとく弾き飛ばす。
「きゃっ!」
「あぶなっ!?」
弾かれた礫が観客を襲う。しかし、そんなことはお構いなしに声援を贈る。
「レンデリアさーん!がんばれー!」
「レンデリアさんおかしくない?」
「具合悪そうだよね」
「これを防ぐか・・・ならば!!」
更に力を込めて礫の数を増やす。
弾き飛ばされた礫達も弾かれたそばから獲物に喰らいつく猟犬のようにレンデリアを襲い、気がつけば四方八方から礫の波状攻撃を受ける形になっていた。
四方を竜巻の防壁で守るレンデリアだがその消耗は測り知れないのだろう。額から脂汗を流し、手足を小刻みに震わせるその姿は最早立っていることすら精一杯なように見えた。
(6年ってどれくらいすごいの?)
「最上級生です」
(それでこの程度?しょっぼ)
「うぐぅ・・・!!」
4年も学んで魔法一つ使えなかったシェニーに心ない言葉が突き刺さる。その間にも戦局は刻一刻と動いていた。
「そろそろ限界なんじゃないか?そらっ!」
ルースが真一文字に杖を振る。竜巻に突撃しては弾かれていた礫達が竜巻の流れに逆らわず風に乗って回り出す。
そしてレンデリアがいる内側へと回ってきた礫達はそこで飛び出しレンデリアに殺到した。
「ぁっ・・・!!」
「レンデリアさん!!」
礫はレンデリアの杖を弾き足を払いその場に転倒させる。
気力だけで立っていた体は立ち上がる素振りも見せず、ただ荒い呼吸を繰り返すだけだった。
「嘘・・・!」
「レンデリアさんが負けた?」
予想だにしなかった事態に観客は騒然と立ち尽す。そんな中、勝者のルースだけが天を仰ぎ高らかに笑っていた。
「ふっ、ふふ・・・はははははっ!!やった!やったぞぉ!!ユフェルコーンの次期当主はこのルースだぁっ!!」
「そんな・・・」
(・・・ふーん。なるほどねぇ)
「先生?」
勝利を宣言したルースは未だ立ち上がる素振りを見せないレンデリアへと歩み寄る。
「ミス・ユフェルコーン。君があの約束を掲げた時から僕はずっと考えていた。どうすれば確実に勝てるかとね。その成果がようやく実ったというわけだ」
レンデリアの手を取り、くつくつと笑う。
「僕を学園に追いやったお父様、お母様・・・そして僕を見下し続けた愚兄よ!!僕はお前達を超えた!!今度はお前達が僕を見上げて媚びへつらう番だ!!まずはユフェルコーン卿へのご挨拶だ。その後は・・・くっくっく。お楽しみはこれからだ」
「卑劣な手を使う方は数多おりましたが、ここまで下卑たものは初めてです」
「はっ?」
「旋風の嚆矢!」
「ぐわぁっ!!」
静まり返った中庭に凛とした声が響く。次の瞬間、ルースの体は遥か後方へと吹き飛ばされた。
「だ、誰だ!?決闘中の横槍なんて卑怯だぞ!!」
「卑怯なのはどちらでしょうか?」
強い意志が秘められた声にその場にいた全員が振り返る。
なんと倒れていたはずのレンデリアが悠然と佇んでいるではないか。転倒したにも関わらず体には傷一つなく、服にすら汚れが見られない。
「レンデリアさん!」
その佇まいに先ほどまでの弱々しさはなく、決闘中とはまるで別人なレンデリアの姿にその場にいる誰もが戸惑いを隠せなかった。
「敬意の欠片もない卑劣な武の応酬。これは最早決闘ではありません」
「馬鹿な!何故動ける!?何故魔法を撃てる!?杖は弾いたはずだ!あれの効果もまだ・・・はっ!?」
「効果?それは一体何の効果でしょうか?」
「いや、それは・・・その」
「あぁ。ご友人に指示して入れさせた発熱薬のことでしょうか?」
「何故それを!?」
「ずっと見ていました。カップをすり替えるその瞬間も」
「なっ!?」
「何故魔法を撃てるか、でしたね。それは杖を持っているからです」
そう言うとレンデリアは制服の袖のボタンをはずして腕を捲る。露出した腕には包帯が巻かれ、そこに杖が固定されていた。
「なにぃっ!?」
「あまりにも卑劣なやり口だったのでこちらも詭道を使わせていただきました。卑劣な輩にかける本気はありませんが、続けますか?」
杖を向け、闘志を秘めた目で睨みつける。
企みが挫かれ戦意を喪失したのか、ルースは膝を突いたまま呆然と空を見ているだけだった。
それを降参と受け取ったレンデリアは踵を返し、その背中には惜しみない声援が贈られる。
「うおおおお!!レンデリアさんかっこいい!!」
「私もあんな風になりたい!」
「やっぱ無敗は伊達じゃないって!」
ギャラリーが口々に褒め称える中、レンデリアがこちらに視線を送っていることに気づく。目が合うと恭しく一礼して去って行った。
(ありがとう。ってことなんじゃない?)
「でも気づいてたんですよね?お節介だったでしょうか?」
(さぁ?それより朗報よ)
「朗報?」
疑問符を浮かべるシェニーにヴィレッタはにぃっと口元を歪めて笑う。
(まだ早いと思ったけど気が変わったわ。魔法の特訓、始めるわよ!)
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