一限目 家庭教師は最強魔女 後編
赤い霧が消失し静寂を取り戻した地下室でシェニーはむくりと体を起こす。
ゆらり、ゆらりと体を揺らしながら立ち上がる彼女の口からは普段の彼女からは想像できないような不気味な笑みがこぼれていた。
ゆったりとした足取りで部屋の一角にある姿見へと移動し己の姿を鏡に映す。
鏡には首元で短く切り揃えられた艶やかな黒髪と澄み渡る湖畔のような藍色の瞳を持つ少女が映っていた。
口角を吊り上げ不敵な笑みを浮かべながら両手で顔を触る。
指を押し返すほどのハリと弾力を持つ肌に満足げに微笑むとシェニーの体を動かす何かはダンスを踊るかのように鏡の前でくるりと一回転した。
「ふ、ふふふっ・・・。ついに、ついに体を手に入れたわっっ!!!苦節二千年!やっとここから抜け出せる!こいつがお人好しの間抜けで本当に助かったわ」
拳を高々と突き上げ勝利の雄叫びを上げるその姿にかつてのシェニーの面影はどこにもない。
「力が漲る・・・!思った通り、とてつもない魔力だわ。ちょっとでかくて田舎臭いのが気になるけど、これから変えていけばいいだけよね。さーて、何をしようかしら?まずは街で腹ごしらえね。二千年ぶりの食事よ。どんな味か想像もつかないわ・・・その後は酒をたらふく飲んでそれからそれか・・・らぁっ!?」
鏡に映る自分を見つめながら今後のことを考えていた何かは予想外の異変に上擦った声を上げた。
「・・・んぅっ?ふぁ~あ・・・」
目を開けると鏡の前に立っていた。何が起きたのか?ここはどこなのか?起きたばかりのぼんやりとした頭で考える。
鏡に映る自分を見ているうちに段々と頭が冴えてきてこれまでの経緯を少しずつ思い出してきた。
変な声に導かれて地下の不思議な部屋にやって来てそれから・・・
「・・・あれ?何も、ない?夢だったのかな?」
周囲を見渡すが部屋に変わった様子もなく変な声も聞こえない。あの声が誰のものかはわからないが何も言わないということは用はもう済んだのだろう。
そこまで考えて自分がなんのために森に来たかを思い出しあっと声を漏らす。急いでポケットに入れてある懐中時計を探す。
「あれ?羽がない?」
ポケットをまさぐるも先ほど入れた羽の感触がない。
恐らくここに来る途中で落としたのだろう。そう結論付けて懐中時計を取り出す。
二本の秒針は待ち合わせ時間がとうに過ぎていることを告げていた。
(はぁっ!?ちょっ!?どうなってんのこれ!?)
「わぁっ!もうこんな時間!みんな怒ってるかなぁ・・・」
(待ちなさい!)
「えっ?」
急いで帰ろうと駆け出したシェニーを声が押し止めた。
声を荒げ抗議するようなそれに足を止めて振り返り、目に飛び込んできた異常に体が硬直した。
見上げた視線の先にはどす黒い血の赤を髪と目に宿した女がいた。
年はシェニーよりも幾分か上に見える。年上だとは思うが母ほど年がいってるようには見えない。
酸化し凝固した血のようなどす黒い赤髪を腰まで無造作に伸ばし、同じ色の瞳は怒気と困惑を孕んだ視線をシェニーに向けている。
髪と瞳とは裏腹にその身に纏う真紅のドレスは朝焼けのような情熱的な色調で彩られていた。
それだけなら全身に赤を纏った美女なのだが問題はその有り様だ。
何故宙を漂っているのだろうか?いや、浮いているだけならまだわかる。
自分の体を浮かせる風の魔法があるからだ。
だが、体が透けて向こう側が見えるのはどういうわけだろうか。
それは魔法では説明できない。
宙に浮いて体が透けている存在。本や絵物語を好んで読むシェニーには大いに心当たりがあった。
それは・・・
「・・・お、お化けぇーーーっっっ!!??」
(何で効いてないのよぉーーっっ!!??)
しばしの沈黙の後、二人はほぼ同時に絶叫した。
「ど、どちら様ですか!?」
(それはこっちの台詞よ!
「わたしはシェリンドル・ローレリアっていいます。長いならシェニーって呼んで下さい」
(名前聞いてるんじゃないわよ!あんたを奴隷にして体を乗っ取る計画が台無しじゃない!どうしてくれるのよ!?)
「そんなこと考えてたんですか!?」
(ノコノコついてくる方が悪いんでしょ!言われるがままにサインまでしちゃって・・・。警戒心なさすぎて引くわ)
「ひどい!ところで、そのれーぞくのめいってなんですか?」
(サインした人間を奴隷にする契約よ。本来ならあんたの身も心も支配できたはずなのに!)
「そんな怖いものだったんですか!?」
(ちょっとは警戒しなさいよバカ!)
「バカって言う方がバカなんですよ!」
(はいバカって言ったあんたバーカ)
「ならあなたはバカバカバカです!」
(だったらあんたはバカバカバカバカ・・・!!)
未就学児以下の恐ろしく不毛な言い争い。
恥も外聞もかなぐり捨てた子供じみた言葉の応酬はシェニーが肩で息をし始めたところで終わった。
「はぁ・・・!はぁ・・・!もう帰ります!」
(こっちだって用済みよ!二度と面見せるな!)
「呼んだのはそっちじゃないですか!もぅ・・・」
頬を膨らませて怒り心頭なシェニーはズンズンと階段を上がっていく。
(あっ、あれ?)
階段を中頃まで登ったところで後ろから声がした。振り返ると赤髪の幽霊がついてきているではないか。
「ついてこないで下さい!」
(違う!体が引っ張られて・・・!)
シェニーの傍まで漂ってきた幽霊は凄まじい速度でシェニーから離れようとする。
(ふんっ!ふんっ!ふんぬーー!!!)
何度離れてもある程度距離が離れたところで再び元の位置に戻される。
そんなことを数回繰り返した辺りで幽霊は声を戦慄かせて推論を述べた。
(契約が・・・逆転してる?)
「それって、わたしがご主人様ってことですか?」
わかっていても現実を受け止めたくないのは人も幽霊も変わらない。
幽霊は憤怒の形相でシェニーに詰め寄り胸倉を掴んだ。物に触れられないその手はローブをすり抜けるだけなのだが掴むふりでもしなければやってられないのだろう。
(なんてことしてくれたのよぉーーっ!!?)
「書かせたのそっちですよね!?」
更に首を揺らすかのように掴んだ手を前後に揺らしながら叫ぶ。
(ミスよ汚点よ大失態よ!!こんなガキの奴隷になるなんて・・・)
「だから書かせたのあなた・・・」
(耳かっぽじってよく聞きなさい!あれは文字通りの隷属契約よ。一度サインすれば奴隷が死ぬまで解除は不可能。そして主人が死ねば奴隷も死ぬっていう一蓮托生の契約なの)
「それって・・・」
(何があってもあんたから離れられないしあんたが死ねば私も死ぬって事)
「えぇっ!?じゃあずっとついてくるんですか!?」
(私だっていやよ!何が悲しくてあんたみたいなでくの棒の子守りしなきゃいけないのよ!)
「誰がでくの棒ですか!」
やいのやいのと言い合いを続けながら地下を抜けて森に出る。日没が迫った森は夕日に染まり、夜闇が頭をもたげ始めていた。
「早く帰らなきゃ!あの、幽霊さん!」
(幽霊さん言うな!)
「じゃあなんて呼べばいいんですか?」
シェニーの問いに幽霊は不敵な笑みを見せて胸を張る。そして手を胸に当て高らかにその名を口にした。
(ふっふっふ・・・。聞いて驚きなさい。私こそが当代に並ぶものなしと言わしめた烈血の魔女、ヴラデヴィータ・ドランコルヤよ!!)
その名を聞いたシェニーは腕を組んでしばし考え込み、首を傾げながら言った。
「・・・ごめんなさい。聞いたことないです」
(はぁっ!?あんた教養なさすぎなんじゃないの!?)
「そんなことよりヴラヴラさん!」
(誰がヴラヴラよ!ヴラデヴィータ様と呼びなさい!!)
「ヴィレッタさん!帰り道教えて下さい!」
(話聞いてる?)
長ったらしい名前だったので愛称がヴィレッタに決まってしまった。
「帰り道わかりますよね?」
(えぇ。でもお断りよ!帰りたいなら自力で帰りなさいな)
「そっかぁ・・・。じゃあわたし死んじゃいますねー」
(えっ?)
死ぬという単語にヴィレッタの表情が強張る。そんなヴィレッタに背を向け相手の勘所を抉るように畳み掛ける。
「夜は暗いし寒いから凍死しちゃうかもしれませんし、魔物や野獣に食べられちゃうかもしれませんよ?わたしが死んだらヴィレッタさんどうなるんでしたっけ?」
(ぐぬぬ・・・!こ、このガキぃ・・・!!わかったわよ!ついてきなさい!)
「はい!ありがとうございます!」
(白々しい奴ね・・・)
シェニーに恨みがましい視線を向けるがいくら恨みを込めたところで何もできない。
契約が逆転してしまった以上シェニーからは離れられないし彼女が死ねば自分も死ぬ。その事を悟ったヴィレッタは観念したようにシェニーの前に立って先導し始めた・・・その時だ。
「・・・っ!!」
(何?)
人の叫び声のようなものが木々の間を反響して二人の耳に届く。その正体にいち早く気づいたシェニーは居ても立ってもいられずに駆け出した。
「入り口まで案内して下さい!早く!!」
(はぁっ!?偉そうに命令するんじゃ・・・ちょっ!先行かないで!あんた道知らないでしょーーーっ!!)
言いつけは至極簡単。行方不明になったシェニーを探しに行ったイーベルジュを待つ。たったそれだけの簡単な言いつけを守るだけだったはずの生徒達は一触即発の危機に陥っていた。
「Guuuuuuu!!」
「ギャギャギャギャ!!」
彼らを取り囲むのは大小無数の魔物達。
その中には魔物に精通しているわけではないルジーでも知っているほど有名な個体もいた。
成人男性ほどもある巨大な狼、ビゴーヴルフの群れに3メートルはあろうかという巨躯を誇り丸太をそのまま削り出したような棍棒を携えた人型の魔物、ゴーヴル。
それらを中心とした魔物達の群れは目をぎらつかせ生徒達との距離をじわりじわりと詰めていく。
逃げようにも既に取り囲まれており、身を寄せ合い震えるだけで精一杯だった。
「ど、どうしよう!?」
「どうしようって、俺達で倒すしかないんじゃないか?」
「無理無理!こんなのレンデリアさんじゃないと勝てないって!」
「クソー!なんで魔薬履修してないんだよー!」
「Guaaaaaa!!!」
「ヒィッ!?」
その略し方、なんか嫌だなぁ・・・。
一瞬の選択が明暗を分ける危機的状況の中、ルジーは自分でも驚くほどに冷静だった。絶対に生き残れるという無根拠な安心があるからではない。シェニーのためにも死ねないからだ。
この場を切り抜けるための最善策。
それを瞬時に導き出したルジーは魔物の群れに一歩踏み出して背後で震える生徒達に叫ぶ。
「みんな!ナイフ貸して!」
その声に触発された生徒達は弾かれたように一人、また一人と持ってきたナイフをルジーに渡す。
ルジーはそれらを地面に置き、ポケットから杖を取り出した。
杖を体の一部と捉えるように神経を研ぎ澄ませ、杖の先に意識を集中させる。
「
喉の奥底から張り上げるような大声で叫ぶ。
その声に呼応して杖の先に光が灯り、無機質に横たわっていたナイフ達が命を得たように浮かび上がった。
金属でできたものを操って動かす鉄の魔法だ。
杖を勢いよく突き出すと浮遊するナイフは取り囲む魔物達に殺到する。全てが命中したわけではなかったがそのうちの何本かが魔物達の目や体に深々と突き刺さった。
「aaaaaaaahhhhh!!!」
予想外の反撃にのたうち回り、傷口から夥しい鮮血を流しながら逃げていく。
「すごいじゃんルジー!」
「ドワルホルンさんすげー!」
背後から生徒達の賞賛が贈られる。ルジーは今の攻撃に慢心せず残った魔物達に杖を向ける。
ルジーの眼力に圧されたのか魔物達は警戒してわずかに距離を取る。中には恐れを成して逃げ出す個体もいた。
これで全員が退いてくれれば万々歳、イーベルジュが戻るまでの時間が稼げれば御の字だ。
お願い・・・退いて・・・!!
魔物達を睨みながらルジーは心の中で祈る。今のは所謂ハッタリ。あの程度の攻撃で魔物を倒せるとは思っていない。狙ったのは小型の魔物ばかりでゴーヴルは一切攻撃していない。
いや、できなかった。
やろうと思えばゴーヴルの両目を潰すことも可能だったがもしやっていれば痛みと怒りで半狂乱になったゴーヴルが暴れ回り更に危険な状況になっていただろう。
ナイフを使い切った以上後がない。
魔物達を注視するために前だけに意識をやっていたからこそ気づかなかった。
「かは・・・っ!?」
背後からの一撃に。
ルジーの体は突然背後から突き飛ばされ数秒間宙を舞う。そしてその勢いのまま魔物達の前に転がり出た。
「ルジー!」
「うわぁっ!後ろにもいるぞ!」
体を強かに打ったらしい。
全身を焼き尽くされるような痛みと息苦しさで意識が朦朧とする。
体から剥がれそうになる意識を必死に保ちながら振り返ると子供ほどの大きさの醜悪な魔物の集団が藪の中からぞろぞろとこちらに向かってきていた。
群の力で獲物を狩る小型の魔物、ゴボリドだ。
見渡せば黒煙のようにどす黒く揺らめく命が自分達を取り囲んでいた。
どうやら転倒した時に眼鏡が落ちてしまったらしい。
最早打つ手がないという事実だけが視界いっぱいに広がっていた。
前門ではゴーヴルが自慢の怪力で棍棒を振り上げ後門ではゴボリドが手に手に武器を持って生徒達を取り囲んでいる。
「シェニー、ちゃん・・・」
ゴーヴルはルジー目掛けて棍棒を振り下ろす。
重厚な質量を持った死が恐ろしくゆっくりと迫る。本当に遅いのではない。ルジーにはそう見えるのだ。
十秒もかからないうちに棍棒はルジーごと地面を抉り、ルジーだったものは血と骨と人体を構成する数多の破片となって散らばることになるだろう。
目前の死を前にして胸中に浮かぶのは恐怖でも絶望でもない。最期の景色への後悔だった。
最期に見るのがこんな気持ち悪い色だなんて・・・
揺らめく色が生を営むこの世界で誰よりも光り輝くあの尊い光が今際の景色であって欲しかった。
どうせ死ぬなら目が眩むほど眩しい彼女という存在をこの目に納めながら死にたかった。
ささやかな願いはもう叶わない。それを望むだけの時間が残されていないのだから。
迫り来る現実から目を背けるように目を閉じる。だが、その瞬間はついに訪れなかった。
「こっちだよ!!」
聞き慣れた、そして最も待ち望んでいた声に目をかっと見開き声のした方を見る。
ゴーヴルも突如乱入した第三者を警戒して攻撃をやめ、ゆっくりと振り返る。
そこには神々しい光が立っていた。
あまりの眩さに裸眼では立ち眩みすら覚えるその光の名を呼ぼうとする。
「シェニーちゃ・・・えっ?」
それを遮ったのはその傍で漂う赤黒い靄のような何かだった。
「シェニー!」
「ローレリアさん!」
体を寄せ合い縮こまっていた生徒達がルジーに代わってその名を叫ぶ。
武器を持って取り囲む魔物達、包囲され怯える生徒達、そしてゴーヴルの前で倒れ伏す友人。
間一髪。その言葉に相応しい状況だった。
「ルジーちゃん!!」
慣れない全力疾走に足が震え肺は今にも破裂しそうだ。
今すぐ座って休みたいところだがそんなことを言っている場合ではない。
即座にルジーに駆け寄り頭を揺らさないように状態を診る。
「シェニーちゃん・・・。無事、だったんだね」
「うん。心配かけてごめんね」
目に見える外傷は擦り傷とローブについた泥くらい。恐らく何かしらの拍子に転倒したのだろう。
手首に指を当てて脈を測るが特に異常はなく、胸に耳を当てると多少早くなった拍動が聞こえてきた。
(手慣れてるわね。医者の娘とか?)
「ちょっと習っただけです」
「えっ?」
「ルジーちゃんに言ったんじゃないよ」
これ以上は何も分からないが少なくともすぐにどうこうという状態ではないようだ。そう判断し、ルジーの体を優しく地面に置く。
そして手近にあった石を拾いゴーヴル目掛けて投擲した。
「みんなから離れてっ!!」
決死の叫びと共に投げられた石はゴーヴルが持つ棍棒に当たり虚しく弾かれる。
大した攻撃にはならなかったが魔物達の注意が一斉にシェニーに向く。それを確認しすぐさま森の中へと駆け出した。狙いは完全に移ったようで生徒達を包囲していた魔物は皆シェニーを捕まえんとひた走る。
(よし!こっちに来たわね!さぁ、あんな雑魚共ぶっ飛ばしてやりなさい!)
「・・・ません」
(はっ?)
「魔法、使えないんです」
(・・・はああああああっっっ!!!??)
ヴィレッタの声なき絶叫はシェニーにしか聞こえず魔物達も意に介す様子はない。背後から魔物が迫りくる中、ヴィレッタは怒り心頭といった面持ちでシェニーを詰る。
(じゃあ何!?無策で喧嘩売ったってわけ!?)
「えっと・・・はい」
(はいじゃない!おびき寄せてどうする気だったの!?)
「襲われてる間にみんなが逃げられたらいいなって考えてました」
(ふざけんな!!私はどうなるのよ!?あんたが死ねば私も死ぬって言ったでしょ!くだらない自己犠牲に人を巻き込むんじゃないわよ!)
「先に巻き込んだのはそっちじゃないですか!わたしに声をかけなきゃこんなことにならなかったんですよ!」
(うるさいうるさい!!グチグチ言ってないで走れ!あんたみたいな向こう見ずなアホと心中なんて冗談じゃないわ!)
「アホって言わないで下さい!」
そうこうしている間にもシェニー達と魔物達の距離は縮まっていく。
同世代の女の子の中では活発な方だと自負しているが普段から運動をしているわけではないので体力はあまりない。気力でどうにかするのにも限度があり魔物達も諦めてくれそうにない。
しばらく押し黙って何かを考え込んでいたヴィレッタが徐に口を開いた。
(・・・決めたわ)
「はい?」
(今から私はあんた専属の家庭教師よ)
「はいぃっ!?なんでそうなるんですか!?」
(私の平穏のためよ!隷属の盟は主人が死ぬまで切れない永続契約。つまりこれから先ずっとあんたに振り回されることになる。イカれたクソガキと一蓮托生なんてまっぴら御免よ!」
「ひどい!?」
「兎に角!私のためにもあんたに強くなってもらうしかないわ。これからは先生と呼びなさい!いいわね?)
「はい!ヴィレッタ先生!」
(早速だけどあいつらを倒す方法があるわ)
「本当ですか!?」
(えぇ。体を貸しなさい)
「わかりました!」
即答だった。
(いいの!?さっきは無理矢理乗っ取ろうとしたのよ?)
「でも、それでみんなを助けられるんですよね?」
(あんたの血に宿る魔力は相当なものよ。そこに私の意識と経験が合わさればあんな雑魚共楽勝よ!)
あの魔物達をどうにかできるならその後はどうなってもいい。今この瞬間、大切な人を守れるなら。
「わたしの体をあげます!だから魔物をやっつけて下さい!」
走りながら両手を広げヴィレッタを受け入れる姿勢を示す。その様子を見たヴィレッタは困惑した表情で頬を掻く。
(・・・えっと、あんたが主人だから望めばいつでも解除できるわよ?)
「そうなんですか!?よかったぁ・・・」
(えっ?)
「えっ?」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。その間にも距離を詰めてくる魔物達に痺れを切らしたヴィレッタはシェニーの体にとけ込むように入っていく。
それに呼応して体の感覚も朧げになっていく。
逃げる足を止め、シェニーとも言うべきそれは魔物達と対峙する。
当然それはシェニーの意志ではない。
突然動きを止めたシェニーに魔物達も警戒して足を止める。
シェニーの体を操るヴィレッタは両手を握って開き肩を回して動作を確認する。
「んん~!やっぱ体があるっていいわぁ」
シェニーの口からヴィレッタの言葉が発せられる。
その声には普段の彼女にはない艶やかな悦楽が込められていた。
妖艶な眼差しで今宵の生贄を一瞥する。
その視線を受けた魔物達は慄いたかのように一歩後退した。
その間に深呼吸をして神経を研ぎ澄ませる。すると全身がほんのりと熱を帯び、力が体の奥底から湧き上がってきた。
「この出力・・・予想以上ね。体だけは大当たりだわ」
(すごいです!力が漲ってきます!)
「あんたの血の魔力を使って身体強化をかけたわ。この感覚を体に叩き込みなさい!」
(はい!・・・ん?身体強化?杖なしでどうやったんですか?それに、血の魔力ってなんですか?)
「話は後よ。今は楽しませて頂戴」
そこで言葉を切って魔物達・・・否、饗宴の供物を視界に納めて舌なめずりする。
「うふふ・・・、二千年ぶりの大暴れ。腕が鳴るわぁ・・・」
それらを一瞥し、ヴィレッタは惨劇の幕開けを高らかに宣言した。
「さぁ!ファーストレッスンの始まりよ!!」
そこからは最早虐殺というべき蛮行が繰り広げられた。
魔力を体中に漲らせ身体を強化したヴィレッタは獲物を追いつめる野獣のごときスピードで森林を縦横無尽に駆け回り数が多いゴボリドに突貫する。
目にも止まらぬ速さに翻弄されるゴボリドに肉薄し目についた個体から一匹ずつ丁寧に葬り去る。
ある者は回し蹴りで首を刎ねられある者は貫き手で胸を抉られある者は拳打で顔を吹き飛ばされて絶命する。
反撃を許さぬ圧倒的な暴力でゴボリドをねじ伏せ次の獲物であるビゴーウルフを目指す。
「魔法は使えないって言ってたわね?それってどんな感じなの?」
(えっと、杖を振って詠唱しても何も起きないんです。教科書を読み込んで練習しても全然駄目で・・・)
消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。
それを笑うことなく聞いたヴィレッタは何かを考え込むように視線を上に向けぽつりと呟く。
「杖と詠唱ってことは
(ポケットの中です)
「これね・・・」
ポケットから杖を取り出しビゴーウルフに狙いを定める。
「
高らかに詠唱したのは火の魔法。発動すればビゴーウルフを丸焼きにするほどの威力を誇る球形の火球がまっすぐに飛ぶはずだった。
だが、案の定何も起きない。
「零極の・・・これは無理ね。旋風の嚆矢!」
先ほどシェニーも試した風魔法。やはり何も起きない。
精神が変わっても魔法が使えない。
その事実に俯くシェニーとは対照的にヴィレッタはとても楽しそうに笑っていた。
「なるほどなるほど・・・。使えない理由、わかったわ」
こともなげに放たれた衝撃の発言に目を見開く。
何年かけてもできなかった原因がたった二回でわかったというのか?
(本当ですか!?教えて下さい!)
「それどころじゃないでしょう・・・がっ!!」
魔法が不発に終わっている今が好機と見て飛びかかってきたビゴーウルフの顔を右の裏拳で殴りつけ目ごと頭蓋を粉砕する。
杖をポケットに直し即死した肉塊の口を掴む。そして仲間を殺されて警戒するビゴーウルフの群れ目掛けて投げつけた。物言わぬ肉塊は砲弾の如き速度と質量を持って群れを襲い、運悪く逃げ遅れた個体と正面衝突し赤い血の霧が舞い散った。
それを避けた運のいいビゴーウルフ達には一息で距離を詰めて接近したヴィレッタによる斬首が待ち受けていた。
鮮血を吹き出しながら地面に転がる生首。返り血を浴びてもなお瞳をぎらつかせ狂喜を浮かべるその姿はまさしく烈血の魔女にふさわしいものだった。
「面倒ね・・・。私の魔法が使えたら一瞬なのに」
(使えないんですか?)
「あんたの体じゃね。まぁ、こいつら程度なら十分だけど」
足元に転がる生首を蹴り飛ばしデザートを横目に見る。
一方的な殺戮と蹂躙の末、ついに敵はゴーヴル一体となった。
魔物の全滅はゴーヴルに恐怖を植えつけたらしい。
恐慌に駆られたような雄叫びを上げ、めちゃくちゃに棍棒を振り回し始めた。
周囲の木々を一撃でなぎ倒すほどの威力のそれを振り回しながらヴィレッタに襲いかかる。
「いい?あんたがどれだけ立派な志を持っていようと雑魚にできる事なんてたかが知れてるわ。今日みたいなことになりたくないなら強くなりなさい。私を守るためにもね」
(はい!あの、一ついいですか?)
「何?」
(あんたじゃなくてシェニーです)
「・・・あははっ!覚えておきなさいシェニー!」
(はい!)
棍棒がヴィレッタを捉え木々を粉砕しながら迫り来る。
ヴィレッタはそれを避けることも受け流すこともせず、高速で薙ぎ払われた棍棒に飛び乗った。
ヴィレッタが突然消えたように見えたゴーヴルは慌てて周囲を見渡すがもう遅い。棍棒を足場に高々と飛び上がったヴィレッタは足を真上に伸ばしながらゴーヴルの首目掛けて落下する。
「はぁっ!!」
断頭台の刃の如く足が振り下ろされる。ヴィレッタの足はゴーヴルの首を質のいいステーキのように容易く切り落とし、ラーサの森は地上の夕暮れに染め上げられた。
それを見ていたのは沈みかけた夕日と、
「あれは・・・!?」
もう一人。
(はぁ~すっきりしたわ。ありがとね、シェニー)
シェニーの体から抜け出し暴れさせてもらった礼を言う。だがその声は届かなかった。
ほんのわずかな間とはいえ魔物を虐殺できるほどの身体能力を発揮したのだ。その負荷に目を回して気絶してしまうのも無理はない。
「あうぅ・・・」
(基礎がなってないわ・・・それにしても変なガキよね)
物言わぬシェニーを眺めながら先ほどの戦いを振り返る。
命を持った生物を手ずから殺すことに今更感傷を差し挟む余地などない。
しかしそれを行ったシェニーはその限りではない。
彼女のことは何も知らないがその性格や口ぶりから戦いや命のやり取りとは縁遠い生活を送っていたことが窺える。体を動かしていたのはヴィレッタだが肉を裂き骨を砕き命を終わらせる感触はシェニーにも伝わっていたはずだ。
にも関わらず彼女はそのことを歯牙にもかけなかった。普通の少女なら自分が命を終わらせたことにショックを受けたり生理的嫌悪感から体調を崩したりするものだろう。
だが、シェニーにそれはなかった。
体を貸せと言った時の発言も気にかかる。あの時シェニーは二度と戻らないことを覚悟で体を明け渡そうとしていた。
友人を守るためとはいえ見ず知らずの存在に身を委ねられるその神経が理解できない。
どんな考えを持って生きていたらそんな発想が浮かぶのか・・・。
(まぁ、これから知っていけばいいことよね)
この拾い物がどれだけ使えるかは分からないが使い物になるかどうかはこの手にかかっていると言っても過言ではない。
これから待ち受けているであろう日々に思いを馳せながら魔女は愛おしそうに微笑んだ。
(まずは体作りからね。イチからしごいてあげるからどんどん強くなりなさい。私を守るためにも・・・)
・・・復讐のためにもね
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