第89話

「………ごめんね」



 僕は握られている手を握り返してもう一度謝った。



 ごめんね。

 ごめんなさい。



 写真嫌いな僕がこんな風に満面の笑みで写真が撮れるほど仲が良くて、会いたかったって言ってくれる宗くんを覚えていないなんて。



 覚えていない理由が宗くんの転園にあるとしても、もしこれが逆だったら、覚えているのが僕で、忘れたのが宗くんだったらって考えると。



 忘れていた僕は、離れて寂しいとか会えなくて悲しいっていう気持ちも、会いたいっていう気持ちも、何一つ味わうことなく宗くんに再会した。でもその間宗くんはずっと。



「………俺のこと、本当に何も覚えてないのか?」



 小さくて心細そうな声に、横に立つ宗くんを見たら、宗くんも僕のほんの少し下から、僕を見た。



 ゆらゆらと、揺れているような目。

 泣いてしまうんじゃないかと思うような目。



 覚えてるよって、言いたい。気持ちとしては。

 覚えてるよ。忘れてないよって。

 そこまで言えなくても、せめて、思い出したよって。



 記憶を探る。保育園時代の。高校、中学校、小学校、保育園と時間を遡って。



 でも、どんなに遡っても、どんなに記憶を探っても、僕の横にいるのはあおちゃんで、それ以外の誰かは誰も。



 宗くんの揺れる目を見ていることができなくて、僕の方が先に目をそらした。



「………ごめんなさい」

「………」



 ごめんなさいは、覚えていないという言葉の代わり。

 いくら『覚えていない』という言葉を使わないからって、覚えていないことにかわりはない。

 でもせめて、『覚えいない』という言葉が発する威力を、ほんの少しでも減らせたら。



 僕のごめんなさいに、宗くんは俯いた。そして小さく息を吐いた。



 同じ………だよね。



『覚えいない』でも、『ごめんなさい』でも。

 言葉をかえたところで、僕が宗くんを覚えていないことに変わりはないのだから。



「………明に会えたら、渡そうと思ってたものがある」

「………え?」



 まるで気持ちを切り替えるように宗くんはそう言って、僕の手をそっと離した。

 離れたぬくもりに、何故か物足りなさを感じながら、文机の前にしゃがんで引き出しを開ける宗くんを見ていた。



 宗くんは引き出しを開けて、引き出しの中からてのひら大の木箱を出して、その蓋を開けた。



 そして、そこから何かを取り出した。木箱よりひとまわりぐらい小さな、緑色の何かを。



「見つけてすぐに渡そうと思ってた。でも、見つけてから明とは会えないまま俺が引っ越した。だから渡しそびれて、でも会えたら絶対渡そうって、ずっと持ってた」



 言いながら立ち上がって、僕に見せた宗くんの手に乗る緑色の何か。



 見るとそれはフエルトでできた袋のようなものだった。

 白の糸で端の3箇所が縫われている。

 手縫いと一目で分かるぐらい、縫い目がガタガタしている。



「………っ⁉︎」



 小さな子の手作りだろうか。



 そう思いながら見ていて、驚いた。

 僕は宗くんの手の上の、袋のような緑色のものを手に取った。



 すぐには分からなかった。

 よく見ないと分からない。



 袋の真ん中。端を縫ってあるのと同じ白い糸で、描かれていたのは、模様ではなかった。

 書かれていたのはカタカナ。カタカナでそこに。



『オマモリ メイ』



 そこにはそう、縫われていた。




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