第68話
「キミ、俺のマンションに住むっていうのはどうだろうか」
「………は⁉︎」
考え込んでいる実くんに、今度は政さんがごくごく真面目な顔で言った。
実くんは政さんからのいきなりの申し出に、母子手帳から視線を上げて、向かい合うように座る政さんをびっくり顔のまま見た。
ううん。びっくりして政さんを見たのは実くんだけじゃない。みんな。
注目された政さんは、あぐらから座り直して正座をした。
ピンと背筋を伸ばしての正座は、剣道をやっていたからなのか、すごくキレイで一瞬目を奪われた。
「キミの母上と明くんが鍔田家に入ったら、キミも必然的にここを出ないといけないだろう?幸い俺のマンションには余っている部屋がある。他に住むならかかる家賃も、うちなら要らない、そのかわりと言ってはアレだが」
「お断りします」
まだ途中。
政さんがすべてを言い終わらないうちに、実くんはあっさりと政さんの申し出を断った。
それも………無表情のままに、淡々と。
「キミ‼︎ひっ…人の話は最後までっ………」
「冴ちゃんと明くんがここから出ても、別にボクひとりでここに住めばいい。慌てて無理に引っ越す必要はない。それぐらいの稼ぎも蓄えもあります。それに、新しい生活に慣れるまで、明くんが息抜きに泊まる場所があった方がいいと思うので」
「めっ…明くんの息抜きなら、うちに泊まってくれればいいのでは⁉︎」
「それだと息抜きになりませんよね?」
「………っ」
さっきは辰さんに言い負け、今度は実くんに言い負けた政さんが、大きなため息とともにがくりと肩と頭を落とした。
「………いい案、おいしい案だと思ったのに」
「これなら実のご飯が毎日食べられるって?」
「………そうだ」
「安直すぎなんじゃね?」
「宗よ。お前まで兄に冷たくするのか」
「優しくしてやる理由がねぇ」
「………うう」
泣き真似をする政さんが、少し気の毒だと思ったのは………もしかしたら僕だけだったのかもしれない。
どこかやれやれという空気が、そこには流れていた。
「実くんのご飯と言えば、ごちそうさまでした。今日もとてもおいしかったです」
「………いえ、ちょっと余っていたので助かりました」
「そうなんですね。もしまた余るようなことがあれば、ぜひまた呼んで下さい」
「はい。ありがとうございます」
「それにしても、こんな美味しいご飯を毎日食べられる冴華さんと明くんが本当に羨ましい限りですね」
「うふ。本当にもう最高です………って、私がもっとちゃんとできたら良かったんだけど………」
「冴ちゃん、だからそこは気にしなくていいんだよって、まだボクに言わせたいの?」
「………はい。ごめんなさい。あの、辰さん。お料理ができない私が言うのも何だけど、今後のことはひとまず置いておいて、今、辰さんちのご飯事情はどうなってるんですか?」
「………痛い質問ですね、それは」
「まだお弁当やパンなんですか?」
「………はい。なんせうちは料理ができない男所帯。できることと言えば宅配やスーパー、コンビニのお弁当、パンなどを買うことです。あとは家政婦さんを雇うぐらいしか………」
住むところの話は、さっきので一旦終了らしく、話は辰さんの家のご飯事情になった。
僕が思わず宗くんにおにぎりを作るって言ってしまった、辰さんの家のご飯事情。
「家政婦⁉︎」
「ええ、家政婦さんは以前も考えたことがあるのですが、宗がご覧の通り重度の人見知りなので、それもちょっと………ねぇ。冴華さん、他に何かいい案はありませんか?」
「辰さんが料理するとか?」
政さんがひとり暮らしをしている以上、必然的に辰さんかなって、僕も思った。
宗くんがやってもいいのかもしれないけれど、僕もさほどやっていないし、エラそうなことは言えないから、僕は黙って聞いていた。
「………やめろ。親父に料理させたら俺が死ぬ」
「え?」
「えーと、ですね、どうもぼくは料理との相性が悪いようで………」
「料理だけは絶対に、絶っっっっっ対にやらせたらダメだ」
「え、そんなに?」
そんなに、なら、それはそれで見てみたいかも。
………って、お腹壊しそうだから口にはしないけれど。
じゃあどうする?どうしたらいいんだろう?と、みんなで頭を悩ませた。
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