第69話

「ああもうっ」



 しばらくの沈黙の後、僕のすぐ横で実くんがキレイにセットされた髪を右手でぐしゃぐしゃと掻き回した。

 苛立ちとか呆れの少し大きめの声に、僕の身体がびくっと反応して、ごめんね明くんって、実くんは眉を下げた困った笑みを僕に向けた。



 たろちゃんが居なくなってから、おばあちゃんが一緒だったこともあるけれど、ずっと3人で、僕が体調を崩す以外はさほど何事もなく平和だった我が家が、増えた人数分、関わりが増えた分、こうして、ある意味『振り回される』、ということが増えたのかもしれない。

 そして一緒に居る時間が増えれば増える分、それはもっとなのかもしれない。

 そういうのに慣れていないだけに、慣れるまで実くんのように、苛立ちにも呆れにも似た感情は仕方のないことなのかもしれない。



「辰さん。今取ってるお弁当を最短で解約して下さい」

「解約?」

「はい。お願いします。で、宗くんは、学校に何で行ってるの?」

「今は電車」

「今は?」

「もう自転車にする」

「じゃあ、お弁当の最終日翌日から学校帰りにうちに寄れる?」

「寄る」

「そしたら宗くんはそのままうちでご飯食べて。辰さんの分はタッパーに詰めるから、宗くん持って帰ってくれる?」

「ん」

「………実くん」

「実くん♡」



 何か決意的なものを感じるぐらい、てきぱきと話を進める実くんに、短い返事ながらも嬉しそうに口角が上がる宗くん。驚く辰さんと、喜ぶ冴ちゃん。



 それから。



「………何ということだ。もしかして俺だけキミの手料理にありつけないのか?」



 まだ正座をしたままの政さんが、畳に手をついてがっくりと項垂れた。

 まるでこの世の終わりぐらいの勢いで、それを見てやっぱり少し気の毒に思う。



 実くんは誰にでも優しくて、すごく面倒見がいい。僕は実くんのそんなところしか知らない。



 政さんを見てから実くんを見たら、実くんも政さんを見てから僕を見た。

 そしてまた、眉を下げた困った顔をした。



 小さなため息。

 まだ項垂れている政さん。



 実くんは髪の毛をぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃ掻き回して。



「………届けませんよ」

「………え?」

「ボクはアナタがどこに住んでいるか知りませんし、知ろうとも思っていない。ボクは届けない。宗くんに持たせることもしない」

「………そ、それはつまり?」

「つまり………アナタがうちまで取りに来るなり何なりするなら、アナタの分も作ってあげもいいですよってことです」

「ほっ…本当か⁉︎」



 そろりそろりと顔を上げていた政さんが、最後がばっと膝立ちになって、ずいっと実くんに身体を寄せて聞いた。

 政さんは太っているというわけではなく、体格がいい。

 それもあっての圧迫感が僕の方にも来て、僕と実くんは同時に反射的に少し身体をそらして思わず逃げた。本当か⁉︎に、それぐらいの圧を感じた。ぶわっと出るものを。

 嬉しい、というか。歓喜、というか。



「3人とも要らないときは連絡して下さい。食べないのに連絡を忘れたら、その後二度と作りませんからね」

「はい、実くんっ」

「………何ですか、冴ちゃん」

「3人とも要らない日なんてないと思いまーす」

「………え」



 挙手をして、あてられて言った冴ちゃんに、辰さん、政さん、宗くんの3人がそれぞれに頷いた。

 いやいやいやって、実くんが慌てている。



「辰さんは冴ちゃんと外食とかあるでしょ⁉︎政さんは職場の飲み会とか‼︎宗くんだってこれから友だちと出掛けたりデートとか‼︎」

「ぼくですか?ぼくはこれからどんどん大きくなっていく冴華さんのお腹を思うと、あまり変に連れ回したくないですね」

「俺は職場の飲み会よりキミのご飯」

「俺毎日部活」

「………え、待って。土日は?土日はどうするの⁉︎」



 すでに後悔の色が出始めた実くんの顔。



 僕はそっと、服の上からたろちゃんのネックレスを握った。



 たろちゃん。

 たろちゃん、ここから僕たちを見ていますか?見てくれていますか?



 何だかこれから毎日が、とてもとても、賑やかになっていきそうです。

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