第35話

「そうですか………」



 政さんの言葉に、辰さんは残念そうに呟いた。



「まあ、結婚に憧れるあまり、目の前の人をきちんと見られないのであれば、いっそ結婚ごと諦めた方がいいかもしれませんねぇ」

「………俺は見ていたつもりですが?」



 そして政さんの言葉に、その場が凍るようにしんとなった。



「何故全員で黙るのか………」



 僕は、普段政さんとその女の人がどんな風にしていたのかは知らない。

 政さんのこともよく知らないし、女の人なんてちょっと見た程度。

 ただ。



 カフェの入り口。確かに僕たちがそこを塞ぐ形で立っていて邪魔になっていたとはいえ、偶然居合わせた相手に対して『邪魔』って言うような人とは、待っていた男の人が来たからって、がらっと声と態度を変えるような人とは、政さんが憧れる結婚はできないと思う。



 たまたまそういうところを目にしたことがないだけと言ってしまえばそうなんだろうか。



「いずれ政にも分かります。冴華さんの素晴らしさが」

「………分からなくて結構」

「籍は入れます。お腹の子のためにも」

「どうぞ、ご自由に。俺は反対。俺は信用しない。それだけです。詐欺じゃないことを祈りますよ」



 さすがに、3回も騙されて、3回目が今日判明したのなら、政さんがそう思うのは仕方ない気がする。



 やれやれとでも言うように、辰さんが苦笑いをして息を吐いた。そして。



「とりあえず政は、生活の仕方を1から実くんに鍛えてもらったらどうですか?そのお腹と一緒に」



 ぴって立てた指を政さんのお腹に向けた。

 実くんがびっくりしたように、はい?って言って、政さんはイヤそうに眉をしかめた。



「………謹んでお断りしますよ。父上」

「ボ…ボクだってイヤですよ、そんな」

「実くんにそう言われると残念ですが、もう少しどうにかしないと、ローンは待ってくれませんよ?それにまた変な女性が現れないとも限らない」

「父上は俺がまた騙されると?」

「騙されるだろ」

「………宗よ。お前はなかなかどうしてグサッとはっきりそういうことを言うんだ?兄は今大変傷ついたぞ?」

「3回も騙されるなんてありえねぇ。あんなのちょっと見れば分かるだろ。ダメなやつだって」

「それはぼくも同感ですねぇ」

「………ちょっと見ただけで?まっ…まさか父上と宗はエスパー………?」

「なわけねぇだろ、ばあか」

「………宗よ。兄に向かってそれは………。なら、何故分かると?」

「アイツ、政のこと全然好きじゃなかっただろ」

「それまたぼくも同感ですねぇ」

「好きじゃなかった………?会うたびにそれらしきことは言われていたが………」

「何てだよ?」

「そんな腕時計していてステキ〜とか?こんな車で迎えに来てくれるなんて最高〜とか?こんなの買ってくれる政さん大好き〜とか?」

「………本気でばかだな、政は」

「………宗よ。兄はしばらく旅に出てもいいだろうか。傷心旅行に」

「行ったって無駄だ」

「それにもぼくは同感ですねぇ」

「ちっ…父上、さっきから同感同感って………」



 おそらく傷心であろう政さんに、容赦のない言葉の数々。

 これがうちだったら、全然違うんだろうなあと思いつつ、数だけは同じ、3人のやり取りを、僕たち3人はちょっと呆然と見ていた。



「ああほら、こんな話をここでしていても、冴華さんたちにご迷惑ですから。せめてぼくたちの分ぐらい片付けてそろそろおいとましましょう」



 その僕たちの視線に気づいた辰さんが、すみませんって立ちあがろうとしたのを、実くんが辰さんって止めた。



「片付けはボクやるんで置いておいて下さい」

「でもそれでは今日1日ぼくら一家がご迷惑をかけっぱなしになってしまいます」



 だからって続けようとする辰さんに、辰さんって、実くんは笑みを浮かべた。

 ピアスが光る方の耳に、少し長めの髪を指でかけて。



「辰さん、ボクね、この器たちがすごく好きなんです」

「そうですね。とてもすてきな器だと思いました」

「何だ?俺たちに任せたら、割られるとでも?」



 ふたりの穏やかな会話に入る、政さんの低い、ちょっとむっとしたような声に、僕の身体が自然に強張る。



 悪い人ではない。こわい人でもない。



 分かっていても、普段慣れていないこういう声は、どうしても苦手だ。



「好きなお皿は好きだからこそ、普段から惜しまずに使いたい。そして使ったらまた次のためにキレイにしたい。洗って片付けるまで、ボクには全部が楽しいんです。だから辰さん、ボクの楽しみのために、この子たちはこのままにしておいてもらっていいですか?」



 この子たちって、本当に大切そうに実くんは、自分が使ったマグカップに触れた。



 1ヶ月に1個。実くんがいつからか、コツコツと集めた同じ陶芸作家さんの器。

 ひとつ増えるたびに、届くたびに実くんはいつも大喜びで、それにご飯を料理を盛ってテーブルに並べるのも、後片付けをするのも、実くんは実くんが言うように楽しそうだった。



「冴華さん」

「はあい?」

「ぼくは本当に、本当にね。実くんと明くんが大好きですよ」

「あら♡」



 どこからそんな話になったのか。

 辰さんの言葉に、僕は実くんとえ…ってなって、照れ臭くて、でも嬉しくて、どうしていいのか分からなくて俯いた。



「政は、実くんの爪の垢でも煎じてもらったらどうですか?」

「………いやそれは。でも今のはちょっと………この辺りが」



 この辺り。

 政さんは自分の手で胸の辺りをさすった。



「きゅんとしたか?」

「………宗よ。言葉を選ぼうか」



 宗くんは、ちょっと口が悪いけど、もずく発言や今みたいな発言でちょっと面白い。

 何より昔仲良しだったって。なら多分、大丈夫。

 政さんは、実くんとバトル気味になりがちではあるけど、それは今が今で、辰さんがお腹を指摘しているってことは、色々乱れているからっていうのもきっと大きい。食事や生活が。

 元は悪い人ではない。それは分かる。乱れも原因。だから。



 もうすぐ高校。変わり目。節目。新たなスタート。



 何より僕は、辰さんが。



「辰さん」

「何でしょう、明くん」

「………僕も、冴ちゃんと一緒に、『鍔田』にして下さい」



 これをきっかけに、変われたら。何かを、変えられたら。身体は無理でも、心の虚弱貧弱が少しでも。



 気づいたら、そんな風に思って、そんな風に言っている自分がいた。

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