第36話
そして僕は山田明から鍔田明になった。
………のを、本当に良かったのかとぐずぐず悩んでいた。
悩んだところでもう変わってしまったからものすごく今さらだし、かと言ってこれで良かったんだっていう確信も自信もない。
実くんにもっと相談すれば良かった。実くんの意見を聞けば良かった。
確かに、どうするか聞かれて決めるまでに与えられた時間は少なかった。
少なかった上に政さんの詐欺事件が重なって、僕は実くんとはあまり話せないまま鍔田明になると言ってしまった。
実くんは反対しない。していない。それは聞かなくても分かっている。明くんが考えて決めていいんだよって言われていた。
だから僕がどっちの答えを出しても、明くんが決めたんならそれがいいんだよって言ってくれるし、実際そうだった。
名字が別になっても兄弟には変わりないしって。
でも。それにしたってもう少し。
なんて、考えるだけ無駄でしかないのに、僕はずっとぐずぐずと考えて、ぐずぐずしていた。
「少しは何か食べられそう?」
入学式を明日に控えた今日。………というか。
辰さんと冴ちゃんの入籍に僕の名字変更。高校入学準備と3月末辺りからのバタバタに、僕の体調は悪化の一途だった。
今日も朝からトイレとお友だちで、拭きすぎてすでにお尻が痛い。
熱も36度のかなり後半から37度の前半をうろうろしている。僕の平熱は35度台だからこれが微妙につらい。
受験後にものすごく頑張って増やした体重1キロが、気づけば2キロ減っていた。
トイレからふらふらと出てきたところで、午後は家に居る実くんに声をかけられた。
台所のテーブルで、いつものようにノートパソコンを開いている。
「食べたらそのまま出そうな気がする………」
「それは………中学の入学式よりひどいね」
「明日僕行けるのかなぁ」
「何だかんだ今まで大事なところはちゃんと行けてるから、大丈夫だと思おう」
「………うん」
僕はそのまま部屋に、ベッドに戻ろうとしたのをやめて、実くんの横の自分の席に座った。
「明くんにもルイボスティーいれようか」
「………うん。それは飲みたいかも。ありがとう」
「ちょっと待っててね」
実くんはそう言ってから少しパソコンをいじってから立ち上がった。
体調が悪いときは、紅茶よりもルイボスティーの方がいい。
実くんは、実くんコレクションの作家さん作の急須?ティーポット?にルイボスティーの茶葉をいれて、保温ポットのお湯を丁寧に注いだ。そしてすぐに蓋をして、時間をはかるためにいつも使っている小さな砂時計をひっくり返す。待っている間に、その作家さんのマグカップを出して、そこに少しお湯を注いであたためる。
『いつも言ってるけど、うちはお茶とか紅茶って100均マグカップにティーバックにお湯どばーだよ』
この丁寧なお茶のいれ方を見るとあおちゃんがかなりの確率でぼやくように言う。
だから実くんがいれるお茶やコーヒーがめちゃくちゃおいしいって。
実くんのこのいれ方が普通の僕にとって、それは想像もつかない。
………って言うと、あおちゃんに贅沢だって言われるから黙っている。
砂時計が落ちるのを待って、実くんはマグカップのお湯を捨てて、あたためたマグカップにルイボスティーをいれて、どうぞって僕の前に置いてくれた。
僕はルイボスティーのにおいをすうーって嗅いでから、ゆっくりと一口、飲んだ。
「実くん、もしかして住むところを探してたりする?」
テーブルの上のパソコン。
それで今日は、何をしているんだろうって気になって、思わず聞いた。
午後は家に居て、実くんはこうやってノートパソコンを開いていることが多い。
買い物もしているし、何かを調べていたりもするし、黙々と何か作業みたいなことをしていることもある。
今日は何だろう。
今、この家で鍔田姓は冴ちゃんと僕。実くんは山田のまま。ボクは大人だからねぇ………っていうのが最大の理由と本人は言っている。
そして今はまだ、籍を入れることや僕と宗くんの入学が優先になっていて、名字は変わったけれど変わらないときと同じ、そのまま鍔田家と山田家のまま住んでいる。
政さんは何年か前からマンションを借りてひとり暮らしをしているらしく、辰さんは宗くんとふたり。
うちは僕がこんなだから実くんがまだ一緒に居てくれている。
それが、どうなるんだろう。このままってことは、多分ない。赤ちゃんも生まれるし。
「住むところ?探してないよ?何で?って、ちょっと待って、何でじゃないよね⁉︎住むところ‼︎え、ボクたちどうなるの⁉︎」
珍しく実くんが焦った声で頭を抱えた。
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