第22話
「冴ちゃん」
「………はい」
「さっきのご飯のことも含めて、ボクのことを話してもいい?」
実くんの声はかたかった。いつもより低くて、怒っているようにも聞こえる。
何を言うつもりなんだろう。冴ちゃんが壊滅的に家事ができないということの他に。
実くんのことって。
「ご飯………。はい。話さなきゃね。でも実くんのことってなあに?明くんは身体が弱いから、そのことは話したけど、実くんに話さなきゃいけないような特別なことなんて、何もないじゃない」
「………それ本気で言ってる?何もなくないでしょ?それとも忘れたの?」
「だから何のこと?」
「………冴ちゃん。ボクは女の人を好きになれないんだよ?男の人しか好きになれない。こんなのが家族になったら、恥ずかしいに決まってるでしょ?」
耳、が。
隣から静かに発せられているはずの実くんの声が、言葉が、耳に痛かった。ぐさって刺さるみたいで。
いっそ塞いでしまいたかった。耳を。
実くん。
何て声で、何てことを言うの。
「………」
その言葉に冴ちゃんは俯いて、そして。
「実」
僕が聞いた冴ちゃん史上最高に低い声で、冴ちゃんは実くんを呼び捨てで呼んだ。
これも僕は初めてかもしれない。冴ちゃんはいつも僕たちを『くん』づけで呼ぶから。
それから冴ちゃんはガタンって音を立てて、ゆらっと立ち上がって。
「………どの口だ」
低い低い声。しぼり出すような声。
「どの口だよ。私の愛するたろちゃんとのかわいいかわいい自慢の子と、私の死ぬほど大好きな辰さんを侮辱する口は。ああ?」
口悪く言うと同時に、冴ちゃんは向かいに座っている実くんの口の端を思いっきり。思いっきり、この口かって、実くんが痛いって言うぐらい思いっきり。
………つねった。
「痛い‼︎痛いって冴ちゃん‼︎」
「実がふざけたこと言うからだろ⁉︎女が好きになれないから何だ⁉︎それがどうした⁉︎それのどこが‼︎何が恥ずかしい⁉︎」
「恥ずかしいよ‼︎おかしいでしょ⁉︎少なくともボクはそう思ってる‼︎この気持ちは………こんな気持ちは、ちゃんと異性を好きになれる冴ちゃんには分かんないよ‼︎」
「はあ⁉︎」
冴ちゃんはそこで一瞬止まって、怒っている顔をくしゃって崩した。
「………そうだよ。ああそうだよ‼︎分かんないよ‼︎だから何だ⁉︎︎いいか‼︎耳の穴かっぽじってよく聞け‼︎︎私が分かるのは‼︎実がちゃんと人を愛する心を持った、優しい優しい最高に自慢の子だってことと‼︎辰さんがたったそれだけのことで私の愛する子を恥ずかしいなんて思ったりしないってことだけだ‼︎」
冴ちゃんは大きな声で実くんを怒鳴りながら、つねった口の端をぐいぐい前後に揺らした。怒鳴りながら泣いた。ぼろぼろ泣いてた。ふざけたこと言ってんじゃないよ‼︎って。
実くんは、それを聞きながら黙った。俯いた。つねられた口の端をそのままに。
………初めて見る冴ちゃんと実くんの親子喧嘩。
心臓がどくどくして、手足が冷たくて、息が苦しい。
僕が怒られているわけでもないのに、胸が痛い。ふたりの気持ちで痛い。
実くんは、女の人を好きになれないことをそんな風に思っていたんだ。知らなかった。
そしてそれを冴ちゃんは、たったそれだけのことって思っていて、実くんのことをとても大事に思っている。
どっちも分かる気がして、ふたりの気持ちが。その気持ちで胸のあたりが痛い。
「明くん、大丈夫ですよ。大丈夫だから、ゆっくり息を吐きましょうね。冴華さんも、大丈夫だから手を離して座りましょう?実くんは大丈夫ですか?冷やしますか?」
ぴりぴりと痛い空気に、ふんわりした辰さんの声が入ってくれて、僕は辰さんが居てくれて良かったと、心の底から思った。
僕は言われた通りゆっくり息を吐いて呼吸を整えて、冴ちゃんはうんって小さく言って椅子に座って、実くんは俯いたまま大丈夫ですって言った。
「実くん、ゆっくりでいいので実くんのことを教えてくれますか?事実をそのまま教えてくれるだけでいい。できれば、自分を傷つける言葉は使わずにお願いしたいです」
「………はい」
少しの沈黙のあと、実くんは小さく返事をして深呼吸をして、ぽつぽつと話し始めた。
多分、実くんにとって一番話したくないことを。
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