第37話

「生まれ変わった気分はどうかしら? 修理費の方は気にしないで。いつも通り全部私のツケだから」


「悪かったって。人工皮膜スムージースキンを張り替える度にそんな嫌味を言われても今更取り返しはつかないだろ。それに結局最後は俺の借金に加算されるし、怒るなよ」


「怒ってませんよ? 貸したものを壊されたからといって、怒ってませんからね」


 地下から抜け出した次の日、俺はマリア博士の研究所を訪れていた。身体の人工皮膜が全部剥がれてしまったので張り直しをしたかったし、腹部の応急処置も検査しておきたかった。


「それはそうと傷のスキャン結果だけど心配はなさそうよ。出血も無し、壊死も無し、話の通り肝臓が一回り小さくなっているようだけど問題ないようね。安静にしていれば大丈夫そうよ」


「社長の言う通りだな。医療に心得があるとは言ってたが、まさか何の処置も必要ないなんてな。運が良かった」


「責任者としてはもっと身体に気を付けて欲しいわね。全身サイボーグとはいえ、君の身体には元の生理機能がほとんど残っているのよ。心臓、肺、胸腺、胃、肝臓、腎臓、一部の臓器を除いて全部ある。内臓は強化した部位と比べて脆弱そのものだから、保護ジェルや追加装甲で守られていても弱点に変わりないのよ」


「……分かってる。でもそれなら全て人工臓器に置き換えられないのか? 今ならもっと高性能なものがありそうだけどな」


「残念ながら、脳みそと中枢神経を除いた人工臓器でも完全に機能するのは3ヶ月がやっとよ。それも再手術を行うたびに死亡率も上がるし、機能不全を起こす確率もどんどん上がる。

 そして説明するまでもなく臓器の置き換えは不可逆、元の自分のものどころか他人の移植手術にも耐えられない。完全なサイボーグは今のところ片道切符だし、するべきじゃないわ。

 もしボックスの技術が流用できれば、完全にサイボーグ化できるのだけどね」


 人は容易に死ぬ。ちょっとした外傷や病気、事件や事故、もしくは寿命だ。不老不死を求めているにも関わらず、生死に関して人間は全く特別ではない。


 我々は命という世界のことわりから見れば、未だに他の動物たちと大して変わらないのだ。


 しかし人間とてただ手をこまねいていたわけではない。食を充実させ、衣服をまとい住居を構えて集団社会を作り出した。一部の病やケガは医療技術で克服し、寿命は2倍以上に延びた。


 それでも永遠にはほど遠い。生身を機械に置き換えようとしてもそのかせは思った以上に固く、しかも酷く元の身体に依存している。原因は人の意識が肉体の奴隷であり、切っても切り離せない関係だからだ。


 グレーボックス、もしくはボックスと呼ばれるロストテクノロジーが見つかった時、人は不老不死という夢を叶えられると本気で信じていた。第一人者のカライト博士もそのひとりだったはずだ。


「結局、ボックスとの脳融合による不老不死の実現は研究が煮詰まり失敗したわ。実現するにしてもコストとリスクが見合わない。だから今は大容量の記憶装置と高速演算装置を兼ね備える道具としての利用価値が見出されたわけ。現実的な路線だったとは言えるけど、夢の技術にしてはずいぶん安っぽくなったと思わない?」


 見方を変えれば不老不死のための利用方法は夢見がちで非現実的だった。社会はその辺をわきまえて実を取ったというわけだ。


「世間話もこの辺にしようか。何せ今回は整理しないといけない話が多すぎるからね。地下のブラックマーケットに行くとは聞いていたけど、思いのほか色々あったみたいね」


「色々、だとだいぶ控えめな表現になるな。俺にとっては天地がひっくり返るような話ばかりだったよ」


 マリア博士には包み隠さずこれまでの出来事を全て話した。俺が嫌い、というセリフが口癖のマリア博士だが、俺の知る限り身の安全のために情報を売るようなタイプの人間ではないからだ。


 そもそもマリア博士が俺を嫌う理由については、俺自身も知らない。聞いたところによればマリア博士と俺の母が親友だったらしく、俺のせいで母が死んだから嫌われているのかもしれない。


 マリア博士は「君のせいではないよ」と相手をゆるすような殊勝しゅしょうな性格ではないため、怒りの感情をぶつけてくるのは不自然ともいえない。


 それでもマリア博士の行動はあべこべだ。無条件ではないにしても俺への協力は惜しまないし、脅しや罵倒も友を失くした憎しみにしては軽すぎる。もしかしたら友が残した子供だから、という煮え切れない複雑な想いがあるのかもしれない。


 俺は、マリア博士から本音を聞き出すべきとは思わない。元々自分について話を振られても暖簾のれんに腕押しで相手にしない人物だ。加えて今まで世話になったことに十分恩義を感じている。だからこそマリア博士の過去を掘り返してアダで返すのは避けたかった。


 そんなマリア博士は俺から第三地下であった出来事について報告を聞き、疑問を口にした。


「古い地下刑務所の下に今も被検体がいるなんてね。10年も前のことだからあそこのスキャンダルなんてもうないと思っていたわ」


「その口ぶりだと地下刑務所で起きた事件は知ってるのか?」


「知らないの? 私もあそこで研究していたのよ」


「……!?」


 俺が目を丸くしている様子を見て、マリア博士は悪戯っぽく笑った。


 これまで自分の過去について全く話さなかったのにあっさり白状したので、俺は困惑していた。マリア博士は俺のそんな気持ちを知っているのか知らないのか、包み隠さず話し始めた。


「あの場所の研究施設は機密レベルごとに管理されていたの。セーフレベルが低いと優先度も低くて、そこでのサイボーグ関連の研究はセーフレベル1だったわ。研究所で警報が鳴った時も、私たちは真っ先に上階へ逃げて何が起きたのかよく知らないの」


「じゃあ、カライト博士の存在と研究は公然の事実だったのか?」


「カライト博士がいたのは知ってたわ。だけど一度も話したことがなかったし、研究内容は私たち下っ端連中には知りようがなかったけどね。彼女の研究所は他と違って監視塔の下にあったからどうにもならなかったの」


 俺たちが丸刈りの男たちから逃げたルートを思い返すと、第三地下の監獄とマリア博士の証言には大きな差異が感じられない。口頭で訪れた場所の構造を教えていないため、マリア博士の語る過去は真実味が出てきた。


「もしかしたら私たちはカモフラージュだったのかもしれないわね。国防を担う秘匿研究とあおって、集めたのは新米研究者ばかりだったし、給料も安かったわ。頼めば高い機材も研究費も調達してくれたから、WinWinだったけどね」


「じゃあ、ずっと第三地下で研究してたのか? 気がめいりそうな話だな」


「そうでもないよ。秘密保持契約を守って休暇申請すれば、一週間以上の休みも取れたし」


「……秘匿性の高い研究所じゃなかったのか?」


「インテリにとってキャリアを抹消されて上の刑務所に送られるのは死に等しいものよ。経歴こそ我が人生、面子こそが最大の宿願。口に戸は立てられなくても心にくさびは打ち込めるものよ」


「そうなのか? 今のマリア博士からは想像できない真面目さだな」


「それはそうよ。私は経歴を詐称して潜り込んだもの」


 国の秘密研究所相手に詐欺を働くとは、マリア博士の図太さには驚くばかりだ。


 マリア博士から10年前の第三地下について詳しく聞くと、ひとつだけ現地からは得られなかった情報があった。それはマリア博士が出入りした地上出口の話だ。


 秘密研究所の研究者は目隠しをされた後に小さい車で長い移動をし、エレベーターに乗せられて外へ行けるらしい。


 外に出た後も目隠しのまま車に乗せられ、しばらくすれば市内で解放されるそうだ。場所を特定されにくくする手段としてはありきたりな方法だが、研究内容口外禁止の人質が家族や恋人ではなく持ち去れない経歴のみと考えれば妥当な扱いだったのかもしれない。


「私もカライト博士の生死や行方が気になって調べたけど、何もわからなかったわ。カライト博士の研究内容や、囚人施設を併設した理由もわからなかったのよ」


「後者についてはカライト博士を隠すための工作じゃなかったのか?」


「その可能性は薄いわ。もしカライト博士を秘密裏に匿うなら囚人施設は要らなかった。きっと他に大事なことがあったはずなのよ」


 俺とマリア博士が第三地下の謎に思いを巡らせていると、研究室の扉が開いた。


「お話し中のようですが失礼します」


 部屋に入ってきたのはマリア博士の助手であるアンドロイドのサトーだ。


 サトーは姿かたちをほとんど人間に寄せる近年の傾向に珍しく、一目でロボットと分かる剥き出しのパーツをナース服で隠した個体だ。それは単にマリア博士の趣味趣向に起因するようで、俺よりもサトーに人工皮膜の試着をさせればいいのではないかという指摘はかなり昔に無視されている。


「どうしたの? スウェルちゃんに何かあったの? それとも新しく連れてきたマリーちゃんの方? それなら通信で良かったのに」


「スウェル様はただいま作業に集中したいのでひとりにして欲しいと言われました。そのため私の作業室に籠っております。新しくお連れしたアンドロイド、個体名マリーについてはカネツネ様の指示を守り、建物の外を巡回しております。ただいまの要件はカネツネ様からお預かりした品の返却についてでございます」


「あら、そうなの?」


 スウェルは第三地下から戻って以来、あまり話していない。関係が悪くなったとかではなく、スウェル本人が独りで考えている時間が長くなったせいだ。


 悩み事でもできたのかと思い、相談相手になろうかとスウェルに持ちかけたこともあった。それでもはっきりとした返答はなかったため、何を考え何に取り組んでいるかは俺も知らない。


 マリーの方は、俺の自宅に放置するのも心配なので研究所まで連れてきてしまった。どちらにせよマリーはノーヘッドの指示を守って俺たちから離れないため、せめて今は研究所の外にいてもらい、距離をとっている。


 そして肝心の俺がサトーに頼んだ用事は、第三地下から唯一持ち帰った品物についてだった。


「例の手帳だな。どうだった?」


「一部焼けた箇所や最初から切り取られていたページについては復元できませんでした。しかし他は保存状態もよく、判読は可能です」


「よしよし。持ち帰って正解だったな。パソコンに取り込んでくれたか?」


「はい。とどこおりなく」


 『例の手帳』とは初めて人の異形と会い、スウェル2号と呼ばれた大型ドローンを喪った場所で手に入れたものだった。


 手帳は爆発の衝撃で目の前に転がってきた金庫の中にあり、手土産を持たずに立ち去るのも気が引けて口の中にしまい込んで持ち帰った。


 俺たちを監視していた何者かによる脅しでこれ以上の探索ができなくなり、収穫と言えるものは情報以外にこれくらいしかない。


「金庫の中に? 暗証番号は自力で解けたの?」


「いや、開いてたんだ。てっきり爆発のせいかと思ったが、もしかしたら最初から開いてたのかもな。なにせ金庫はそんなに損傷してなかったしな」


「ふーん、変な話ね」


 厳重な保管場所へ雑に置いてあっただけなら、手帳の重要性は低いかもしれない。ただ考えようによっては、わざと誰でも取れるように置かれていた可能性もある。


 俺は一縷いちるの望みにすがって、マリア博士にデータを開くよう勧めた。


「分かったわ。どれどれ……。ふんふんふん……」


 画像データの手帳は最初の状態よりもかなり修繕され、文字も判読できるようになっていた。けれども汚れをぬぐってみても元の文字の癖が強く、読み解くには時間がかかる。


 おまけに書かれた内容は難解な用語や比喩が頻出ひんしゅつしており、俺の知識では目が滑って眠くなるばかりだった。


 マリア博士はかろうじて手帳の中身を理解できるらしく、険しい顔のままページを読み進めていた。その顔は読み進める過程で次第に和らぎ、半分まで読了した時には好奇心によって紅潮した顔になっていた。


 巻末までページをめくったところで、マリア博士は興奮冷めやらぬ表情をこちらに向けていた。


「お手柄よ! この手帳には私たちが知りたかったことがほとんど書いてあるわ。まさに砂漠からダイヤモンドの鉱脈を掘り当てたような奇跡だわ!」


「そこまでか? なら手帳の持ち主はよっぽどの人物だったんだな。誰だ?」


 俺の脳裏にはある人物の名前が浮かぶが、呼ばれるとしたらあまりにも都合が良すぎる。だがあの研究所で俺やマリア博士のこれまでの疑問を解消させるには、研究をさせていた真の黒幕か、俺が名前を知っているあの研究者しかいない。


 ならば自然に考えて、値千金の情報はその行方不明の研究者からだろう。


「もちろんこの手帳の持ち主は話題のあの人、カライト博士よ。だけどもっと重要な情報があるわ。これはカネツネも驚くと思うし、私もどういう繋がりがあるか分からない。けれどもきっと、もうひとりの人物はこの研究に深く関わっているはずよ」


「それは誰だ? 知ってる奴なら事情を訊けそうだな」


「いいえ。それは無理よ。名前を聞けばその理由は君にもよく分かるはず」


 マリア博士は眩暈がするほど高密度で小さな文字列を拡大して、最後の一節を表示した。それは研究の内容や結論ではなく、手帳に残された伝言だとすぐに分かった。


 何故ならば文の中には俺もよく知っている懐かしい名前があったからだ。


「親愛なる共犯者、メルへ。

 この手帳を見つけた時、アナタが答えに辿り着く前であることを祈る。ボックスの真実は解明するべきではない。それを知ることはアナタの滅びに繋がる。

 アナタを敬愛する友、カライトより」


 カライト博士が共犯者と呼ぶその名は、俺がまだサイボーグになる前に自殺で命を絶った親友の名前だった。


 メルは生前、現代のボックスを利用したアルゴリズムの基幹システムをほぼ全てひとりで編集した天才的なプログラマーであり、研究者だった。一般的な感覚ならば才能の双璧とも呼べるメルとカライト博士、その2人の交流があったのではないかと疑うに足るだろう。


 少なくとも言えるのはメルの死後に俺が調べた結果、メルが公式にも非公式にもカライト博士と接触した形跡はなかったという結論に到達した。それに俺は死後の数日前にメル本人から直接、カライト博士と交流する機会はなかったと聞いている。


 もしくは、メルは俺に対して嘘を言ったのかもしれない。親友だとしても明かさなかった秘密、共犯者と呼び合う友とだけ共有した謎、どれも俺が知らなかったのはその程度の信頼関係だったからではないだろうか。


 本当に自分は、メルが信頼する親友のひとりだったのか。マリア博士が狂喜する中、俺の思い出がかすんでいくのを感じた。

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死ねないクロガネと死なない電算機の少女 砂鳥 二彦 @futadori

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