第35話

 サイボーグの身体に張り巡らされた配線を伝い、古代人が生み出したアーティファクトであるグレーボックスから未知のエネルギーが流れ出す。そして、それは電力に変換される形で枯れていた俺のバッテリーを充電し、動力が戻り始めていた。


 軽く動かしただけでも油圧で駆動するシリンダーが力強くピストンし、高い強度を誇る特殊合金のフレームが喜びの悲鳴をあげるかのように軋む。


 俺は歓声の中にいるような高揚感を感じて、心の中で身震いした。


「この世に敵なし、って感じだな」


 先ほど大男によって好き勝手に殴られた怒りが今になって蘇り、俺は無性に腹が立ってきた。理由と手段がともなった今、復讐のお膳立ても揃った。そろそろしっぺ返しを食らわせる時間だ。


 俺はスウェルの先頭に立ち、ゆっくりと近づいてくる大男の威圧感をものともせず、前に進む。


 大男の体躯は何度向き合ってもなお異様さを感じるほどの、3メートル超の長身だ。動きは緩慢であるけれども、油断はできない。先の戦闘ではこちらが不覚を取り、顔に土を付けられたばかりだからだ。


 その一方で大男はまだ一度も膝をついていない。強化手術による肉体の耐久力が理由だろうが、俺にしてみれば公平な恥さらしではなく、とてもフェアといえない。そちらも同じ目にあってもらうべきだ。


 お互いに手の届く距離まで来ると、先に仕掛けてきたのは大男の方だった。


 大男はおもむろに両手を伸ばして、いきなり俺の頭を鷲掴みにしようとする。首でも折るつもりなのかもしれない。


 俺がそのまま捕まると思っているならば、考えなしでもいいところだ。


 大男の両手が届く寸前、俺は下から両手を払いのけて捕まらないように軌道を変える。同時に、大男の両手首を掴んで逃がさない。


 俺は掴んだ手首を左側に引き寄せ、相手の右膝の皿を蹴り飛ばす。踏み抜いた感覚だと蹴った足は逆方向に曲がり、大男の体重がこちらの意図した方向へ傾いた。


 背負い投げの要領で担いだとしても、本来なら俺がかなりの重量級である大男を投げ飛ばすのは少々骨のある作業のはずだった。


 しかし古代人のテクノロジーによって力のあり余った今なら、それも問題にならなかった。


「どっこいせ!」


 俺は大男の長い腕で力点と支点を作り、追加で振り向きざまに自分の腰を使って作用点を直接跳ね上げ、大男が宙に舞った。


 勢いが付きすぎたせいか、投げの途中で大男は放物線を描いて飛んでいき、落下地点にいた丸刈りの男たちを数名巻き込んで軟着陸した。


「行け、スウェル! 社長に隠し扉を開けるように伝えてくれ」


 目的は地下にいる丸刈りの男たちと人の異形の殲滅ではない。如何にしてこの勢力を地上に出さずに撤退するか、それに尽きる。


 俺はスウェルの退避を援護する形で他の丸刈りの男たちを退け、逃げ道を切り開く。大男が立ち上がって追撃を再開する前に、出来る限り皆が逃げる導線を作らねばならない。


 眼前に追加の丸刈りの男たちが立ちふさがるが、バッテリーが充填された以上、それも敵ではない。


 まず俺はまとめて襲い掛かってきた丸刈りの男たちの先頭を捕まえる。そして古今無双の武将のように長柄武器の要領で丸刈りの男を振り回し、全員を撃退した。


「――なんだ?」


 俺は身体の調子がいいどころか、いつもより巧みに動けている状況に気付き、違和感を覚えた。それはまるで自律したアルゴリズムのように、自分の決定よりも早くタスクが完成していく万能感に近く、自分を俯瞰ふかんしているようでもあった。


 しかも同時に、遭遇した覚えのないシーンが突如として映像という形で想起され、海馬へ刷り込まれているのを感じ始めていた。


 脳裏をよぎったのは戦場で馬に乗り、戦斧せんぷを構えて敵の軍勢を割いていく光景だった。腰の位置を通過する敵歩兵の首を次々と、実りある稲穂を鎌で刈り取るように収穫していく。


 途中までは悪鬼のごとく奮戦していたものの、目の前に顔の見えない男が登場してから、事態は変わった。


 顔の見えない男は手の中に浮遊した、ボックスに似た結晶構造を持つ灰色の物体を持っており、他には何の武装もしていない。それでも顔の見えない男が灰色の結晶を掲げると、切りかかろうとした兵士たちが強風にあおられたようにばたばたと倒れていくではないか。


 倒れた兵士たちは地面に伏せたまま動かない。その顔は青白く、魂が抜けたかのように生気を感じなかった。


 俺の視点で暴れまわっている誰かは他の兵士とは違って超常的な現象に恐れを見せず、友軍の敵討ちとばかりに勇ましく顔のない男に挑みかかった。とはいえそれは無策の突撃ではなく、馬を巧みに操って視界を迂回した冷静な強襲だった。


 自慢の戦斧せんぷがそっぽを向いている顔のない男の死角から頭頂部めがけて振り下ろされ、勝負の趨勢すうせいは瞬く間に決まったかと思えた。


 だが顔のない男はまるで羽が生えているかのように、相手を見ずに軽く自在な動きでその一撃を避けてしまう。追撃とばかりに戦斧せんぷの先で突こうとするも、顔のない男は素手でいともたやすく攻撃を受け止め、そのまま戦斧せんぷの刃はガラスのように砕けてしまった。


 俺の視点を代行している人物は武器を破壊されて呆然としたのか、顔のない男の反撃を許してしまう。顔のない男がこちらに灰色の結晶体を押し付けると、視界は急に暗転してしまった。


「――ぐっ!?」


 臨死体験のような消失を体感すると共に意識が現実に引き戻され、場面は第三地下の喧騒へ戻される。脳内で経験のない過去のロードショーが始まる前と同じ、丸刈りの男たちを蹴散らした後のようだった。


「なんだ? 今のは」


 妄想として忘れ去るにはあまりにも生々しい記憶だったため、すぐさま気の迷いと言い捨てて戦いへ集中し直すのは難しかった。


 俺に起こった謎の症状は眩暈めまいを起こすような時間の途切れに驚いている間もなく、今度は別のイメージへと移される。


 次の場所は空気に湿潤しつじゅんを含んだジャングルの中にいる光景のようだ。肌に感じる質感は抽象的な比喩ではなく、じっとりと空気が張り付くような湿度の高さを感じ、それは否定しがたいリアルな感覚に思えた。


 またも誰かの視点から見下ろしてみると、両腕には錆びた金属のフレームと木製のストックの機関銃が大事に抱かれていた。


 腕の中の機関銃は伏せた状態にもかかわらずせわしなく揺れていた。何故ならその持ち主の身体が豪雪地帯の寒さに耐えかねたように激しく震えていたからだった。


 そこは雨もない昼間のジャングルだ。気温は高く、服も汗で塗れている程度である。そうなると原因は他の理由だった。


 熱帯林特有の葉の長い低木に潜んでいた人物は、何かに気付いて急に振り返る。するといつの間にか背後に顔のない男が立っていて、その視点の揺れはより一層強くなった。


 顔のない男が、つい先ほど古の戦場にいた人物と同一人物かどうかは判別がつかない。けれども片手に浮かぶ灰色の結晶体はほとんど先のものと同じ見た目なので、無関係とは思えなかった。


 視点の主に対して後方からのアンブッシュに気づいた用心深さを賞賛したいところだが、顔のない男は容赦なく灰色の結晶体をこちらへ向ける。俺が覗いていた視点の人物は咄嗟に機関銃を構えたものの、またしても視界がブラックアウトした。


「ぐっ!?」


 目の前が真っ暗になったタイミングで、俺は再度現実に引き戻される。汗腺もないのに全身の毛穴から冷や汗が流れ出すような悪寒を感じ、非常に気分が悪くなった。


 俺は平衡感覚までも失い、立っていられなくなって片膝を折った。


 今までにない体調の変化ではあるが、俺はどうにか頭を振って正気を保とうと努力した。


「ギシャアアア!」


 その隙を狙ったように、丸刈りの男たちが俺に群がってくる。俺は「それどころじゃない」とばかりに頭を押さえたままハエを追い払う要領で片腕を払うと、予想外にも丸刈りの男たちは簡単に小突かれただけでれたトマトのように弾けた。


「!? 出力が勝手に上がってやがる――」


 力の制御が出来ない状況に気付き、俺は必死に義体を調整しようと苦心する。その間にも丸刈りの男たちはそれぞれ俺に飛びつく者や、横を通り過ぎて中央監視室へ向かおうとする者がいた。


「通すかよ!」


 俺は橋の欄干らんかんを掴むと強引に引き抜く。余計な節をこすり落とすように鋼鉄の指で削ぎ、取り外された欄干は長い棒状の武器となって俺の手に収まった。


 俺は自分に組み付いている丸刈りの男たちを無視して棒を構え、動きを制限されている素振りもなく棒術を披露した。


 まずは去り行く丸刈りの男たちの一団に長柄の攻撃が追いつき、全員の足を払う。あまりにも鋭い一撃だったのか、中には勢いあまって空中で2回転した者もいる威力の一撃だった。


 俺が知る限り自分は武術の心得がないため、咄嗟に巧みな棒捌きが使えて驚いた。とはいっても余裕もないため、これ幸いとばかりに俺は動きをより加速させて更なる攻勢を強めた。


 まず手始めに俺は指先を滑らせて棒全体に自分の意思を伝える。


 棒は俺に従い鞭のようにしなり、身体に噛みついていた丸刈りの男たち全員を少しずつ叩き落としていった。


 最後の一振りで丸刈りの男から完全に解放され、次に俺は棒の先を蛇のように這わせて攻防一体の突きを周りの丸刈りの男たちに浴びせた。


 自分自身でも信じられないくらい見事な連撃が近くにいた丸刈りの男たち全ての顔面正中へ命中し、俺は自然と笑みがこぼれた。


 何故ならこれまでの大雑把なパワープレイとは違う技巧的な動きが、まるで自分の身体が自分のものではないような忘我とより強くなったような達成感を俺に与えてくれていたからだった。


 動きが変わった原因はまず間違いなくスウェルの力を俺に付与した結果だろう。危険性は認識していたけれど、もっと影響は少ないと過小評価していたようだ。

 

 ありもしないものが見えた上に、経験のない技を会得してしまい、今の俺は心と身体の整合性を欠いてひどく現実離れしていた。


 前向きに捉えれば、この変化は新たなスキルを得たプラス要素だと言えなくもない。だが常識的に解釈すれば、これは自分が内側から別のものに変質していくような不気味な虫の変態だ。


 どれだけ強くなろうと、自我を失ってしまえば当初の願いは叶えられず、本末転倒になる。それならばいくら多才な技や無限の力を得たとしても、目的を見失った手段に意味などないだろう。


 もしボックスの影響が留まることなく広がり、我を失ってしまうならばそれは俺も怖い。ただし俺が最も恐れているのは、記憶と共にある大切な想いがどこにも残らない場合だ。


 俺は想いさえ残れば命も自分の意思もいらない。正気も楽しみもいらない。俺が生かされているのは、未来へたどり着けなかった大切な人々の祈りを、少しでも先へ届ける使命があるからだ。


 そのためならば、俺は何でもやる。死んでもいいし、不老不死にだってなってやってもいい。その結果、別の存在に変わったとしても構わない。


 だからこそ俺は不安や変質を力づくで説き伏せて、死ねない運命に従って精一杯生き続けるだけだ。


 丸刈りの男たちのほぼすべてを打ち倒して決意を新たにしていると、転倒から復活した大男が三度俺の眼前に現れた。


 俺は引き続き素早く棒を振って大男に襲い掛かり、四方八方から猛攻撃を仕掛ける。けれども大男はどっしりと構えて防御態勢を取り、このくらいの迎撃にびくともしない。


 そのうち武器にしていた手すりの棒も金属疲労で折れてしまい、俺はステゴロに戻っていた。


「強き一念は岩をもとおす!」


 俺は再武装の選択肢を捨て、大きく右腕を後ろに引いた。両足は縦方向へ肩幅よりも大きく開き、これまでよりも低く構えた。


「なら肉の壁なんて問題ないよな」


 投球モーションのように腰へひねりを加えつつ、ボールの代わりに拳が前へ突き出される。


 俺の攻撃は空気を裂き、周りを衝撃波の音や風圧で制した。


 大男は正面を丸太のように太い両腕でガードしていたが、俺の義手が大男の胸を食い破り背中側へと貫かれていた。


 代わりに鋼鉄の拳はプレス機の下敷きになったように潰れてしまい、もう使い物にならない。おまけにこれまで感じていたオーラもいつの間にか身体から消失してしまって、俺の継戦能力はついに尽きてしまった。


 俺が脱力で膝をつこうとしていると、受け止めるように俺の肩を支えようとした存在がいた。それはスウェルだった。


 結局スウェルの身体では金属で造られた俺の身体を支えきれず、一緒に崩れ落ちる。かろうじて俺の全体重でスウェルが潰れるのを肘の支柱で防ぎ、俺の懐の隙間に収まったスウェルは苦笑いした。


「ちょっとカネツネは重すぎるんだよ……。健康のためにも、もっと痩せた方が良いんだよ」


「……ったくよ。最初から重さの融通が利くなら住む場所には困らないんだがな。俺を自力で助けたいなら、スウェルの方が筋トレでも励むことだな」


 俺がやっと立ち上がったのは、その後から駆け付けたノーヘッドとマリーが合流して、手を貸してくれたからだった。


 俺はノーヘッドとマリーにそれぞれ両肩とも支えられ、誰にも阻まれずに中央監視室へ急ぐ。中は既に制圧されており、動ける丸刈りの男たちも障害になるほどの抵抗はなく、俺たちは素通りした。


「電気はまだ来ているようだな。さてと、記憶通り暗号が正しければ良いのだがな」


 ノーヘッドがオフレコで聞きだした隠し通路のパスワードを、部屋の真ん中の支柱に張り付いたキーパッドへ打ち込んでいく。


 果たして入力した数字は正しいのだろうか。と思う暇もなく。何の余韻も起こさずに支柱を覆う壁の一部が上へスライドし、中にらせん状の階段がある小部屋を発見した。


 ノーヘッドの言う通り、エレベーター恐怖症の俺でも大丈夫なコンクリートによる普通の階段だ。ただどうして階段しか用意できなかったのかという質問に返答するように、備え付けのエレベーターを設置できないほどその隠し階段は狭かった。


「ふむ、カネツネ君はこういった場所も平気なのだろうか? 残念ながら非機械的上昇手段はここしかない。腹をくくってもらうしかあるまいな」


 俺は苦い顔をするが、このくらいなら想像の範疇だ。


「大丈夫だ。単なる閉所恐怖症はだいぶ克服している。何しろ社長が必要もないリスクを背負ってまでして切り開いてくれた道だ。今更、無碍むげにはできないよ」


「気負わなくてもいい。私とて今回は多くの学びがあったのだ。それに同志になりうる人物をいたずらに失うのも忍びなかったのでな」


 俺たちはノーヘッドを先頭に、マリー、スウェル、最後に俺が殿しんがりとなって隠し階段へ侵入した。


 丸刈りの男たちも追ってくるが、もうどうあっても俺たちを止めるのが間に合う個体はいない。これでやっと逃走劇も終わりだ。


「なんだかんだで2年以上逃げ回っていたみたいなんだよ」


「おいおい、それはいくらなんでも誇張しすぎだろ。時間の感覚でも狂ったのか? 戻ったらカウンセリングでも受けるんだな」


「それは言いすぎじゃないのかな!? ひどいよ!」


 軽口を叩きつつも全員が入り、ノーヘッドは隠し階段の内側からもうひとつの端末を操作した。


 それから、ついに扉は閉まり脱出できた者たちは俺たちだけとなった。


 丸刈りの男たちという謎の集団はそうして第三地下に閉じ込められたのだった。

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