第34話

 研究室全体を包み込んだ熱と爆風が収まり、嗅覚センサーが焦げ臭さと焼けたあぶらの匂いを感知して俺に伝えていた。


 俺は目を閉じたまま身体に残っている感覚センサーを確認する。先ほどの嗅覚センサーと聴覚センサーは問題なく機能しており、触覚センサーのフィードバックだけがない。どうやら身体を包んでいた人工の皮膚は 爆炎によって全て剥がされてしまったようだ。


 俺は周りの状況を把握するため、義眼を保護していたまぶたを開く。すると、見通しが良くなり絵の具じみた血肉の赤と白、それに炭のような黒がぶちまけられた研究室が見えてきた。


 また部屋の防火装置が既に作動しており、スプリンクラーから消火剤の豪雨が降り注いでいた。そのため、爆風だけでは消えなかった残り火も間もなく消し止められそうだ。おそらく延焼の心配はないだろう。


 他にも元々あった机や椅子などの簡素な家具は衝撃によって全て壁へ投げうたれ、本来の原型を留めていない。破壊されたものはそのまま部屋の端にうず高く積まれ、それは残骸の山と化していた。


 俺自身もまた大きな爆発によって壁際まで移動させられ、床に転げていた。だがそのおかげで上に乗っていた丸刈りの男たちの拘束から解放されて、俺は再び自由の身を取り戻していた。


 その一方、研究室内に殺到していた丸刈りの男たちは全員行動不能な状態になっていた。動ける者も身体を繋ぐどこかが千切れていて、これ以上戦闘を続行できる五体満足な者はいない。 戦いは終わったようだ。


 俺は安全を確認して立ち上がり、脚にすがりつこうとする丸刈りの男たちを蹴とばして進んだ。そして爆発の中心へ戻ってくると、そこにはわずか機械の破片が残されており、かつてスウェル2号と呼んでいた大型の軍用ドローンの名残なごりがあった。


 スウェル2号を宿しているであろうボックスの痕跡はもうない。仮に見つけようとしても自爆によって瓦礫だらけになったこの場所から破損したボックスを探し出すのは、砂場に落ちたビーズを見つけるよりも難しい。


 悔しいが時間がない以上、ボックスの回収は諦めるしかない。それにいつまでも立ち止まって悲嘆に暮れているのは、彼女の願いに反した行動だ。


 もう囮の役目は十分果たした。早くスウェルとノーヘッドたちに合流して脱出しなければならない。


 俺は短い黙とうもそこそこに研究室を出て行こうと決心した。


「ん?」


 俺が扉のなくなった出入り口を通ろうとしていると、壊れた家具の中から顔を覗かせた個人用の金庫を見つけた。元々あった場所は分からないが部屋のどこかに隠されていたものらしい。しかも不用心にも金庫の扉は半分ほど開いたままになっており、隙間から手を入れれば中身を拝借できるようになっていた。


 余計な時間はないが、ここまで犠牲を払って報酬の1つもないのは悔しい。俺は手土産がてらに金庫の中身を乱暴につかみ、口の中に押し込んだ。


 金庫の中身は手帳だったらしく、折りたたんでしまえば口に含むことも可能だった。俺は早朝の美少女のごとくパンの代わりにそれを加えてすぐさま廊下へ走り出した。


 研究室を出た先に丸刈りの男たちの影はない。研究室に集めたおかげで付近の脅威は一掃できたようだ。それでも壁を縫う配管を通して獣のような不気味な叫びがこだまする様を見るに、まだまだ動ける丸刈りの男たちの数は多いのだろう。


 幸運なことに丸刈りの男たちが障害となる気配もなく、目的の中央監視室が目前に迫る。最初迷路のような造りに苦戦したが、今は館内の地図や案内板を探し出す余裕もあり、複雑な経路も難なく攻略できた。


 俺が階段を登りきると広い空間に出る。どうやらついに中央監視室のある階へたどり着いたようだった。


 出来る限り慎重に周りを伺い、俺は施設の中心へ向かう。可能な限り他からの注目を浴びずに目標地点へ行きたかったが、もう少しのところで状況が変わった。


 銃声だ。音がした場所はあまり遠くない。聞きなれた拳銃の発砲音なので、おそらく俺の銃を借りたノーヘッドによるものだと推測できた。


「おいおい、ったく。ここにも奴らが集まっているのか!?」


 静かに動くのはもう止めた。俺は黒い義体の活性を高め、見晴らしのいい場所へ跳躍した。


 予想通り、上から見ると眼前には丸刈りの男たちの群れがいた。人数と密度は研究室の時よりもずいぶん少なくまばらで脅威は薄い。それだけならノーヘッドとマリーだけでも対応可能だろう。


 ただ問題なのは後方に控えている3メートル超の大男だ。大男は量産型の丸刈りの男たちと違い、研究室で戦った人の異形と同種の雰囲気をかもし出している。ノーヘッドたちの様子を見る姿は理性と知性を感じ、とても手ごわそうだ。


 俺は丸刈りの男たちへの応戦をノーヘッドたちに任せ、大男に先制攻撃をかけるべきだと判断した。


「こっちだ! でくのぼう!」


 大男がこちらに気付いても対処しようのない距離とタイミングで、俺は大男の後方から右下脇腹めがけて拳をぶつけた。


「ぐっ!?」


 俺が大男の身体を拳で打った直後、鋼鉄の右腕が反対側へ弾かれた。他の人の異形と同じく、この大男の肉体も特別製のようだ。単に助走を加えた物理的衝撃だけでは大男の体勢を崩すのに不十分のようだ。


 俺は一度後ろに引いて大男から離れ、戦略を練り直した。


 大男を殴った感触が正しいならば、前回の巨頭タイプのように皮下の骨で身体を保護しているわけではない。これは束ねられた筋肉や厚い脂肪によって身体を守っている可能性がある。


 骨とは違い硬度はそこまでなく、代わりに肉体組織は弾力と柔軟性があり、衝撃吸収に優れている。それ故に、俺の殴打と相性が悪い相手だ。


 せめて銃撃や斬撃、理想を言えば爆発的な破壊力が欲しい。ない物ねだりなのは承知しているが、こいつが最後の障害だ。どうやってでも無理を押し通すしかない。


「どれだけ丈夫だろうが、所詮は生身の延長線だろ!」


 俺はサイボーグの身体の出力を上げてもう一度、大男の前へ踏み込んだ。1発で揺らがずとも続けて何度か最大パワーを叩きこめば攻略の糸口が見えてくるはずだ。この瞬間最善なのは全力の継戦だ。


 鋼の拳が電磁モーターのうなりを上げ、大男の腹を複数回殴る。大男も反撃に長い腕を振るってくるが、遅くぎこちないスイング程度は俺を捉えられない。例え運よく衝突のコースでも、軽いスウェイで頭を下げてやれば余裕で避けられるスピードだ。


 大男の防御力に反して攻撃の脅威は大したものではなく、これなら攻勢を維持していくらでもダメージを与えられる。


「よしっ! このまま――」


 俺は優位に戦えると確信し、一方的に押し込むため更に攻撃の回転数を上げようとした。


 しかし、人工の身体が俺の意思に反して急に脱力してしまう。そのせいでこちらの優勢はそこまでの打ち止めになってしまい、混乱が生じた。


「しまっ……!?」


 俺の身体が動かなくなったのはバッテリーの残量が無くなったからだった。


 サイボーグも所詮は電力を使う機械だ。エネルギーも無尽蔵ではない。メインのバッテリーが底をつけば、動きが止まるのも必然だ。


 予備の緊急バッテリーに切り替えれば再起動は可能だが、あくまでもそれは保険だ。動けたとしても今までと同じパワーを出し続けるのは難しいし、持続時間もさほど長くない。


 しかも急な動力の切り替えは動けるようになるまで遅延時間ディレイが存在する。その空白は1度深呼吸するくらいの短い間隔ではあるが、肉薄している状態の隙としては致命的だ。


 空振りした大男の丸太のような腕が折り返し、俺の無防備な後頭部を殴り飛ばす。受け身も取れないため、俺はそのまま地面に押し付けられ、軽い脳震盪に襲われた。


 鉄の頭蓋が脳を守り、粘度の高い人工の脳髄液が慣性を殺してくれたので俺へのダメージはあまりない。それでも脳の揺れによってサイボーグの身体は上手く操れなくなり、俺は陸に打ち上げられた魚のようにもがいた。


 大男の追撃がもう一度来る。と思われたが、俺の背中を強く打つような攻撃は続かない。その代わりに大男が身構え直し、俺の傍からわずかに離れたのを背中の気配で感じた。


「なんだ?」


 俺は様子を探るため首を回して振り返ると、大男の向こう側に誰かがいる。それは鉄パイプを担ぐ小さな影で、こちらに近づいてくるようだった。


 見間違いようがない。大男に立ち向かおうとしているのは本物のスウェルだ。


「やめろ! お前が勝てるような相手じゃない!」


 スウェルは武器にしている鉄パイプも満足に運べず、両腕で引きずっている。力も技術も足りないどころかあまりにも無力なうえ、俺でも手こずるような人の異形に対して敵うはずもなかった。


 囮として動くならまだしも、真っ向から勝負を挑もうなど、スウェルにはとても無理だ。このままでは大男の一撃で犬死もありうる。


 スウェルは俺の制止も全く聞かず、拳を振り上げた大男の間合いへ無防備に足を踏み入れた。


「――!」


 スウェルが俺にも聞こえないくらいの小さな声で、何かを口ずさむ。詳細な内容は聞き取れずとも、僅かに俺の鼓膜を震わせた独特な音階によって、スウェルが己の能力を解放したのだと分かった。


 俺が知る限り、スウェルの能力は声によってボックスを操作し、ボックスを介して機械を制御するものだった。それにも関わらず大男にも届きそうにない不明瞭な声で能力を使用し、わざわざ秘匿した切り札を使用したのだ。


 そして大男の拳とスウェルの身体が交錯こうさくする直前、スウェルの身体が消えた。正確にはスウェルが今までにないくらい速い跳躍を行い、俺の視線が追い付かなかったのだ。


 スウェルは大男が伸ばした腕を避けて懐に入り込み、手に持った鉄パイプで大男の腕を上へ弾き飛ばす。追加で空いた大男の腋側から胴体に向けて鉄パイプの軌道がぶつかり、大男の上半身が僅かにれた。


「なっ!?」


 俺が驚いている間に、スウェルは走った勢いのまま大男とすれ違い、俺の傍へ到着していた。


「どうした!? ずいぶん強いじゃないか! 実力を隠していたのか?」


 俺はスウェルを賞賛したが、近くで見たスウェルの様子によって言葉が引っ込む。


 スウェルは深刻な表情で既に満身創痍だった。鉄パイプを握る指はほとんどがへし折れていて、爪もその多くが剥がれていた。手足の白い肌は目に見えて赤く腫れており、酷使した結果だと察した。


「無理しすぎたみたいなんだよ。やっぱり皆みたいに動くのは難しいんだね」


 スウェルは弱音を吐きつつも余裕を見せようと笑う。しかし笑みの端で歯を食いしばり、冷や汗が額を伝って滝のように流れているため、強がりなのはバレバレだった。


 おそらくボックスを操る技術の応用なのだろう。何らかの方法で一次的に身体能力を向上させ、機敏な動きを見せたのだ。ただし反動で生じた負荷までは誤魔化しきれず、スウェル自身の肉体が悲鳴を上げたのだ。


 このまま同じ身のこなしを求め続けるようならば、スウェルの身体は今以上に傷つき、すぐに動けなくなるだろう。


 俺は再起動によって義体の操作権限を取り戻し、立ち上がる。スウェルの捨て身の援護を無駄にせず、体勢を整えられたのはせめてもの僥倖ぎょうこうだった。


「ったく、戦えないなら無理をするな。……だが助かった」


「あらら。やっぱりカネツネは素直じゃないんだよ」


 茶化した言葉とは裏腹に、スウェルは力なく笑った。


 本来戦闘力が皆無にもかかわらず、これほどまでの無茶をスウェルに強いて、俺は力の至らなさを実感する。今までもスウェル2号という分身を通じて俺は守られてきた。もし魂の複製と破壊が行われても他者を通じて意思が残り続けるというなら、スウェル2号の意思は確かに俺のあがきとスウェル本人の行動によって引き継がれたのかもしれない。


 俺は2人のスウェルの献身に報いるためにも、相応の覚悟を負う必要を感じた。


「おい、スウェル。その『無茶』は俺にもできるのか?」


「私はしないよ」


「ならできるってことだな」


「……」


 スウェルは嘘が下手だ。本人は回答を否定したつもりだろうが、沈黙が肯定であるのは一目瞭然だった。


「俺は壊れても換わりがきく。助けたいなら、俺の安全は諦めろ。レイズするなら俺も掛金に上乗せしな」


「だけど……」


「ったく。わがままだな。贅沢な望みを持つならその分のリスクとコストを考えろって話だ。割り切って考えろ。俺だってスウェル2号の気持ちを無下にしたくないんだ」


 俺はスウェル2号の存在を口にすると、胸がずきりと痛むのを感じた。口にするのと実感するのとでは、こうも違う。現実に示すのと心の中だけにあるのは、ずいぶんと質感に差が出てくるものだったようだ。


「そうか、そうなんだね」


 察しの悪いスウェルでも、スウェル2号の最後に気づいたようだ。スウェルは納得したように何度かうなづき、少しだけ気配が柔らかくなったような気がした。


「分かったんだよ。だけど私だって自分の身体の強化は続けるんだよ」


「おいおい、それじゃあ意味がないだろ」


「だから、私に無理をさせないように頑張って欲しいんだよ」


「……分かったよ。せいぜい努力するさ」


 スウェルはそっと俺の背中に身を寄せ、例の歌声で俺の身体にささやきかけた。その様子はまるで内緒話をするような調子で、俺は多少のむずがゆさを覚えた。


「俺を強化する前にアドバイスは無いのか? ボックスを操るコツって何かないのか?」


 相手の大男はスウェルの攻撃から立ち直り、再び俺たちに襲い掛かる直前だった。


 本当ならば試運転を挟みたかったが、準備期間が長すぎたようだ。


「コツなんてないよ。ボックスは人の意思に応えてくれるから、思うがままに動けばいいんだよ。そうすれば知らない記憶も読み解いてくれるんだよ」


 スウェルの説明は玄人くろうと感覚の抽象的な言い方だったため、まるで理解が及ばない。だがスウェルの正しさは、俺の奥底から湧き上がる無限の活力のような激しい脈動が証明していた。


「こいつは――!」


 俺は古代人の能力が全身に巡るにつれ、これから起こる全ての予感に戦慄せんりつするのだった。

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