第32話

 人の異形のうち、肥満タイプと肉食獣タイプを撃破し、俺は一息つく。


 延髄より上を引き抜いた肉食獣タイプの頭部からは血が滴り、俺の両手でトロフィーのようにかかげられたそれは完全に致命傷を受けていた。


「まだ動いてやがる……」


 しかし肉食獣タイプの頭はまだ動いている。死後しばらく生きている程度のものではない。今もまさに俺の喉へ食らいつこうと歯をむき出しにしていているのだった。


 俺が敵意むき出しの頭部を傾けて傷口を確認すると、鮮血で覆われていて分かりにくいものの、金属質の光沢が見えた。この特徴はこれまで腐る程見てきたボックスの色だ。立方体から派生した余分な部分は、脳細胞と融合した時に見られる所見しょけんと同じだった。


 肉食獣タイプの頭を横に置いておき、俺は泣き別れした胴体の方へ視線を移す。肉食獣タイプの首から下は動きが止まっており、出血も既に収まっていた。


 俺は天井をあおいだままの死体に近づき、一通り目をやる。その身体は脱力しきり、呼吸を示す胸板の上下運動や妙な体動もない。死を偽装して奇襲に備えている気配は全く感じられなかった。


 最後に俺は肉食獣タイプが握りしめていた書類に目をやる。拳で潰されてくしゃくしゃなうえ、降り注いだ血によってその紙は紅く塗れていた。その湿った紙を手に取ってシワを伸ばしてやると、まだ中身は確認できそうだった。


「ジル・カライト博士?」


 紙にはカライト博士のカラー写真と説明文らしき文字が載っていた。文字は潰れて資料的価値はないが、カライト博士の風貌がはっきりと写っている。


 写真のカライト博士は寝癖のように暴れたこげ茶色のロングヘアーをした女性で、絵に描いたようなワーカーホリックの擬人化だった。睡眠不足なのか目にくまがあり不機嫌かのように視線が鋭い。太陽光をあまり浴びてないのか肌は色白で、青い血管が浮き出てさえいる。


 ここにカライト博士の写真があるならば、おそらくこの実験室と無関係ではないはずだ。直接的にしろ間接的にしろ、関与があるのはまず確実だろう。


 とはいえ、今ここでカライト博士について考えているほど暇ではない。


「たーすーけーてーよー!」


 スウェル2号の緊張感に欠けた懇願で、俺は残り2体の人の異形を思い出す。


 最初の肥満タイプと肉食獣タイプを除いた残りの敵は、右肩から右腕にわたって巨大な腫瘍のように膨れ上がった腕力タイプと、頭が胴体のようにでかい一方でそれ以外が縮小したような巨頭タイプだった。


 巨頭タイプは歩行ドローンのスウェル2号と同じ四足歩行ながら、大きさは圧倒していた。そのうえ取っ組み合うように前腕がスウェル2号にのしかかり、押しつぶされている本人は動きを封じられている状態だった。


「俺の連れから離れろ!」


 俺は巨頭タイプに掴みかかりスウェル2号から引き剥がそうとするが、ほとんど動かない。肥満タイプよりも大きいとはいえ、巨頭タイプの体重は金属の身体である俺とほぼ同じ重さになっているようだった。


「この……」


 俺は作戦を変え、巨頭タイプにダメージを与えるべく暴力に訴える。拳を固めてボディの高さにある巨頭タイプの禿げた後頭部をアッパーの要領で乱打した。


「ん? 硬い!?」


 俺は加減をしながら殴ったつもりはなく、頭をまるごと潰すつもりで打撃を加えたつもりだった。それなのに叩いた部分は僅かに凹んだ程度で、感触も分厚い鉄の扉を相手にしているようだった。


 巨頭タイプの後頭部に与えた打撃痕を確認すると、答えがあった。後頭部の傷口からは僅かに皮膚の出血はあるものの、こぼれ落ちてくるのは血液ではなく白い花びらのような欠片だった。


 もし巨頭タイプの構造に機械がなく、更に人体由来の物質だけならば硬さの正体は1つしかない。


「こいつ……。頭のほとんどが骨か!?」


 骨は人体の中で最も硬く、密度によっては強化ガラスほどの硬度を誇っている。しかも筋肉と同じ比重があり人体の中でも重い部類だ。


 問題となるのはどうしてこいつがそんな構造になっているのか、だ。少なくとも巨頭タイプ以外の人の異形たちは、後天的に改造された可能性が高い。自然発生したこれほどまでの大きな頭蓋骨などクジラくらいなものだからだ。


 俺がよくよく巨頭タイプの肌を見ると答えはすぐ見つかった。破れた皮膚から下は骨なのだが、頭蓋骨ではない。大小さまざまな骨が何らかの方法で接着されて、頭を補強するように埋め込まれていたのだ。


「思いついてもこんなことする奴がいるか? どういう動機で改造してるんだよ……」


 だが躊躇している場合ではない。スウェル2号の身体が丈夫な軍用の大型ドローンとはいえ、巨頭タイプの重量も相当だ。それゆえスウェル2号の装甲は徐々に損傷し始めている。


 同時にもう1つの問題が別の場所で発生していた。


「あっちの奴。扉を破壊する気か!?」


 巨頭タイプと同じく生き残っている腕力タイプの方は、俺たちが入ってきた扉の前にいた。更に巨大な右腕で執拗に閉じた扉を叩き、封鎖を解こうとしているようだった。


 俺はスウェル2号を助けるか、それとも腕力タイプを止めるのか一瞬迷う。最悪な状況を避けるには腕力タイプの制止が最優先だが、それまでスウェル2号が破壊されていないとも限らない。


 そして判断の遅れは決定的な隙になる。巨頭タイプがこちらへ反転し、今度は俺にのしかかってきたのだ。


「なっ!?」


 一歩後に踏み出せば支えられた可能性はあったが、俺が扉の方へ気を取られていたのもあって巨頭タイプの急な押し出しに対応できなかった。


 迂闊だが仮にこのまま地面と巨頭タイプの間に俺が挟まれたとしても、機械の身体に収まった自前の臓器はそう簡単に破壊されないだろう。しかし先ほどと違って相手の体重は相当あり、回復と脱出に時間がかかるかもしれない。


 そうなればまず間違いなく扉の方は開放されてしまう。ここは多少のリスクを背負ってでも、時間がかかる手段を許すわけにはいかなかった。


 俺は自ら巨頭タイプを押し返し、自分の身体を一足早く先に地面へ投げうつ。衝撃で脳と内臓が揺さぶられても、押しつぶされる場合を考えれば大した違いはなかった。


 だからこそ自分の後を追い、続けて降ってくる巨頭タイプによるダメージまで食らうつもりは毛頭にない。


 俺は落下の反動と体幹のひねりだけで右腕を伸ばし、落ちてくる巨頭タイプの頭と首の付け根を狙う。右手は手刀を作り、指は出来るだけ槍のように見立てて尖らせて頭の中心を狙い、突き上げた。


「グゲッ!」


 喉をつらぬいた違和感からか、巨頭タイプは自然と嗚咽おえつのような鳴き声を上げる。手の形をした金属の槍は地面と垂直に立てられていなかったため、バランスは自然と反対側にズレた。


 俺はふやけた皮膚を割き、複雑に絡んだ骨の群衆を穿うがちちながら可動域の間を一突きで掘り進めた。


 とは言っても右腕の肘のわずか前まで腕を挿し込むと、抵抗を受けてそれ以上の進行ができなくなった。


 代わりにそのまま突き立てた右腕を支点にして、俺は場所を入れ替えるように反時計回りへ身体を滑らせる。そうなると自然に巨頭タイプも同じ方向へ回転し、逆に地面の上へ叩きつけられた。


「今度は俺の番だ」


 俺は立ち上がると巨頭タイプに埋まった右腕を引き抜き、同じ穴へ左腕の突きを通す。それを何度も交互に繰り返し、肉と骨で固められた障害を破壊していく。


 それと同時に引き抜く際、中身の骨を掻き出して穴を拡げ、身体が潜れるほど傷を深くしてやっと目的のものが見えてきた。


「やはりあったな。融合脳!」


 俺は巨頭タイプの身体を削り続け、人体にあり得ない鈍い光を視認した。そして勢いを殺さず、俺は明かりを感じた場所に腕をぶっ刺した。


 手ごたえは間違いなくあった。


「うお!?」


 巨頭タイプは先ほどよりも強く身体を揺さぶり、暴れだす。下手すれば俺の腕を肩ごとへし折って奪いかねない動きだったが、寸前で腕を引き抜き離れられた。


「どうだ?」


 しばらく様子を見ていると、巨頭タイプの動きは大人しくなった。それでも完全に静止しているわけではなく、痙攣や手足の関節を回すような単純な反復行動を繰り返している。やはり中枢であるボックスとの融合脳の完全な破壊は出来ていないようだった。


 それよりもスウェル2号の方が心配だった。俺は巨頭タイプが無力化したのを確認してすぐに、スウェル2号の安否を確認した。


「調子はどうだ?」


「大丈夫……と言いたいけど、脚部のサーボモータがいくつか壊れているみたいだよ。動くのは難しそうみたいだね」


「まずいな。上まで距離もある。修理は可能か?」


「でも私は後にした方が良いよ。先にもう1体を止めないと!」


 スウェル2号の言う通り、この研究室の脅威となる人の異形はまだ1体残っていた。


 目を向けて状況を見ると、腕力タイプが破壊している扉はもう風前の灯火だった。丸刈りの男たちを食い止めていたので頑丈だと思っていたが、腕力タイプの攻撃力はそれをはるかに上回っていたらしい。


「やばっ!?」


 俺は腕力タイプの背後へ急行し、横殴りの形で凶行を止めにかかる。


 腕力タイプは俺の一撃であっさり横へ吹き飛ぶも、どうやら妨害は間に合わなかったようだ。


 ――バキッ。


 最後はあっけなく、古い家屋かおくを揺さぶる様にぼろぼろな扉の一部が剥がれ落ちた。ついでに間髪入れず、外に居た丸刈りの男たちが迷いなく流れ込んできた。


「ったく! 間に合え」


 空いた穴はまだ人が1人身体をねじ込んで入れる程度の大きさだ。俺は頭を抑える形で再度封鎖を試みた。事態が好転しなくとも敵の侵入を少しでも食い止めれば逆転の一手に繋がる可能性もあったからだ。


 ただし丸刈りの男たちの先陣は防げていなかった。俺が遅れるようにして扉の破損を身体で覆おうとするも、先駆けの数人が俺に群がってきた。


 俺は抱き着くように組み付いた丸刈りの男たちを振り落とし、状況が悪くなるのを止めようとする。それも扉を食い破るような更なる倒壊で悪化し、進退窮きわまりつつあった。


「うっ……」


 ついには俺へ飛びつく丸刈りの男たちを引き剥がすのも困難となり、体勢を維持するのも難しくなってきた。扉の前で仁王立ちしていたせいもあるが、逃走へ方針を変えても研究室の中では逃げ回る余地もない。


 対処が後手に回った時点で、もうすでに俺たちは詰んでいたのだった。


 俺は動けるうちに少しでも相手の頭数を減らすため反撃を行い、倒れて地面に押し付けられるまで暴れまわった。5人ほど動けなくしたものの、次々と追加される丸刈りの男たちを思えば雀の涙ほどの成果だった。


 丸刈りの男たちはこちらが転倒したのを待っていたとばかりに次々と群がり、蜂球ほうきゅうのように重なり合う。時間が経つにつれ俺は腕を上げるのも出来なくなり、諦めたように成すがままへ任せるしかなかった。

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