第29話

 通路の壁をくりぬいて侵入した部屋は暗く、横幅が狭い。両脇が窮屈な一方、奥行きは長く。通常の可視光では正面の壁がはっきりとせず、何かが潜んでいてもおかしくない状況だった。


 また右側の壁に埋め込まれた正方形の小さなドアも気になった。右側にある複数のドアの大きさはちょうど人間が通れるほどで、上下2つの組み合わせが整列するように向こう側へ続いていた。


「敵対する対象はない。待機モードに移行する」


「ドアも施錠せじょうされているようだ。ひとまずは安全といったところだろう」


 俺は視覚モードを赤外線に変えようとしたが、先に入っていたノーヘッドとマリーが既に警戒を終えていた。


 ノーヘッドが入り口のすぐ横にあるスイッチを操作すると、照明が点灯する。部屋の全体像が光で浮き上がり、瞬時にここがどういった場所なのか把握できた。


「……死体安置室か?」


 壁にあった用途不明と思われていた銀色のドアは遺体を収容する保管庫だった。タイル張りの床には収束するようになだらかな傾斜があり、終点には汚れを流し落とすための排水溝が備え付けられていた。


 家具は薬品や手術道具のようなものを入れた収納棚のみで、すみには遺体を運ぶための特殊なカートが置かれていた。ただ幾つかのカートは遺体の保管庫に横づけされ、正方形のドアが開いたままになっていた。


 俺が恐る恐る開け放たれた保管庫の中をのぞくとそこには何もなく、小さな闇がぽっかりと口を開いているだけだった。


 ノーヘッドはそんな俺の慎重な様子を指して、可笑しそうにクスクスと笑った。


「墓穴から何かが飛び出してきたとしても今更驚くことではないだろう。それともそいつは自分用かな?」


「おあいにく様だが、俺が選んでいるのは贈呈ぞうてい用だ。なんせ生前に用意する墓はお偉方えらがたのためだと相場が決まっているだろ、社長」


 ノーヘッドの悪戯っぽい投げかけを適当にあしらうと、俺は廊下への出入り口とは別の、もうひとつの扉を慎重に開いた。


 俺が開いた扉の先は小さな小部屋だった。真ん中には手術室を思わせる金属の台と照明がセットされており、ここの棚にも同じように薬品と手術道具が収められていた。


「検死室のようだな。ということは、ここで行き止まりか。九死に一生を得たと思ったが、存外ことは上手く運ばないようだな」


 同じように小部屋を覗き込んだノーヘッドの言うように、この部屋に抜け道がありそうな気配はない。ダクトには奴らが這いずる音が聞こえ、出入り口の扉の外も大勢の気配がまだある。入った穴は軍用ドローンのスウェル2号が塞いでいて、そちらも耳をすませば向こう側から爪で装甲を引っ掻く音とうめき声がしている。


「閉じ込められたな」


 言葉が示す通り、つまりどうやらこの遺体安置室からの逃げ道はどこにもないようだった。


「さて、どうしたもんか」


 俺は低く唸るようにして悩み、考えを巡らせる。


 正面突破はどうだろう? 俺たちは丸刈りの男たちの襲撃を受けながらもここまで蹴散らしながら進んできた。安全に出られないならいっそ安置室で十分休憩してから出て行けばいい。


 しかし先ほどと違い、丸刈りの男たちはより数を増している。しかもアンドロイドのマリーやドローンのスウェル2号はともかく、俺を含んだ人間3人の疲労はいずれピークまで蓄積しているだろう。


 疲れが深刻ならば例え俺でも万が一があるし、スウェルに至っては自分で移動するのもままならない。そうなれば足手まといは必至だ。


 では部屋を転々と移動するのはどうだろう? これこそナンセンスだ。今回は運よく部屋の中に丸刈りの男たちがおらず一息付けているが、入った部屋に他の丸刈りの男たちがいないとは限らない。もし部屋の外と中の敵に挟まれれば犠牲が出る可能性も高く、大バクチでしかなかった。


 できるならこれは最終手段にしておきたいところだ。


「ったく、妙案なんて早々思いつかないよな……。困ったもんだ」


「ならば仕方あるまい。しばし情勢を見極めるべきだろう。発電機の燃料も数時間でなくなるわけではないしな。運が良ければ奴らの気も変わるやもしれん」


「そう願うよ。さもなきゃ俺たちの墓標がこの監獄になりかねないからな」


 俺はダクトと部屋の出口が見える場所で壁を背にして座る。他の皆も身を屈め、できるだけ気配を消すように息を殺した。


 それから約1時間ほどだろうか。部屋の外の物音や奇声はまばらとなり、丸刈りの男たちの追跡が減ったのを感じた。


 それでも時折、穴を塞いでいるスウェル2号の装甲へ爪を立てる擦過さっか音や壁越しのダクトを移動する騒音が弛緩した空気に緊張感を与えた。


 俺やノーヘッド、そもそもアンドロイドであるマリーに疲れの色はないが、スウェルは別だった。肉体が生身の少女であるため4人の中で最も体力が少なく、身体への負担も大きかったのだろう。


 疲労感が自然と倦怠感や空腹に表れるように、スウェルも不調を訴えていた。


「カネツネ、眠たいよ……」


「ここに来るまでずいぶん歩いたからな。長丁場になりそうだから今のうちに寝てろ。何かあったら起こして――」


 俺がそこまで言おうとする前に、近づいてきたスウェルが隣に座り、俺の膝に寄りかかるようにしてゆっくり目を閉じた。


「人の身体って融通聞かないよね。傍目で見ると私ってちょっと恥ずかしいよ」


 その代わりスウェルと同じ抑揚の声色がノイズ交じりの無線を通じて、俺の内臓インターフェイスへ話しかけてきた。


 俺は壁を塞いでいるスウェル2号に視線を送りつつ、口を閉じたまま無線に返答した。


「スウェルはお前をコピーの人格だと言ったが、オリジナルの自分を見るってどんな感覚なんだ? もちろんこれは完全なコピーって前提だけどな」


「ええ……? 別に過去の映像の私を見るのと変わりないよ。そもそも私がオリジナルの人格って可能性はないのかな?」


 俺がスウェル2号に少し意地悪な質問を投げかけると、意外な仮定が提示された。


「そりゃありえないだろ。大元はスウェルの肉体に宿る人格だ。どうやったって主従は逆転しないに決まっているだろ。変なこと言う奴だな」


「でも私も、もうひとりの私も意識が宿っているのはボックスの中なんだよ」


「……」


 スウェルの姿が生身のため忘れかけていたが、彼女も他のアンドロイドやドローンと同じで情報の処理を行うのはボックスだ。


 正確にはボックスと融合した脳であるため差異は現代の技術で測れないものの、人の脳と媒体が違うという事情はどちらも同じだろう。


 自己同一性の思考実験に、沼男スワンプマンという概念がある。とマリア博士が話したのを思い出した。


 とある男がハイキングの途中、落雷によって死ぬ。その際に近くにあった沼と死体が電気による化学反応を起こし、沼からできた男が原子レベルで完璧にコピーされて死んだ男の代わりに日常を過ごすという仮定だ。


 その場合、物理的に同一なそれは『わたし』なのだろうか、という問いだ。


 人によって意見は分かれるが、俺は全てが同じでも別の肉体に宿った別の存在で迷うなどナンセンスだと答えた。しかし、俺の答えにマリア博士はこう続けた。


「人間は代謝と成長によって肉体が毎日細胞レベルで置き換わるのよ? そもそも物理的同一性は生物の方が脆弱と言わざるをえないわ。その点でいえば外見上不変なボックスへ自我を映す行為は、物理的同一性の不滅を意味するのよ。もちろん所詮は見た目が同じだけの行動的ゾンビや、個人の意識だけが異なる哲学的ゾンビの可能性も捨てきれないのだけどね」


「意識が異なる、ってどういう意味だ?」


 と、俺が問うとマリア博士はこう返した。


「スワンプマンの話で死んだ、本来の『わたし』の身体がもし生きていたら自我はどうなるかしら? 多くの人は直感的にコピーされたスワンプマンの私が偽物の自我で、『わたしと思い込んでいる私』と答えるだろうけど、それは出来事を俯瞰して『複製された瞬間』と『複製元オリジナル複製物コピーの区別』を観測しているから言えるわけなの。じゃあ、その2つを観測できなかったら?」


「両者が物質的にまったく同じなら、自我の証明をするのはほぼ不可能ってことか」


 俺はスウェルが自我を機械に植え付けた瞬間を目撃し、生身と機械の区別がつくため、会話しているスウェル2号が複製であると理解している。


 けれどももし、どちらの条件もくつがえされた場合、俺には見分けられるのだろうか。


「いや、そもそも完全な自我の複製ができるという前提があっての話だろ。前提が存在しないのに仮定の話ばかりするからややこしくなるんだ」


 俺は意識を過去から現在へ戻し、思い出したように反論した。


「そうだよ。でもこの混乱は『不完全な自我の複製であると証明できない』という前提だけで十分なんだよ。それだけなら難しくないよ。だってボックスを完全に理解している人間なんていないんだもの」


 俺のとっさの返しではスウェル2号のとんちのような言いくるめにさえ何も言い返せず、つい閉口してしまう。


 スウェル2号の言い分は、俺の中の常識を揺さぶるに十分だった。自分が信じる当たり前の世界が不安定になり、泥酔でいすいのように足元が定まらない感覚は気分がいいものではなかった。


「……仮にオリジナルとコピーの違いに意味がないとして、お前は怖くないのか? 自分自身の境界があいまいになるなんて普通の神経なら耐えられないだろ。そんなのは死んだも同然だ」


「ううん、同じじゃないんだよ」


 スウェル2号は俺の言葉をもう一度否定した。


「私たちは産まれてから色々なものを拾い上げて自分を形作っていくよね。どんな人間も隣人りんじんの愛や友情を、誰かの知識や創作を与えられて生きていくの。私はそれら人格形成を担う感情や情報を、自我の一部だと捉えているんだよ。だから、逆もそうだと思うの。

 私の意識は様々な情報を通して、私から他の人たちに広がる。それって、私の分身ができるのと同じくらい素敵じゃないのかな」


 スウェル2号、いやスウェルの独特な価値観は奇妙なものだった。だが自分の意識が他人の意識の一部になるという感覚は、他人に理解されるのと同じと解釈すればなんとなく飲み込めた。


 理解されるというのは承認欲求や共感を持つ人間ならではの肯定的なイメージだ。だからこそ、自分の意識が写し取られるという手段は完全にネガティブなものと言えないのかもしれない。


「けどよ……」


 俺はスウェル2号の主張を受け入れきれず、理解の拒絶を繰り返した。


「実際問題、お前はボックスから機械の身体に映されたコピーだ。例え写し取った先がボックスでも、スウェルと同じ能力が使えないなら同一人物とは言えないはずじゃないのか」


「……」


 今度はスウェル2号も反射的に言い返さず、じっくりと俺の意見を噛みしめているように見えた。


「確かに今の私にはボックスの声が聞えないし、声を操ることもできないよ。だけどそれだけが私の証明なの? それってさみしいことじゃないのかな」


「言い始めたのはそっちだろ。先に他との境界を曖昧にしたのはお前で、原因も声の能力が最初になってる。それさえなければこうも長々と終わりが見えない討論なんてしてないさ」


 俺は視線を落としてオリジナルのスウェルを見る。お膝元にいるその少女は話の中心にいるややこしい存在のくせに、寝息を立て無防備で純朴じゅんぼく無垢むくな寝顔を晒している。


「本物のスウェルはここまで難しい話をしなかったな。饒舌なのはやはり機械の身体に移った影響なのか?」


 俺は話題を変えるように話を振ると、スウェル2号は「違うよ」と応えた。


「だってカネツネとこんな長く話したことさえなかったんだよ。ボックスの話をしても直ぐに怒るし、じっくり聞いてくれないもの。カネツネこそいつもと違って角がないよ」


「ん? そうか?」


 スウェル2号の指摘で記憶を振り返ってみると、確かに俺はスウェルの意見をまともに聞いていない。大体は俺が馬鹿にするようにあしらい、会話を途中で中断していたような気さえする。


 思えば俺とスウェルが初めて会った日からまだ1週間も経っていない。これまではお互いそこまで仲が深まったわけでもなく、本音を話し合うほど関係が成熟していなかったのかもしれない。


「なら次は本人とゆっくり話してみるさ。お互いこの話を覚えていたらな」


「それって、相手が覚えていないからこの話はなしだ、って言わないよね?」


「さてな。あいにく俺は物覚えが悪いからそもそも約束を忘れているかもしれないぞ」


 俺が茶化すようにそう口にすると、スウェル2号はないはずの頬を膨らませるような吐息を音声で流し、抗議の意を表していた。

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