第28話

 学会を去ったボックス工学の権威、ジル・カライト博士が提唱したボックスと脳の融合による不老不死化は2つの点で欠点があった。


 1つは融合の際に人や動物の精神が異常をきたす点、そしてもう1つはボックスが不変の存在ではない点だった。


 ボックスは分離できないという意味での非破壊性を有しているものの純鉄ほどの固さしかなく、それゆえボックスそのものは簡単に変形してしまう。加えて変形したボックスはかろうじて稼働できたとしても、翻訳機を介した正常な動作ができなくなってしまう脆弱性があった。


 だからこそボックスを活用するには常にその形状を保つための細心の注意が必要とされていた。


 一般的な不老不死のイメージが無限の再生と永遠の恒常こうじょう性であるように、ボックスと融合できたとしてもそれは不安定で不完全な存在でしかなく、俺の求めるそれとはほど遠かった。


「たまに考えるんだけどよ」


 俺が丸刈りの男の生首を目の前の別の1体に投じると、そいつの胸部にぶつかる形で生首が柔らかい粘土のように潰れてしまった。


「ボックスと融合した脳が不滅の存在なのだとしたら、その魂はいつ解放されるんだ? ってな」


「少なくとも魂が肉体に宿るというなら、成仏は期待できないだろうさ。私は魂など信じていないので関係ないのだがな」


 俺とノーヘッドは短い問答を交わした後、追跡を続ける丸刈りの男たちの接近を退しりぞける形で再び上を目指して動き出した。


「でも、だからってそんなひどいことをする必要はないんだよ」


 一方でアンドロイドのマリーから降ろされたスウェルだけは、俺がおまけついでに行った非道な扱いにそれなりの文句があったらしく、顔をしかめて俺をとがめてきた。


「悪い悪い。だけどそれは今更ってもんだろ? 襲ってきたのは向こう。こいつは正当防衛だって」


「そうだけど……、でも……」


 それでもこれ以上俺に対して追求がなかったのは、スウェルに自力で走りながら話し続ける体力がなかったせいなだけで、溜飲りゅういんがおりたわけではなかった。


 しばらくして吹き抜けの階段も終わり、景色は長く暗い通路に移る。一方で相変わらず丸刈りの男たちの数は増しており、通りがかる通風孔の奥で別の存在が這いまわる気配を感じた。


 俺たちは乾いた反響音を上げながら急かすように走り続けるが、聞こえてくる足音は4つだけではなかった。


「むっ?」


 暗いだけではなく狭い通路は、それだけリスクが大きい。今もまさに一本道の向こう側から別の丸刈りの男たちの集団が、行く手をはばむ形で迫って来ていた。


「2号! 刀をよこせ!」


 俺はスウェル2号のアームから、軍用アンドロイドのロウニンから奪った特製の刀を受け取った。


 相手がただの人間なら殺傷武器の使用にためらいがあるが、相手は二度と正気に戻れない半死半生の元人間だ。


 つまり俺が相手に手心を加える必要はもうなくなっていた。


「ほとんど不死でも一刀両断にすれば関係ないだろ!」


 殿しんがりをスウェル2号の巨体に任せ、俺は先頭におどり出ながら鞘を抜く。そして特注のカスタムがされた高周波ブレードを起動させ、そのまま丸刈りの男たちに斬りかかった。


 ロウニンの刀さばきを見た限りこの刀の切れ味は俺の装甲さえ貫く。脳みそ以外は生身の敵など紙のようにスパスパと切り裂くはずだった。


「何っ!?」


 しかし俺の振り下ろした刀は最初に狙った丸刈りの男の鎖骨を裂き、肋骨を割りながら刃を進めた後、身体の真ん中で勢いが死んでしまう。しかも俺の馬鹿力でどれだけ揺すっても肉の塊から刀が抜けず、その間にも脇からすり抜けてきた別の丸刈りの男たちが俺に襲い掛かってきた。


「ったく! ガラクタかよ!?」


 俺は刀から手を放して、入れ替わりで床に落とした鞘を蹴り上げてそれを両手で握る。


 そのまま鞘を木刀のように振り回し、組み付いてきた丸刈りの男たちを弾き飛ばした。


「使い方が悪いのではないか? 刀は棒切れとは違う。もっと繊細せんさいに扱わなければならない芸術品なのさ」


 ノーヘッドが俺と立ち位置を入れ替わるように前へ出て、肉に食い込んだ刀を引き抜く形で柄に手を取った。


 おまけにノーヘッドは入手した刀で割り込んできた他の丸刈りの男たちへ無数の斬撃を振るい、その首や四肢を両断した。


「このように扱えば無類の強さがある。それが刀というわけだ」


 ノーヘッドは丸刈りの男の濡れた服で皮下の油と血を軽く拭ってから丁寧な残心をし、俺よりも先に進み始めた。


「だけど大体の刃物は誰が使っても同じだろ? こいつの造りが悪いだけじゃないのか」


「いいや、違うさ。日本刀だけでも長柄を含めて7種類あるという、そのどれも用途に応じて性質が違い、それぞれが独自の武術なわけだ。銃と違って当たりさえすればいいというわけにはいかないのだよ」


「……なんでも扱える奴は余裕でいいよな。俺には縁遠い話だっての」


「そこらへんは年の功、というやつなのだろうさ」


 俺とノーヘッドが目の前の敵を切り崩し、マリーとスウェル2号が後ろを押さえる形でゆっくりと帰路を辿る。


 しかし進むにつれ、しだいにこちらの多勢に無勢が目立ち始めてきた。


 何度か分かれ道で進行方向を変えて敵の気勢を逸らそうとするも、その先にも別動隊がいて無駄なイタチごっこを繰り返す。また前後を相手に挟まれているため、お互い距離を保っていた俺たちのフォーメーションの幅も詰まり、余裕がなくなってきた。


 迎え撃つ方法が何にしろ、刀や拳が振れなくなるほど肉薄されればもはや技量と膂力りょりょくの差も関係が無くなってくる。それはどんな達人であろうと足場の安定しない沼の上では無力であるのと等しく、独学でステゴロを学んだ俺にはなおさら不利だった。


「さっきから全然進めてないぞ!」


「分かっている。だが忠告するよりも先に妙案を考えてくれてもいいのではないかな?」


「あったらとっとと言ってる! いい手なんて……」


 違う。1つある。スウェルの能力を使えばいいのだ。


 今わかっているだけでもスウェルの能力はボックスの『声』を聞き、自分の特殊な発音によってボックスに干渉できる。そして俺の目の前でその能力を使って機械を操り、制御を自在にしてみせた。


 ならばボックスと融合した脳も同じように主導権を奪えるかもしれない。そうすれば簡単に丸刈りの男たちを退け、楽に脱出できるかもしれなかった。


 ただ問題となるのは、今回はすぐ傍にノーヘッドという部外者がいる。ハシコの時は昔なじみという間柄だったため深く指摘はされなかったが、今回もそんな幸運に恵まれるとは限らなかった。


 ノーヘッドはIT業界やロボット産業で成長著いちじるしいマザーウィル社の社長だ。スウェルの能力を目撃すればそれがわが社にどれだけの富や躍進を与えるか、すぐ理解するだろう。


 そうなればマザーウィル社の平社員に過ぎない俺や必要性皆無な部署の専門家であるマリア博士には、ノーヘッドの社長権限でスウェルの主導権を奪われる事態を防げない。それに下手をすればスウェルという企業利益の隠匿いんとくを理由にされ、職を失う可能性もあった。


「カネツネ?」


 速度を落としたため既にスウェルは息を整え、いつでも例の『声』を使う準備ができていた。


 追い詰められて命の危機である以上、正体がバレるのは致し方ないかもしれない。それにそもそもスウェルと共に違法ボックス収拾をしているならば、当然いつか訪れるリスクだ。メリットと危険性を天秤にかければ、リスクヘッジの範疇はんちゅうであった。


 最悪でもスウェルを切り捨てれば、今の職だけは守れるかもしれない。交渉次第では持ち掛けられた例の取引を承諾し、直接ノーヘッドへスウェルの身柄を渡す手もある。


 別に俺はスウェルへ特別な執着を持っていない。選択するにしても良心の呵責かしゃくなどないのだ。


 俺がスウェルを見つめていると、気づく。スウェルはかすかに身を震わせていた。


 平静と同じ落ち着いた呼吸はしているが、半開きの口もわずかに落ち着きがない。ほどよく厚みのある唇が綺麗な赤のため、それが疲労によるチアノーゼではないと俺には分かった。


 そしてその震えの原因がスウェルの恐怖心から来ているのだと気づいたのは、不安に満ちた眼差しが俺に向けられた時だった。


「私は大丈夫だよ。みんなで助かろう」


 何かを察したのか危機の中でも気丈にふるまい他者を気遣うスウェルの姿が、俺に鮮明な母の顔を思い出させた。


 俺が身体の障害を言い訳に外出やイベントを嫌っていたため、運悪く写真も動画も残らなかった両親はもう俺の記憶の中にしかいない。だけれども思い返してみれば、今の今まで2人の姿の細部をはっきりと思い出せていなかった。


 自分でも知らないうちに欠落していた大事な記憶が頭の中でリピートされていくと、ようやく父の顔もおぼろげに思い浮かぶ。


 いつも無口で不満げに固まった父の顔は、気難しさに起因するのではなくその裏に潜む不器用さと心配性の裏返しの結果だと俺と母は知っていた。俺が幼い頃は同級生に強面こわもてのせいで泣かれて内心本人も泣きべそをしていたちょっと愉快な父は、幼い俺にとって数少ない笑いの種だった。


「……何考えてるんだよ、俺は」


 ハシコが口にした言葉を思い出す。メルとの楽しかった記憶を共有できるのはハシコと俺しかいない、かけがえのないものだ。ならば俺と両親との思い出は生き残ってしまった俺にしかない。だから、もっとずっと大切に覚えていなければならないはずだった。


「生き続けたいと思えたのは言われたからだけじゃないだろ。2人の笑顔を残せる方法はもう俺にしか残されてないんだ。だから――」


 俺は祈るように両手を合わせて握ると、大きな拳になったそれを右隣の壁に打ち付けた。


「俺の好きな笑顔は奪わせない!」


 1度目の打撃で壁はすぐに割れた。暴れるうちに響いた空洞音で壁の薄さと部屋の存在は確信していた。後は人が通れるように広げるだけだ。


「マリー、1分稼ぎなさい」


 俺の意図に気付いたノーヘッドが刀をマリーに預けると、採掘作業に自分も参加した。


 マリーは受け取った刀をたくみに操り、通販の包丁みたいな勢いで野菜代わりの丸刈りの男たちを輪切りにしていく。その圧倒的な刀裁きは戦線を押し上げる勢いだったが、最先端のスマートカタナでさえ切れ味とは無縁といえず、切断のスピードは瞬く間に衰え始めた。


 それでもなんとか壁の解体は押しつぶされる前に間に合い、俺までならギリギリくぐれる穴ができた。


 俺は中の安全を確認すると、しゃがみ込みそうなスウェルの腕を引っ張って放り込む。次にノーヘッドが続き、応戦していたマリーは無防備な首のえりをひっ捕まえて叩きこんだ。


「2号、すまん! 閉じてくれ!」


「構わないよ!」


 最後に俺が入ると、俺の合図と共に四足歩行の鉄の巨体が壁へ寄りかかる様に隙間を塞いだのだった。

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