第30話

「どうもおかしい」


 遺体安置室の片隅でカタコンベの住人のように息をひそめていた俺たちは、未だに脱出の機会をうかがって隠れていた。


 俺とスウェル2号の通信会話を最後に皆黙っていたため、静かな暗闇が体感よりもずっと長く時を経過させたように思えた。


「どうした? 何かあったのか?」


 久しぶりにノーヘッドの声を聞き、俺は声を押さえて聞き返した。


「ダクトから奴らが来ないかと待っているのに、待てども待てどもやってこない。おかげでこちらが待ち疲れてしまった」


 ノーヘッドが口にする奴らが、丸刈りの男たちであるのは言うまでもない。げんに俺も最初は換気口からの奇襲を警戒して、耳を澄ませて待ち構えていた。それにも関わらず、ダクトを伝う物音が一向に近づいてくる気配もなく、全員の気も緩み始めていた頃だった。


「襲われないならそれに越したことはないだろ。何が不満だ?」


「考えてみたまえ。この部屋に入るまでは次から次へと奴らが襲い掛かってきたのに、今更攻勢をゆるめるなどありえない。そもそも考えるような知恵のある奴らなのか。もし他に理由があるとすれば、奴らがそうできないからだ」


 ノーヘッドに指摘されてみると、俺にも答えに思い当たる節があった。


「……もしかしてダクト同士が繋がってないのか?」


「そうだ。普通は感染症研究所などの特別な施設の空調システムだが、細菌感染と空気汚染の蔓延を防ぐ観点から通常の空調を切り離すケースもあるそうだ。つまり下のエリアとこの階との換気システムは別、繋がっていないというワケだ」


「だったらそれも時間の問題だな。同じ階で新たにダクトへ入れば結局ここも侵入される」


「その通り。ならば動くのは今しかない」


 ノーヘッドは思い立つと直ちに即席の作戦を立てた。


 まず人数をダクト侵入チームと陽動チームに分ける。文字通りダクト侵入チームはダクトを通り、別の安全な場所へ移動する。陽動チームはダクトからの脱出を援護する形で丸刈りの男たちの注意を引くのが役割だ。


 単純に全員をダクト侵入チームにして一点突破を図る方法もノーヘッドから提案されたが、2つの理由で却下された。


「残念だが俺の重量だとダクトを破壊する可能性があるな。おまけにダクトは狭くて暗い。エレベーターほどではないにしても俺は身動きしづらい場所が苦手だからな。皆の足を引っ張るだろうし、御免こうむるよ。それに新しい仲間を置いていくわけにもいかないしな」


「あの四脚ドローンか。驚いた、そこまで思い入れがあるとはね」


「ああ、ちょっとな」


 ノーヘッドにスウェルの事情を説明するわけにもいかず、曖昧にして誤魔化ごまかす。スウェル2号の言葉を真に受けたわけではないが、スウェル本人の分身をこのまま見捨てるのも忍びない。


 どちらにしろ俺とスウェル2号は大きさと重さから陽動チームにしかなれないので、どちらにせよ協力するしか選択肢はなかった。


「本当にいいのか? 明らかにそちらのリスクが多いのではないか? こちらのマリーを付き添わせてもいいのだが?」


「危険は百も承知だし、ダクトで挟み込まれたらそっちの方が危ないだろ。ついでに陽動は動きやすい方が良いしな。代わりにお荷物の世話の方を頼むぞ」


 俺はスウェルを揺り起こして、皆それぞれ作戦決行の下準備を始めた。


 まずは俺を踏み台にしてダクト組のノーヘッド、マリー、スウェルが天井の換気口から上がった。ダクトの中は思ったより大きく、屈めば膝をつかずに移動できそうだった。


 先にマリーが進行方向の先頭で偵察し、ノーヘッドが反対方向を警戒して上がった。最後に安全な列の真ん中を行くスウェルを、俺は肩に乗せて押し上げた。


「でも私だって声を出せば――」


「スウェル」


 俺はスウェルの名前を呼んで人差し指を立てる。もしノーヘッドたちと距離をとれる組み合わせなら、スウェルも大手を振ってボックスを操る力を使えるだろう。部屋の外の丸刈りの男たちが襲い掛かってくる原因が脳と同化したボックスならば、同じ機構の特異アンドロイドのように丸刈りの男たちも制御できるかもしれない。


 だがリスクはとれない。今は逆転の一手を打つためにギャンブルするよりも安全策を優先すべきだ。奥の手を出すのは他の選択肢がなくなるまで温めた方が賢明だろう。


 スウェルは出発する前に列を外れ、ノーヘッドたちに聞こえないよう小声で俺に話しかけた。


「私によろしくね、って言っておいて欲しいんだよ」


 俺はダクトに入ったスウェルたちの気配がなくなるまで見送ると、スウェル2号のいる横穴に近づいた。


「と、いうわけで俺たちは一蓮托生いちれんたくしょうだ。嫌でも地獄まで付いて来てもらうぞ」


「分かってるよ。最後に私が何か言ってなかったかな? 遠くて聞えなかったよ」


「よろしく、だとよ」


「……私らしいね。もしも私が逆の立場でも同じことを言ってると思うんだよ」


 軽く挨拶代わりの会話を交わした後、俺たちは互いの作戦を確認してからすぐに行動を開始した。


「おい、こっちだ!」


 俺はわざと音を立てて死体安置所のドアを蹴破るようにして出ると、部屋の外からスウェル2号の近くに集まっていた丸刈りの男たちにアピールした。


 その場にいたのは丸刈りの男たち3人で、俺に気付くと焦点の合わない目をしてこちらへ向き直った。


「どいてよね!」


 間髪入れずに抵抗が減ったスウェル2号が、立ち上がりざまに目の前の3人に対してその巨体でタックルを繰り出し、生身の身体を反対の壁へ押し付けてダメージを与えた。


 スウェル2号の当身は思った以上にインパクトが強く、遠くにいた俺でも顔をしかめるグロ画像が披露された。


「おし、付いて来い」


 俺は散らばった肉片への嫌悪感を押し殺し、別の場所への移動を始めた。


 追撃はすぐさま来ず、代わりに現場の生き残りが発した笑い声のような奇声が周囲へ響き渡った。そして呼応するように他の場所でも同じような雄たけびが上げられ、周囲が騒がしくなってきた。


 俺たちは中央の隠し扉から離れた場所へ向かう。


 このまま中央に行ってもダクトを這うスウェルたちよりも先んじて着いてしまい、囮の意味がない。だから時間を稼ぐには寄り道が最適だと考えた。


 おまけにスウェル2号の巨体を考えれば、通路の大きさに多少なりとも配慮しなければならない。それこそ立往生で殺されるというまぬけな最後は想像もしたくない。


 しばらく走っていると、前方から別の丸刈りの男たちが群れを成して行く手をさえぎってきた。


「スイッチだ!」


 俺は軽快とはほど遠い強烈な踏み込みで勢いを殺し、かがみこんでから寝転がる。ほぼ同時に、後ろを走っていたスウェル2号が幅跳びの要領で俺をまたぎ、先頭へおどり出た。


「避けないとケガしちゃうよ!」


 曲がり角の転校生みたいな調子でスウェル2号が丸刈りの男たちに正面衝突した。複数人いるとはいえ、軍用四脚ドローンの身体はサイボーグの俺をはるかに上回る重量で、加えて装甲の硬さも半端ではない。


 俺たちは落ち着く間もなく広い通路を選んで先を進み、時折やってくる丸刈りの男たちの急襲を予期して打ち倒す。最初こそ勢いそのまま突き進むも、次第に後続はオンラインゲーム上の敵を次々と引き付けるトレインのような状態で増えていった。


 足を止めれば敵に袋叩きされるという状況は同じだが、今は頭数が2つ。対応能力は以前の半分だ。そのうえスウェル2号の大きさで部屋に逃げ込むとなれば、そこら辺の小部屋では難しかった。


 俺が逃走プランに頭を悩ませていると、ちょうどよく大型の扉が目の前の視界に映った。



「一旦追跡を切るぞ! 突き当りの部屋に入れ」


 土木用重機と見まごう首無しの暴れ馬が先導し、俺たちは真っすぐ正面の自動扉を目指した。


 スウェル2号は両開きのその自動扉に衝突しないよう急停止でスピードを緩め、センサーの感知を待った。


 しかし自動扉が反応する様子はない。


「認証にロックがかかっているのか」


 少し遅れて扉の前に張り付いた俺は壁に備え付けられた端末のエラーを確認して別の手段を模索する。


 新たな逃げ道を探すも、左右に枝分かれたこのT字路のどちらも人気があり、挟撃されている。この状況を乗りきるにはもう一度スウェル2号の巨躯に勢いをつけて押し通すくらいしかない思いつかなかった。


「カネツネ、足元だよ!」


 スウェル2号に誘導されて下を見ると、近くで横たわっている白衣を纏ったミイラを発見した。ほどよく乾燥しているせいか遺体は腐臭もなく、虫もついていない。


 そしてさらに目を凝らしてみると、仰向けに倒れている白衣のミイラの首元には太めの紐が掛かっていた。


「ビンゴ! 悪いがちょいと失敬するぞ」


 半身を捻るような形で白衣のミイラを起こすと、下敷きになっていたカード型の身分証があらわになった。


 俺は良心のかけらも感じさせない雑な挙動で身分証の紐を引きちぎり、急いで扉横の端末にそれを押し当てた。


「認証しました。ようこそ主任。前回の入室から3806日と9時間28分11秒ぶりですね。今日の調子はどうでしょうか? 気分がすぐれない場合、上階の医務室への受診をおすすめします」


 自動扉が開くと共に、定型文の挨拶のようなアナウンスがされる。音声はAIがサンプリングを元に生成した抑揚のない女性の声色で、10年前の技術にしてはよくできたものだった。


「先にいけ、スウェル!」


 ついつい急いでしまい、俺はスウェル2号の名称を省略して言い切ってしまう。相手は機械、捻りのない番号を振っただけのネーミングとはいえ、俺はスウェルの影を見たようで薄気味悪く感じた。


 俺が何とも形容しがたい複雑な表情をしていると、スウェル2号は命令通り機体を部屋の中に滑り込ませた。


「ありがとう、カネツネ」


 顔もないのに、スウェル2号の嬉々とした調子の声色がオリジナルのスウェルの笑顔を彷彿ほうふつとさせる。ドローンの音声機能ではスウェルのすずを弾いたような心地よい高音を再現できていないが、その錯覚には説得力があった。


 俺は自分のミスに不満げな、憮然ぶぜんとした表情のままそれでも行動は迅速に行い、スウェル2号を追って開けた扉に飛び込んだ。


「中の端末はどこだ!?」


「向かって右側の同じ場所だよ!」


 部屋に入ると同時に俺は部屋の内側の端末に取り付き、再び身分証を押し当てる。


 閉じる操作があるかどうかは山勘だったが、ここで丸刈りの男たちの侵入を防いで封鎖しなければ何の意味もないからだ。


 俺が信心のない祈りを捧げつつ端末の反応を待っていると、タッチパネル式の画面に緑のLEDライトでシンプルなカギのマークが表示された。


 俺はそれを確認すると同時にすぐさま画面をフリックする。すると青いカギは一瞬で警告色に切り替わった。


 次にブザー音と共に自動扉が再び起動し、上から下りてきたシャッターによって断裁機のごとく部屋が閉鎖された。ただ入り損ねた丸刈りの男たちは行く手を遮られたうえに、何人かは身体の一部とどす黒い血糊だけを残して締め出された。


「おっと、悪いな。コイツは予想外だ」


 その言葉は冗談でも言い訳でもなく、本当だった。自動扉に必要な最低限の機能は『人間を挟まない』という暗黙のフェイルセーフにつきる。それなのにこの部屋のセキュリティは人命の考慮さえされておらず、技術者も真っ青な設計だった。


「さて、これで少し余裕ができたな」


 一息つくというには休息する間隔が短いものの、部屋を一歩出れば敵に囲まれるという過酷な環境ではこれも致し方ない。


 しかも襲い掛かってくる丸刈りの男たちの数は明らかに先ほどより増えており、こちらの頭数が減っている件も含めると、多数に無勢と言うしかない。


「これからどうするの?」


 スウェル2号が状況の深刻さを把握したのか、図体に似合わない不安げな様子で俺に尋ねた。


「やることは同じだ。問題は俺たちに別の出口があるかどうかだな」


 俺は悲観するでもなく、今いる場所を見回した。


 ここはちょうど二重扉の中間だった。前にも後にも扉があり、部屋の外へ出る扉はついさっき緊急封鎖されたため、進むには部屋の中へ入るしかなかった。


「さてと、何事もない部屋だといいが……」


 俺は気持ちを引き締め直すと、スウェル2号と共に部屋の内部へ入った。


 入ってからすぐに目を凝らすと、嫌な予感が当たる。ここにあったのは一目で危険と分かる装置の数々だった。


「……ったく。外れを引いたな」


 部屋にあったのは、丸刈りの男たちが最初に出てきたのと同じ白濁したタンクと電気回路の配列に似た複雑なインターフェスの見本市とも言える光景だった。

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