第25話
俺が軍用アンドロイドの『ローニン』から受けた傷の治療のためにここへ滞在して4日目の朝、俺たちは旅支度を終えて仮宿にしていた囚人用の医療エリアから出発した。
ただ俺の腹部の傷はまだ完全に塞がっておらず、サイボーグ化しているとはいえ生身の内臓の怪我は俺の動きに影響を与えていた。具体的には所作の動作に違和感や倦怠感があり、今は万全の状態とは言えなかった。
医療エリアから離れて無骨なコンクリートの通路に戻ると、最初に見かけた機械や白骨死体の残骸が転がっていた。しかもその総数は前よりも多く、奥へ進むごとに頻出していくのが分かった。
「だいぶ歩いたがあれから動いているロボットやアンドロイドは見てないな」
「確かに。私に至ってはカネツネ君の快復を待っている間も含めて、一度たりとも彼らに襲撃されてはいない。案外あのローニンが暴れまわって稼働している全ての機械を退治してしまったのかもしれないね?」
「だといいが。どちらにしろ警戒を解く理由にはならないか」
俺たちはノーヘッドの推測を頭の片隅に置きながら、地上に向かう階段がある第3地下中央部へと近づいてきていた。
「おっ? この先はずいぶん暗いな」
急に非常灯が無くなったので軍用ドローンのマイヅルこと、スウェル2号の大型ライトで正面を照らす。するとその先はぽっかりと空いた広い空間だと分かった。
目の前にある
巨大なそのエリアの真ん中には、これまた上の階を支えるように円筒状の塔が立っており、全周が鏡のように反射していた。
「ここは研究区画のようだな。真ん中の監視塔に行けばシェルターを迂回して上へ向かえる隠し階段があるはずだ」
俺はノーヘッドが口にした研究区画というワードに疑問を覚えた。
「ちょっと待て、研究区画? 第3地下はたしか軍事施設だったよな。ならここは軍の研究施設なのか?」
「ああ、そうだとも。ここは第3地下研究区画、通称『ラットケージ』。刑務所の下に建てられた特別な場所だそうだ。私も何を研究していたのかまでは知らないが、何故ここにそんなものを作る必要があったかは知っている。ここは世界で最初にボックスと生体の融合を唱えたあの博士を収容するための施設なのだよ」
「ジル・カライトか!?」
ジル・カライトはかつてボックス工学の新進気鋭として名を上げた研究者だ。まだボックスが発見されて間もない頃、前衛的な研究手法を用いた成果が注目されていた。
カライト博士に
消息についてネット上で多くの推測が存在するが、既に死亡している、という見解が
「第3地下が賊に襲われて研究所の実態が明るみに出た時も、カライト博士の所在は陰謀論者にとって格好のネタになっただろう。軍がマッドサイエンティストを秘密裏に地下で囲い秘密の研究をしていたのだからね。陰謀が渦巻いていないと考える方が理解に苦しむ。だがネットの野次馬共の期待とは裏腹に、事件のそれ以上の進展は何もなかったのさ」
「どうしてだ? 軍が隠ぺいしたのか?」
「半分はその通りだ。しかし残り半分はそもそも存在しなかったのだよ」
第3地下が襲撃に見舞われ完全封鎖された後、口を閉ざす軍をよそに各ジャーナリストたちはスクープ争奪戦を開始した。だが1週間もすると誰もが「何の収穫もない」という状況に行きついてしまった。
人の口には戸を建てられないと高をくくり、ジャーナリストたちが手あたり次第に証言を求めるも、一般の作業員やほとんどの囚人たちはマスメディアに特段目新しい情報を提供できなかった。
一部の囚人はマスメディアの脚光を浴びる形で軍の行った非人道的な人体実験を告発したが、後の裏取りによって複数の矛盾点が指摘され、疑惑の火種は水を掛けられたかのように消えてしまった。
「軍の戒厳令が想像以上に厳しかったのか?」
「いや。極秘で第3地下の軍職員に接触したジャーナリストもいたそうだが、機密レベルの高い場所は軍の高官や常駐していた軍人しか入れなかったそうだ。そんな奴らも第3地下が襲われた際にほとんど殺されたか行方不明になってしまい。カライト博士も公式上では第3地下に取り残されて消息不明なのさ」
「そもそもいた人間が限られてたのか……。じゃあ第3地下で何が行われていたか知っているのは一部の軍人だけってことになるな」
あいにく俺に軍の知り合いはいないし、太いコネがあるわけでもない。そして10年前の出来事とはいえ軍の重要な情報を見ず知らずの人間が偶然手に入れられるとは思えない。
それに軍がこちらの動きに気付くというリスクを考えれば、ダメ元で探る気にはなれなかった。
ただしここはカライト博士が最後に目撃されたと言われる第3地下の研究区画そのものだ。その気になれば、カライト博士の研究データが見つからないとも限らない。
俺は道すがら端末や散らばった書類に目を通し、残された情報がないか目を皿にしてくまなく探索した。
だが研究区画はどこも焼け跡がひどく、残された情報媒体はことごとく灰になっていて、無事な部分も断片的で意味消失していた。
俺のそんなあからさまな反応にノーヘッドも気付いたのか、呆れたように
「残念ながらこの研究区画は閉鎖後の機密保持システムによって焼却処分されてしまったのだよ。軍もその辺抜かりない。おそらく賊共も情報を引き出す間もなく焼かれたか、運よく抜け出しても第3地下を永遠にさまよったあげく、どこかで野垂れ死にでもしているはずだよ」
「いや、そうとも限らないだろ。もしかしたらカライト博士を連れて第3地下を脱出して、今もどこかで研究を続けているかもしれないぞ」
「さて、どうだかね」
ノーヘッドは「望み薄だ」とばかりにため息をついた。
カライト博士の痕跡が微塵も見つからない中、気づけば俺たちは既に地下空間の中央にそびえたつ監視塔の根元に到着していた。
監視塔は遠くから見た通り全周が銀色を放ち、中に入るための自動ドアも姿見のように俺たちの姿を映した。
どうやら電気が来ていないらしく、自動ドアは手動で開くしかない。俺はガラスに手を当てながらドアを開け、ノーヘッドは拳銃を持って警戒しながら謎めいた建物内に入った。
ベールの剥がれた内装は廃病院を思わせるくすんだ白色の塗装で、物が散らかった様子もない。明かりもないため誰もいない部屋のような殺風景さがよけいに不気味だった。
「ここだな」
ノーヘッドは拳銃を携えてためらう様子もなく監視塔内を進み、なんの変哲もない柱の壁紙を器用に剥がした。
するとその下からコンクリートの地肌に張りつけられたキーパッドが姿を現した。
「むっ?」
ノーヘッドがキーパッドに数字を打ち込むが、反応はない。
「どうやら開閉するための補助電力が来ていないらしい。これでは開けられないな」
「ったく。トラブルか? どうすればいい」
「情報によれば研究区画の下にも緊急用の発電機があるはずだ。しかし手動で電源をいれなくてはならない。そこに望みをかけるしかないようだな」
俺たちは監視塔を出て研究区画に戻り、下層に続く階段を見つけて下りた。下の階は非常灯もなく暗い。先頭に軍用ドローンのスウェル2号を引っ張り出し、備え付きの投光器を用いて視界を確保した。
「どうしてこんなに暗いのかな!? こんな姿だけど私だって怖いんだよ!」
「愚痴を言わずにさっさと動け。役目だろ。あんまり
「ひええっ。ドローン虐待だよ!」
無駄にコピー元の根性無しがインストールされたスウェル2号を追い立て、俺たちはノーヘッドが指し示した先を急ぐ。
暗闇の中は研究区画と違い、ほとんど荒らされていない。周囲は壁を這う配管やケーブルが樹木の根のように脈々と続き、所々で鎮座した内臓のような大型機械が終着地点となっていた。
他にも曇りガラスのタンクが無数に並べられており、淡いオレンジ色の光が中身の液体をてらてらと照らしていた。
目的のものは最下層へ到着する前に発見し、ノーヘッドとお付きのアンドロイドであるマリーが協力して調べ始めた。
「ブレーカーに異常はないようだな。上からの送電が遮断されている以上、隠し通路のキーパッドを動かすならばそこの非常用発電機を起動するしかあるまい」
「……でもそれは止めた方が良いと思うよ」
俺たちはノーヘッドの言う通りにしようとするが、スウェルは否定した。
「何故だね?」
「この下から怨嗟みたいな、とても嫌な『声』がするの。ここの研究が何だとしても、それはきっと生きているよ。電気が通ったら何が起こるか分からないよ」
「……? 『声』とは何だい?」
ノーヘッドはスウェルの言葉の意味を汲み取れず聞き返す。無理もない。ノーヘッドはスウェルの能力を知らないから言葉の意味も通じないのだ。
「おい、スウェル」
俺はスウェルに耳打ちする形で訊く。
「あまり抽象的な言い方をするな。社長に感づかれるぞ。口にするならもっと明確に言ってくれよ」
「私だってよく分からないよ。でも下から聞こえる『声』は数えきれないほど多いの。今は眠っているけどいつ起きるか分からないよ。行かない方が良いと思う」
「そうは言ってもな……」
俺はしばらく
「社長。発電機を動かすと周辺の機械も電源が入るのか?」
「可能性はある。だが配電盤で通電を限定すれば対象を絞ることは可能だろう。心配事か?」
「俺のとこの『専門家』がさらに下の階層にある脅威を検知した。正体までは分からないが、できるだけ刺激したくない」
「脅威……。『ローニン』のような試作兵器が起動する恐れがあるということか。確度はいかほどだね?」
「女の勘は良く当たる。って言うだろ」
ノーヘッドは俺の言葉に拍子抜けしたようで、少しの間沈黙が走る。ジョークが通じない相手だったか、と俺が思い直そうとした頃、ノーヘッドの頭蓋のない下あごがカタカタと震えた。
それが笑っていると気づいたのは、むき出しの歯の隙間から陽気な声が漏れ出したからだった。
「……フフフッ。なるほど。では信用しよう。私は配電盤を操作してできるだけ電力が広がらないように努力しよう。カネツネ君は発電機の起動を準備してくれ」
「お安い御用だ」
スウェルの忠告を考慮して発電機に投入する燃料は最低限にした。回転量も調節して最低限の電力生産を行い、スウェル2号に積んでいた弾薬を組み合わせた即席の爆弾も用意した。これでいつでも爆破によって遠隔で停止させられる。
「ところで、お前もスウェルのように何かを感じるのか?」
俺は爆弾をセッティングしながら、作業用アームでサポートをするスウェル2号に話しかけた。
「それはないよ。今の私に『声』を聴く機能はないみたい。どうしてだろ?」
「俺に訊かれても困るな。だが、想像はつく」
おそらくボックスが発している何らかの波長を『声』として捉えるスウェルの能力は、意識や知識などの情報に基づいたアルゴリズムだけでは機能しない。更に重要なのはアーキテクチャ、ソフトだけではなくハードも必要とするからだ。
ともなれば、ボックスが持つ不老不死のメカニズムはより難解になった。もしスウェル2号のように既存のハードディスクへ自我のデータを複写しても、データ分析だけでは解明が難しいわけだ。
「準備はどうだね?」
考えている間にもノーヘッドは配電盤の作業を終えて、俺にそう告げた。
「完了だ。いつでもいける」
こうして俺たちができる限りの対策を講じても、スウェルの顔はあいかわらず心配そうなままだ。
スウェルのように『声』が聴けないため、俺にできるのは事の深刻さを想像するくらいしかない。考え方も脳の構造も違うとなれば、それは宇宙人の心理を理解するような困難に満ちている。
「大丈夫だ」
「本当なの?」
「いざとなれば俺が道を切り開く。もちろんこちらの話が通じる相手なら暴力を避けられるかもしれないが、そいつは期待するだけ無駄だろうな」
少なくとも俺とスウェルは対話できる。話ができるなら互いに理解できる可能性は0じゃない。どれだけ向こうが気にくわない奴でも、双方向から歩み寄る意志が存在するならばいずれ近づけるはずだ。
「起動するぞ!」
俺は皆に報せながら電源ボタンを押した。すると発電機のランプが点灯し、内部から洗濯槽が回るような重い回転音が響いてきた。
何故だか俺はその音が不気味に聞こえ、背筋に悪寒が走るのを感じた。
もしかしたらその音が、地獄の釜の蓋が開いたかのように聞こえたからかもしれない。
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