第22話

 親友のメルが自死してから数か月後、最悪な気分で日々を過ごしていた俺に吉報が入ったのはそんな時だった。


 母の友人であるサイボーグ技師が、骨変形症治療のための骨置換手術が国に認められたという朗報を俺たち家族に報せてくれたのだ。


 俺も父も母も、身を震わせるほどの喜びと共に病院へ向かった。ただ俺たちは予定よりも早く到着してしまい、持て余した時間を周辺の観光に変更した。


 それまで骨変形症のせいで外出を控えていた俺にとって、その日は久しぶりの家族旅行だった。映画を見たり、遊園地に行ったり、術後の生活を見据えた買い物もしたり、話薄れられない時間を過ごした。


 時が経つのは早いもので約束の時間もいよいよ近づき、最後は家族一緒にデパートの最上階で食事をしようとした。そんな時の悲劇だった。


 3人で乗っていたエレベーターの内部からでも分かるような激しい上下の揺れにより、ビル全体が悲鳴を上げて傾き、俺たち家族とそのほかの客は地面に落としたケーキの箱の中身のように潰された。


 しかし、奇跡的に俺と母だけは天井と壁の間に挟まれながらも生きていた。


 ただし父は俺のすぐ傍で車いすを支えようとして天井に挟まれて即死。母は片足を挟まれたが他の傷は浅く、近くにいた俺の安否を気遣う余裕さえあった。


 一方俺はというと、潰された車いすの中で水の代わりに血を絞り切ったぞうきんのように身体をひしゃげていた。


 それまでの人生の中でも経験のない激痛と火傷のような熱さが俺を襲い、とてもじゃないが正気ではいられなかった。


 どれほど長い時間喉を引き裂くような悲鳴を上げたか分からない。しかし、しだいに気だるさによって痛覚が麻痺まひして、やっと母の声が聞こえるようになった。


 母は自分の怪我など構いもせず、ひたすら俺を慰め、励ましてくれていた。停電により全ての明かりが消えた真っ暗闇の中、母の優しい声だけが俺の意識を繋ぎとめてくれていた。


 それからどれほど経っただろうか。時たま襲う余震におびえる俺を母は「大丈夫だよ」と気遣い。遠くで鉄筋が鳴るような音がするたびに、母は助けを呼ぶために大声を上げて、俺に「もうすぐ助けが来るよ」と元気づけてくれた。


「誰かいますか!」


 しばらくして俺と母は壁の向こう側から確かに人の声を聞いた。


 母が「ここです! 早く助けてください!」と言うと、しばらくして外側から壁を溶断し、小さな穴から救助隊員が現れた。


 けれども潰れたエレベーターのあまりの狭さに、現れた救助隊員はひとりだけだった。


「あの子を助けて! 早く!」


 救助隊員は母に急かされるように潰れた車いすの中にいた俺を見た。だが救助のプロから見ても俺の容体は悪く、とても救助が間に合わないと判断したのは俺が見つめるその顔色からもよく分かった。


「まずはお母さんの方から助けます。お子さんは後から必ず助けますから」


 救助隊員は母を説得して先に救助しようとしたが、母は断固として助けを拒絶した。


「あの子が先です! どうかお願いします! お願いします!」


 母は逆に救助隊員を説き伏せるために、手に握っていた赤い紙を手渡した。


「ここの病院に私の知り合いがいます。必ずこの子を助けてくれます。だからお願いします!」


 救助隊員は母の気迫に押され、やむなく紙を受け取り俺の救助を行った。


 救助隊員は俺を拘束している車いすを慎重に切断して分解し、ほどなく俺を助け出した。それでも俺は生死をさまよう状態ですぐさま救命処置を受けなければ危ない状況だった。


 救助隊員が俺をエレベーターの外に運び出す際、母はこう言った。


「死んではダメよ。アナタは生きて。それだけが私たちの願いよ」


 その時はまだ助かる見込みがあったのに、母には自分の運命が分かっていたかもしれない。


 俺がビルから助け出された数分後、父と母のいた建物はエレベーターごと完全に倒壊してしまった。


 そして悲しむ間もなく、俺を乗せた救急車はマリア博士が待機していた半壊状態の病院に到着し、他の医師の反対を押し切る形で緊急手術が行われた。


 もしこの時俺が見捨てられていれば何人の命が助かったか、といえるような長く困難な手術を経て、俺の第2の人生は父と母の亡骸なきがらをゆりかごに産まれたのだった。

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