第7話

 ボックスと生体の融合により、人は不老不死の技術を得た。


 ボックス工学の学会でセンセーショナルな言葉と共に登場した若い学者は、そんな仮説を披露した。


 曰く、ボックスと脳の融合によって脳はボックスと同じ性質を持ち、不滅の存在になるのだと。


 曰く、ボックスそれ自体はエネルギーを必要としないため、自律した永久機関として機能できるのだと。


 彼は様々な生体実験のデータを元にボックスと脳の配合比率、接合方法、ロボトミーなどの脳手術から確信をもって論文の提出を行った。


 学術的に斬新な切り口や深い考察から多くの学者の目をいたその論文はたちまち注目の的となり、学会では脳とボックスの可能性についての話題が持ちきりとなった。


 そして不運にも、彼の仮説は時代の舵切りとしても格好の標的になってしまった。


 彼の論文が発表されて間もなく、ボックスを用いた生体実験は非人道的として、学会はこれ以上の生体実験を中止すると発表した。その中でも最も批判されたのは彼の論文だった。


 データの精査のために死亡した生き物の多さは他の論文と比べても比類なく。手段と方法は生命に対して冒涜的なほど残忍さを極め。なおかつ不滅の不老不死などという誇大妄想の表現は一般の人間にとって異常だった。


 世間は彼の実験と論文を非難し、学会の学者たちも巻き込まれるのを嫌って我関せずと彼から離れていった。


 その後、今日こんにちに至るまで脳とボックスの実験は全く進んでいないといわれている。




 俺とスウェルはマリア博士と別れた後、俺の自宅へと向かった。


 自宅といっても郊外のマンション1階にある賃貸だし、立地はお世辞にもよくない。


 それでもセキュリティは付いているし、500キログラム以上ある俺の体重で床が軋む心配はない。


 おまけにマンションのオーナーはサイボーグに対して偏見がなく、苦い顔せずお得な値段で1階まるごと全部部屋という豪華な場所に住まわせてくれた。


 あまりの優しさに全世界が涙を禁じ得ない話だ。本当に、社会はやさしさに満ちてあふれているものである。


「オープンセサミ」


 俺は部屋につくと音声認識でロックを外す。スウェルは後ろで「おお!」と感嘆して目を丸くした。


 部屋に入ると無駄に広々とした玄関が待ち構えている。まっすぐ進めばトイレと洗濯場と風呂があり、左に曲がるとリビングルームとダイニングルームを兼ねた部屋がある。


 さらに奥に行けば俺が寝ている部屋とは別に空き部屋が3つあり、どれも個室だ。元々核家族をターゲットにしたつくりなので、贅沢な造りときた。


 俺は扉から入ると、外から投函された家賃の催促やポスティングの山をガサゴソと確認する。


 俺が高額な毎月の家賃に顔をしかめていると、奥から1台のアンドロイドが現れた。


「おかえりなさいませ、カネツネ様」


 俺たちを出迎えたのは家具代わりの家政婦アンドロイドだ。見た目は人に似ているが表情はなく無機質で、誰でも一目でアンドロイドだと分かる。


 名前の方は特になく俺は単にロボと呼んでいた。


 俺は家に上がると、ロボの横を通り過ぎながら命令を下した。


「もうすぐ運送業者がくる。適当に空きの部屋に配置してもらってくれ」


「承知しました。こちらの方はお客様ですか?」


 ロボはスウェルに顔を向けて俺に訪ねてきた。


「理由があって同居することになった。俺に害しない範囲で可能な限りコイツの命令は聞いてやれ」


「認証しました。スウェル様の個人名と優先度を登録いたします」


 俺がリビングルームに向かうと、その後ろでスウェルがロボに対してやたら興味を示しているのに気づく。


 特に害はないと思い、俺はスウェルを放置してリビングのパソコンを起動した。それは新しい仕事の情報を検索するためだった。


 ボックスハンターは戦闘のスキル以外にも情報の収集技術も必須だ。掲示板やSNSはもちろん、ダークウェブにもアクセスするし、場合によっては暗号通貨で情報を買う時もある。


 俺は健康維持に効果があるとされるスマートサプリメントをほおばりながら、三次元で空中に映し出された映像と文字列に集中した。


「私はどうすればいいのかな?」


 俺が検索に集中し始めた時、手持ち無沙汰ぶたさなスウェルが話しかけてきた。


「自由にすればいいぞ。明日はマリア博士が空いてる時間に研究所へ送ってやる。それくらいは仕事の範疇だからな」


「外出はダメかな?」


「さっき出かけたばかりだろ。端末でも弄ってネットサーフィンでもすることだな。ただしお前の出自は絶対に書きこむなよ」


「……分かったよ。大人しくしてる」


 スウェルは残念そうにしているが、メンタルケアは俺の仕事の範疇はんちゅうではない。


 スウェルが静かになったところで俺は検索を再開した。


 しばらくして都市部の工場にボックスの違法改造工場らしいというネタをキャッチし、俺はすぐに外出する準備を始めた。


 情報と行動は何より鮮度が重要だ。出遅れれば他のハンターや捜査第五課が出張ってくる可能性もある。


 そうなれば俺の食い扶持ぶちと寿命に関わる。善は急げだ。


「おい、俺は用事があるから出かける。お前は大人しく家に――」


 俺がスウェルに声をかけようとした時、スウェルはというとロボに何か話しかけていた。


「何をやっているんだ?」


 俺が質問すると、スウェルは嬉々として答えた。


「この子がもっと働けるようにちょっと改造しているんだよ。だって今のままじゃ窮屈きゅうくつそうだもの。ちょっと手を加えれば腕や指をもっと繊細に動かせるし、自分の心をずっとずっと豊かに表現できるようになるよ!」


「心だと? 馬鹿言うな。それよりも俺の所有物を勝手に改造するなよ。壊れたらどうする」


 俺がやめるよう告げると、スウェルはむくれた。


「そもそもアンドロイドは機械だ。心なんて高度なものが備わっているわけないだろ。それともお前はボックスの中に意識が存在するとも言うのか? 馬鹿馬鹿しい」


「別に私は感じたものをそのまま言っているだけだよ。私はボックスから心を感じるの。それは花や木を見るのと一緒で私にも心がある証拠だよ。だけど……」


 俺の追及に対してスウェルは自信なく回答した。


「確かに私がボックスから感じるものはとても曖昧あいまいだし、それが意識というものかはわからないよ。だけどだからと言ってただ道具のように扱うわけにはいかないよ。だって私にはボックスの声が聞こえているもの」


「へー。それじゃあ具体的に何を言っているんだ? とっておきのジョークでも披露ひろうしてくれるのか?」


 俺が茶化すと、スウェルはこちらを睨んだ。


「私は本気で言っているんだよ! それに私がボックスから聞いているのは言葉じゃなくて感情なんだよ」


「感情とはひどく抽象的だな。それでどうやってボックスをいじったりアンドロイドを操れたりできるのか不思議なもんだ。どちらかといえば宗教家かスピリチュアリストに向いているんじゃないか? もしくはペテン師だ」


 俺がスウェルの説明足らず、言葉足らずを笑い。それがスウェルの怒りに触れた。


「私だって私が感じているものやできることを言葉にするのが難しいんだよ! 気づいたら記憶もないし、人と違うものを感じるし、私だってよくわからないんだよ。それを説明してと言われても困っちゃうんだよ……それくらい分かってよ」


 スウェルは自分の心境を語ると、悲しそうに胸を抑えた。


 だが俺にはそんなスウェルを慰めてやる言葉を持ち合わせていない。


「……俺が帰るまでには元の状態に戻しておけ。いいな」


 俺は気まずさから逃げるようにして自宅のマンションを出かけたのであった。

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