第4話
「脳とボックスが……融合している?」
マリア博士はまるで信じられないような表情でディスプレイに表示されたCT
とMRI画像を見比べた。
「脳とボックスの融合、っていうとあれか? 昔、実験体マウスの脳に施された融合実験とかの」
「ええ、似ているというよりもそれ以上に高度よ。外見だけで少なくとも10個以上のボックスが埋め込まれているわ……。脳そのものが不透過ということは脳組織もボックスと同じものに置き換わっている。これで正気を保てるなんて尋常じゃないわよ」
俺とマリア博士は振り返ると、スウェルと目が合う。
スウェルは見た目以上に子供っぽい好奇心旺盛な目をしている以外、普通の少女に見える。
本来ならボックスと脳を融合させれば理性を保つどころか人格が崩壊する恐れがある。あくまでもこれは人体実験をしていない仮説だが、マウスの実験からもそれは明らかだった。
なのにそんな状態のスウェルは呑気に口笛を吹いて、暇そうにその場で軽くステップを踏んでいた。
「信じられないわね。学説的に正しいならこの子はこの世に存在しないケースよ」
マリア博士が再びデスクトップ画面に視線を戻すと、更に詳細な調査結果を表示した。
「DNAは従来の人類と同一、染色体の異常もないわ。脳波も正常。脳以外の生物学的構造に異常はないわね」
その除外された脳が一番理解不能なのだが、現在確認できるデータはマリア博士の言う通りまったくの常人だった。
ただしそれが本当ならば、スウェルは人類史上初めて脳とボックスを接続したまま正気を保てる成功例だと言えた。
これは学会にとっても世界にとっても、大いなる発見であるのは明らかだ。
そして脳とボックスが同化できるというならば、それは俺の目的に必要な存在だった。
「脳を解剖すれば何かわかりそうか?」
俺が突拍子もない質問をしてみると、マリア博士は驚く。それでも頭をうならせて回答を導き出した。
「正直リスクのわりに収穫はないでしょうね。過去のマウスでの実験を辿れば、解剖学的に見れば脳組織とボックスは同じ性質になっていたわ。それにマウスでの実験で脳からボックスをはく離しようとしたら、全ての結果が脳の融解になったわ。得られるものは何もないでしょうね」
「……そうか」
俺はあきらめたようにデータから目をそらすと、今度は上の空のスウェル本人に問いただした。
「お前はどこで脳の処置を受けたんだ?」
「? 脳の処置って?」
「とぼけるな。お前の診査結果では脳がボックスと融合していると出た。さっさと出所を吐けば解放するぞ?」
「それは無理だよ」
「何?」
俺はスウェルの他人事な表情と言葉に苛立たしさを
「だって私、名前以外なにも覚えてないもの」
「……嘘だな」
「嘘じゃないもん!」
スウェルも自分が嘘つき呼ばわりされたのに怒ったのか、頬を膨らませて抗議の顔をする。
俺はそんな生意気な顔をひっぱたいてやろうかと思ったが、俺とスウェルの間にマリア博士が割って入った。
「まぁまぁ、落ち着いて。まずは状況を整理しましょう」
マリア博士は
「スウェルちゃんは具体的にどこまで記憶があるの?」
「カプセルから起きて、そこのカネツネに抱きつかれたところからだよ。すごく痛かったんだから!」
スウェルの訴えに、マリア博士は疑念に満ちた目をこちらに寄こす。それはもちろん誤解だ。
「あれは庇うために仕方なくだ。それにそいつは金属アレルギーだろ。検査結果にも載っていたはずだ」
「あら、そういうこと。なら仕方ないわね」
スウェルが金属アレルギーなのは最初の反応ですぐわかった。そのためスウェルを持ち帰るのにも直接触れないように苦労したものだ。
今は自分の素肌を晒さないようにしているため、生活におけ障害は少ないだろう。それくらいの配慮はアンドロイドのサトーでもできるようだ。
納得したマリア博士は続けて、別の質問をスウェルに浴びせた。
「じゃあ、この国の名前は?」
「知らないよ」
「16足す4は?」
「20だよ。それくらい簡単だよ」
「ふーん。それじゃあ他の言語は話せる?」
「この言葉だけ。他は知らないよ」
「最後に思い出せる中で一番楽しかった思い出は」
「……さっきも言ったけど、カプセルから出る前の記憶はないよ。だけど目に見えるもの全部が楽しく思えるの」
「あら、カプセルから出る前の思い出もないのね」
マリア博士はスウェルとの問答を終えると、ふむ、と唸った。
「何のための質問だ?」
「基礎知識の確認よ。記憶喪失の経過から将来的な記憶が抜け落ちるような前向性健忘はないわね。記憶喪失になった原因から過去を忘れる逆向性健忘。それも自分に関するエピソードが思い出せない全生活史健忘のようね。長期記憶で言えば陳述記憶のうちエピソード記憶だけが抜け落ちているわ。ただ日本語が喋れるのに自分がいる国の名前を言えないのは変な話ね。これ以上は専門じゃないからわからないわ」
マリア博士が長々と説明するも、結論でいえば何もわからなかったようだ。
「別経路で判断するしかないわね。カネツネ、スウェルちゃんを見つけた時の記憶はある?」
「俺まで記憶喪失にかかっちゃいないよ。そいつを波川組の倉庫で見つけた時は、他のボックスや違法な武器と一緒に置かれてたんだ。密輸されたんじゃないか?」
「波川組の密輸品か……それじゃあ警察の調査待ちね。ハシコちゃんとは今もよろしくやってる?」
「……あいつとは今、あまり仲がいいわけじゃないんだ。他の伝手で探しな」
「あら、それはごめんなさい。忘れていたわ」
俺はハシコの名前が出たせいで少し不機嫌になる。
マリア博士はそんな俺の表情の変化に気付いたのか、にやりと笑って見せた。
「結局どうするんだ? そいつは警察に身柄を引き渡すのか?」
「いいえ、私もスウェルちゃんの重要性は理解しているわ。渡すなんてとんでもない」
「なら決まりだな。それじゃあ、後は任せたぞ。マリア博士」
「何言ってるの? これは君の仕事よ」
「――はっ?」
俺はある程度話がまとまったところでスウェルの諸々の処遇をマリア博士に任せようとしたが、何故か話が違うらしい。
「スウェルの身柄は君に預けるわ。支払いは1日ごとに君の寿命1日でいいわよね? 後は任せたわよ」
マリア博士はさも当然のようにそんな面倒ごとを俺に押し付けるのであった。
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