第3話
「それで連れ帰ったというのかだから、君もお人よしね」
そこはまるで病室のような、清潔さという漂白によって塗りたくられたような場所だった。
ただしここは病院ではない。並んでいるのは産業用ロボットのようなアームと電算機ばかり、少なくともそこで治療されるのは生身の人間ではない。
俺に話しかけてくるマリア博士はこちらに見向きもせず、ディスプレイに向かい小枝のような指でキーボードを奏でる。
マリア博士は40台くらいの女性で、いつも
面倒くさいという理由で常に上着は同じ白衣を纏い、2~3日に1度変わる衣服はよれよれである。ずり落ちそうな丸い黒縁のメガネは度が合っていないのか、画面を見る目はしかめっ面をしている。
マリア博士がパソコンを操るとその指示に従い、俺の周りを囲むロボットアームたちがオペを始めた。
俺はスムージースキンのない黒い骨格の身で椅子の上にあおむけになり、されるがままに身を任せた。
「あのまま警察に任せておけばいいのに。どうしてそうしなかったの?」
「……気になったことがあったからな。警察に身柄を引き渡せばもうこちらから彼女に手を出すことができなくなるからな」
「それでも警察を欺いて連れ去ったのはリスクが大きいわね。しかもその異形と人さらいの図。どうして見つからずにここまで来たかは……到着した時の君の悪臭でよくわかったわ」
マリア博士は苦笑しながらも自動診断と自動修理のコマンドを起動させ、既に右腕も換装された俺の黒い装甲を包み隠すように、人工のスムージースキンを張り付けていく。
スムージースキンは見た目がほとんど人の肌と変わらず、ロボットアームによって伸び縮みさせられながら俺の頭の先から足の先まで縫い付けるように覆った。
前側の肌が終われば今度は背中側だ。俺はフライパンのフライ返しのように優しくうつ伏せに向けられると、同じような施術を受ける。
最後に爪や歯を貼り付け、目鼻の穴を調整し、髪の毛を植え付ける。そうして人間の姿の苗代カネツネが完成した。
「今回は前回の計測データを元にバージョンアップしておいたわよ。触覚センサーをより人に近づけ、圧力感知の性能も向上させたから。これで微細な動きもより
俺は傍らに畳んであった服を着ると、試しに拳銃を抜く。
拳銃の感触はしっかりあり、なぞってみれば工業的な角ばった凹凸を感じる。
俺は次にマリア博士へ照準を向け、銃を傾けるなどして排莢口や銃本来のセーフティを確認した。
そしてそのまま、ぐっと抵抗感を覚えながらトリガーに掛けた指へ力を入れると、拳銃の『チェーン』が反応した。
「対象の脅威判定がありません。トリガーをロックします。今回の違反動作は捜査第五課のデーターベースに記録されます。以後注意してください」
「……だとさ」
俺は拳銃をホルスターに戻して会話を再開した。
「俺が連れてきた彼女は妙な点がいくつかあったんだ。そもそも波川組は武器とボックスの密輸が主力で人身売買に手を付けていない。女性を売るのは確かに需要があるだろうが、あんな高価そうな装置で運ぶものでもないしな。そしてこいつは奇妙に聞こえるが、彼女の声はアンドロイドの動きを止めたんだ」
「アンドロイドを止めた?」
マリア博士は気の抜けるような声で反復すると、質問を飛ばした。
「具体的には?」
「彼女が今まで聞いたことのない声で歌うと、あの特異アンドロイドが動きを止めたんだ。まるで命令みたいに拘束して俺が攻撃を仕掛けても
「……ふーん。確かにそれは妙ね」
マリア博士は顎に指を置き、考え始めた。
「もしそれが本当だとしたら、音声による暗号コードの強制介入かしら」
「そんなこと、可能なのか?」
「現代の人類には不可能よ。そもそもその前段階にボックスの暗号コードのほとんどが分かってないのだからね」
マリア博士はまるで俺を生徒みたいに扱い、ボックスについての授業を始めた。
「ボックスを直接的に分解や分析できないのは、カネツネも知ってるわよね?」
「X線写真とかで透過できないとか、破壊できないとか聞いてるな」
「そう。ボックスはCTを含むX線や磁気を使ったMRIで中身を確認できないうえに、本体は純鉄とほとんど同じ硬度ながらも破壊できないの。ボックスの表面は変形してもまったく展伸せず、形が変わっても中身を決してみることができないのよ。ただし、大きく変形すればAIとして機能しなくなるけどね」
「中身がわからないし開かない箱、ってことか」
「唯一出来るのはボックスと電子的回路で接続して膨大な固有の暗号データ『ボックスコード』を取り出し、解析することだけ。発見から半世紀かけても膨大なデータの演算の処理だけが進んで謎は一向に解けないのよ。そして世界は謎を解明することよりも、自分の利益のためにボックスを利用することばかりに努力を重ねている。これは著しい問題だわ」
「それはなんでだ? 自分のために使うのは当然だろ?」
「もしボックス自体が壊れたり、ひどければ壊れたことに気付かなければどうなるか分かっているの? 私たちは全体像を理解している専門家無しで高度な精密機械を日常的に使用しているのよ。そんな生活、いつか崩壊しない保証なんてないじゃない」
「そういうものか?」
俺はあまり問題を重要視できず、要領を得ない。それでもマリア博士は熱弁を続けた。
「それにこれはテクノロジー的な問題だけじゃなく、倫理的な問題も発生するのよ」
「倫理的に? 機械を使ってるだけじゃないか」
「そのボックスが機械であるという固定観念は誰が証明してくれたの?」
「……そういえばそうだったな」
マリア博士はつまり、ボックスの中身が明らかになっていない以上、ボックスが機械であるのか生命であるのかも判明していないと言いたいのだ。
「シュレディンガーの猫というのは知っている? これは量子力学による放射性原子の崩壊で毒ガスが出る箱に猫を入れると、量子力学の波動方程式に従い人間が箱を開けて観測するまで猫の生死の状態が半分であることは矛盾しているのではないかと、いう考え方よ。
実際、私たちはボックスの中が生命なのか機械なのか確認していない。だからと言って機械と決めつけて利用し続けるのは正当性がなく、倫理的な問題ではないかと主張する学者もいるわ」
「なんだか難しい話になってきたな」
俺が首をかしげて両腕を組んでいると、マリア博士は面白そうにくすくすと笑った。
「ボックスの正式名称が『グレー』ボックスというように、黒とも白とも判別がつかない存在。だからこそ私たちが想像しえない可能性があるの。同じようにカネツネが拾ってきた少女もボックスに関する謎があるなら、可能性と価値は莫大よ。そういう点ではカネツネがさらってきたのはナイス判断ね!」
「おいおい、人を人さらいみたいに……」
いや、人さらいなのは弁解のしようがない。事実日本の法的にはたとえ身元不明とはいえ、勝手に身柄を拘束するのは犯罪だ。
それが監禁ともなれば、罪は増々重いだろう。
「大丈夫。このくらいの不祥事なら上層部がもみ消してくれるわ。私たちの会社は国とも技術供与するあの大企業、マザーウィル・エレクトロニクス。そして私はボックス解明にあたる第4技術部唯一の従業員にして顧問の芥川マリアよ」
その唯一という肩書は誇るべきか微妙なラインだ。
先にも述べたように、俺が勤めている企業もボックス解明には消極的だ。もしも企業が看過できない不祥事をこの第4技術部で起こせば、切り落とされるのは目に見えている。
しかし、それ以上に俺があった少女には謎と価値の可能性があるのだと、マリア博士は言うのだった。
俺とマリア博士が少女について考えていると、急にラボの出入り口のブザーが鳴った。
「マリア博士、ゆうか……救出された少女の意識が回復しました」
かなり自然な女性の声だが、それは機械の音声だ。
ラボに入ってきたのは
少女はコクーン型のポッドにいた時の服から白いワンピース姿になり、腕には黒い手袋、足には黒く分厚いタイツを履いていた。
一方、女性型アンドロイドのサトーは人間よりもロボットに近い旧式の身体をしており、衣服は昔のスカート付きナース服だった。
サトーはラボに入ると、まず報告した。
「血液検査、尿検査、便検査、CTスキャン、MRIを行い、一点を除いて彼女は健康体です」
「一点を除いて?」
俺とマリア博士がその一言にいぶかしんでいると、サトーが答える代わりに少女が話しかけてきた。
「初めまして! 私、スウェルっていうの。お兄さんとお姉さんの名前は?」
少女ことスウェルは元気いっぱいに俺とマリア博士に名前を尋ねた。
「お、俺は苗代カネツネだ」
俺は動揺しながら名乗る。そしてマリア博士は若く見られたのに気を良くしたように答えた。
「あらかわいい。私は芥川マリアよ。マリアと気軽に読んでね。スウェルちゃん」
スウェルは目を輝かせながらラボを見回すと、その口から無邪気な言葉がとどめなく流れ出した。
「ここは実験室なのかな? 色んな機械や薬品があるね。どんな実験をするの? マリアが科学者なのかな? それともカネツネが? 私色々いっぱい知りたいの」
スウェルの好奇心の勢いに皆がたじろいでいると、空気を読まずにサトーが説明を再開した。
「マリア博士。まずはそちらの端末に送ったデータを確認してください。これは緊急の要件です」
「え、ええ。そうなのね。分かったわ」
マリア博士はサトーに促されると、自分のパソコンに向かった。
「数値はどれも正常値ね。体重や身長も……うん? 何よこれ!?」
「どうした?」
マリア博士が奇声にも似た驚嘆を上げたため、俺はパソコンのディスプレイを覗き込む。
そこにはスウェルの身体情報が数値と透過画像として表示されている。ただしその中に異質なものが映りこんでいるのに気づいた。
「なんだ、この脳は」
CTとMRIの画像で表示された脳は
その脳は形も通常とは違い、複数の箱が埋め込まれて寄生したような形をしており、およそ常人のものではないのは明らかだった。
「脳とボックスが……融合している?」
マリア博士が画像を見ながらそう呟いた。
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