第239話 わかる!



 せっかく明日香は着物を着ているのだし、このまますぐに帰宅して部屋着に戻るのももったいない。そんな理由に加えて今日は家に親父がいるから、俺の家で二人でまったり……というわけにもいかず、話し合った結果――俺たちはバスに乗ってショッピングモールへ向かうことにした。


 目的は『プリクラを撮る』というものだけど、正月だし福袋みたいな特別なものが売っているかもしれないからな。人酔いの危険性はかなりあるが、適度に休憩しつつ、極力人の少ない場所を移動するとしよう。



 というわけでやってまいりましたショッピングモール。

 ゴールデンウィークの時に人が多くてうんざりした記憶があるけれど、今日はその数の二倍以上の人が店内にひしめいている。帰りたいです。


「みんなやっぱり考えることは一緒か……福袋目当ての人が多いのか?」


「たぶん」


 時刻は昼の十一時を過ぎた頃――この店のオープンは朝の九時だから、おそらくこれでも落ち着いてきたほうなのだろう。開店の福袋ダッシュは凄いと聞くし。

 店内入り口近くに置いてある福袋の案内ポスターには、すでに『完売御礼』と書かれた赤いシールが貼ってあるところもある。お年玉を貰ってすこし財布にゆとりがあるとはいえ、福袋で欲しい物はとくに思いつかないからなぁ。


「ま、とりあえず目的のプリクラを撮りに行こうか。買い物すると荷物になっちゃうし、店内を見て回るのはそのあとでな」


「…………(コクコク)」


 頷く明日香の手を引いて、俺はエレベーターに向かって歩き出す。エレベーター待ちの人もかなりいるが、全部で四カ所もあるからそこまで窮屈になることはあるまい。


 少なくとも、人が溢れている店内を歩くより、いくらかマシなはずだ。


「ふぉおお……人多すぎだろっ」


 エレベーターの奥の角に明日香を追いやって、俺は彼女の顔の両脇に手を置き、なんとか小さな天使が潰されないように踏ん張っていた。

 まだ乗ってくるのか!? 重量制限はどうした!? と、なんども大声で叫びたくなったけれど、公共の場であることを頭はしっかりと理解しているので、その言葉たちは唾と一緒に飲み込んだ。


「だ、大丈夫か明日香? 足踏まれたりしてない?」


 エレベーターの戸が閉まるのを確認してから、小声で明日香に声を掛けると、彼女はフルフルと顔を横に振った。


「智樹、もっと近づいていい」


「ま、まぁ空間にゆとりはあるけど、腕は伸ばしきってないと辛いというか……」


 中途半端に曲げると俺の腕が耐えられない危険性が多々ある。そりゃこうやって俺が空間を作ってしまっているから、他の乗客がその分きつい思いをしているのかもしれないが、明日香がつぶれることと天秤にかけると、俺はどうしても自分の彼女を優先してしまう。


「どうせすぐ着くから、それまでの辛抱だ」


 震える声でそう言うと、明日香はふーんと観察するような目で俺を見る。そして、何の前触れも断りもなく、俺の両肘に手刀を決めた。内側から外側に、軽くポンと音がするようなチョップ。しかし、直線的な力しか込めていなかった俺の腕は、すぐさまカクンと折れ曲がってしまった。


「ちょ、ちょちょっと!? うげ」


 なんとか腕力だけで踏ん張ってみようと思ったが、俺の背中に掛かる圧力は凄まじく、すぐさま明日香と密着するような形になってしまった。


 ってあれ……? この体勢になった瞬間、周囲の圧力がゼロになったんだけど?

 もしかして、俺が腕を突っ張ってなければ、こんなにつらい思いをせずに済んだのだろうか? 俺、もしかして迷惑をかけてただけなの?


 頭の中にはてなマークを浮かべたまま、ここぞとばかりに俺に抱き着く明日香をいったん無視して、首を回して周囲を見てみる。


 すると、なぜか俺の背後では皆が密着し合っていた。俺とは一切触れていないのに、他の場所は凄まじい密度になっている。


 あ、あれぇ……なんかこの感じ、よく見るというか、無意識に目を逸らしたくなってしまうような雰囲気があるというか……。


 俺は顔を引きつらせ、乾いた笑いを漏らす。脳内に降ってわいた嫌な想像は、明日香の天使のような顔を見て忘れることにしよう。うん。


 そんなことを考えながら正面に向き直ると、背伸びをした明日香が驚きのスピードで俺の唇を奪った。俺の頬を小さな手でホールドして、俺の唇をたらこ状態にしたのち、自分の唇を押し付けてくる。


 いやだからあのね! 公共の場だからねここ! 確かに周りからは見えてないかもしれないけど、動きでなんとなくわかっちゃうから止めなさい!


 そんな注意をしたいのだけど、俺の口から漏れるのは「んー! んー!」という情けない叫び。もはや静かにしておいて、彼女が満足するのを待ったほうがまだマシかもしれない。



「「「「「うぼぅあ!?」」」」」


「あの、いきなりすみません、箱ティッシュってありますか?」


「すまない。まさかこんな幸せな事故に遭うなんて思ってもみなかったから……洗濯バサミで良かったらプレゼントしようか? ほら、私もマスクの下では洗濯バサミをつけているんだ。痛みは気にならないよ」


「あー、俺、トイレットペーパのダブルロール、いつもリュックに四つ入れて持ち歩いてるんで、良かったら一つずつあげましょうか?」


「ほんとに!? 助かります!」


「いいのかい少年?」


「いいッスよ。いま俺、めちゃくちゃ幸せなんで」


「「「「「「「「「「「「「「「わかる!」」」」」」」」」」」」」」」


 背後から聞こえてきた十人以上の大合唱に、俺は明日香の唇から離れ、大きなため息を吐くのだった。


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