第230話 さらに増える『ちゅー』




 昼の三時頃に一度小日向を家に送り届けてから、マンションで掃除などをパパッと済ませた。乾いた食器は戸棚になおし、寝室もリビングも、帰ってきたときにうんざりしないよう綺麗に整えておく。


 片づけが終わったらデートの服装を考えなければいけないのだけど、直前で悩むのは予想できていたことなので、俺は事前に紺色のセーターで行くと決めていた。まぁ、その上にダウンジャケットを着るので、あまり見えることはないだろうが。


 寝室でセーターに袖を通していると、スマホが震える。小日向からだ。


『白パーカー』


「……これは宣言なのか? それとも聞いているのか? それとも着てこいと言っているのか?」


 小日向がこの手の服を他に持っているのか知らないけれど、俺の手持ちに白いパーカーは一つしかない。


 もし仮にこれが宣言だった場合、俺にも着てほしいという意味が含まれているだろう。

 そして質問だった場合、俺に着てほしいという想いが含まれているはずだ。

 さらに強制だった場合、やっぱり彼女は着てほしいのだろう。


「ふむ……結論が一緒だな」


 というわけで、俺は小日向に『おそろいのパーカー着ていくよ』と返信した。即座にピョンピョン楽しそうに跳びはねるウサギのスタンプと、『私も着ていく』という文字が送られてきた。喜んでもらえて何よりです。

 春に購入したものだけど、下に一枚着て上にダウンを羽織れば十分温かいだろう。どうせ首にはマフラーを巻くのだし、寒くて震えるということにはなるまい。


 四時少し前にマンションを出て、小日向家へ歩いて向かう。

 持ち物はポケットに財布とスマホがあるだけで、両手が自由だ。万が一転んでも即座に対応してみせよう。そもそも滑りたくないけど。


 相変わらず外は雪が待っており、吐く息は当然のように白い。道路のアスファルトは車が通った部分だけ雪が溶けていて、人の足跡もあるけど、その部分は地面に達してはおらず、白いままだった。


 スマホで電車やバスが運行していることを確認していると、すぐに小日向の家の前についた。彼女は玄関の軒先で待機しており、俺の姿を見つけるとテテテテテと階段を駆け下りてきた。


 俺がプレゼントした耳当ても手袋もしっかりつけており、ダウンジャケットも白色。唯一パンツは黒色だけど、ダウンが大きいので全体的に白色面積が多い感じだ。


「おうおうおう! 危ないから走るな! 転ぶぞ!」


 慌てて声を掛けるが、その時にはすでに小日向は門扉を開けて俺の目前にまでやってきていた。


 そして、俺のもふもふのダウンに頭突き。小日向も白いダウンを着ているから、お互いにもふもふだ。そのためいつもより身体の距離が遠い。


「雪が積もって滑りやすいんだから、気を付けろよ? 特に階段は走ったらダメ」


「…………(コクコク)」


「よろしい。俺が見ている時だけ歩くのもダメだぞ? いないときこそ、ちゃんと気を付けること」


「…………(コクコク)」


 聞き分けのいい子だ。思わず頭を撫でてしまった。

 背伸びして俺の手の平にうりうりと頭をこすりつけた小日向は、満足そうに鼻息を吐くと、俺の首に巻いてあったマフラーを回収し、自分と俺に巻き付けてくる。彼女が俺のマフラーに触れた時点でこうなることは予想できたから、俺は腰をかがめて小日向の行動を受け入れた。


「よし、じゃあ行こうか。唯香さんたちにはちゃんと伝えてる?」


 マフラーのセッティングが完了したのち俺がそう聞くと、小日向はコクリと頷き、


「明日の昼帰るって言った」


 と教えてくれた。そしていちおう、今日の夜も俺のマンションに帰宅した時点で一報入れるように言われているらしい。まぁ夜のお出かけだし、女の子の親は心配だろう。


「……俺も親父に連絡しておいたほうがいいのかな?」


 疑問符を乗せた言葉を呟くと、小日向はコテンと首を傾げる。それから彼女は少し悩むように唇に手をあてると、「気になるなら送ろ」と回答をくれた。それもそうだな。


 そんなわけで俺も親父に「今日は夜まで遊ぶ。その後は小日向を家に泊める」と業務連絡のような文章を送っておいた。すると即座に、


『唯香さんから聞いているから大丈夫。あまり遅くならないようにな』


 というチャットが返ってきた。どうやら俺もきちんと心配されているらしい。


「お互い親に心配かけないよう、あまり遅くならないようにしような。――さっ、目的地はさつきエメラルドパークだ。どんなイルミネーションか楽しみだな」


 そう言って、俺は手袋に包まれた小日向の左手を手に取り歩き出す。

 すると、小日向は慌てた様子で手をほどき俺の正面に立った。そして俺の肩をぐいぐいと下に押して腰をかがめるように仕向けてくる。


 どうした? と聞くよりも先に、小日向は俺の両頬に一回ずつキスをしてきた。


『いってらっしゃいのちゅーと、いってきますのちゅー』


 口にするのは少し恥ずかしかったのか、スマホでキスの意味を説明してくれた。

 いつもどおり自由で小日向らしい発想だなぁ。可愛い。


 …………ふむ。


 これってもしかして、帰宅したときも『おかえりのちゅー』と『ただいまのちゅー』が待っているのでは……?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る