第206話 孔明の罠
小日向明日香、十七歳。
対する俺、杉野智樹はまだ十六歳である。
誕生日はちょうど一週間違いなので、十二月十三日から十二月二十日までの七日間、小日向は俺より年上になるわけだ。そんなわけで、ここ最近『お姉ちゃん』であることを意識した行動が小日向には見受けられたのだが、誕生日から四日経過した本日土曜日――どうやら我慢の限界に達したらしい。
「……お姉ちゃんモードじゃなかったのか?」
『これはいいの』
時刻は夜の十時頃。
小日向はプレゼント武装を解除し、ウサ耳フードの付いたパジャマ姿になった。そして現在はこたつでバラエティ番組を見ている。
俺もパパッと食事や風呂を済ませてから彼女の横で同じようにテレビを見ていたのだけど、CMの間にトイレに行った彼女が戻ってきた場所は、俺の足と足の間だった。
そしてこたつの上に綺麗に並べてセットしていた手袋を、すぐさま装着。
『可愛い』
スマホで入力した文字を俺に見せてから、背中を俺の胸にべったりと付けた状態で自らの手をにゅいっと前方に突き出す小日向。可愛いのはお前だよ――と口走ってしまいそうになったけど、そんなことを言ってしまえば自他ともに認めざるを得ないバカップルになってしまう。堪えた。
「喜んでもらえて嬉しいよ」
「…………(コクコク)」
無難な返答をすると、小日向は満足そうに頷く。
ほんのり温かい小日向の体温、髪からふわりと香る甘い匂い――以前はこれらのせいで心臓にかなりの負担をかけていたけれど、今では逆に落ち着くようになってきた。ほっとするというか安心するというか、ともかく居心地がいいのだ。
こんな穏やかな時間が永遠に続けばいいな――そんなことを考えつつ、頭の片隅で「今日は何時に寝ようかなぁ」と脳に労働を強いていると、小日向が『お尻に敷くクッションとって』と頭をこすりつけながらお願いしてきた。
小日向では届かず、俺は手を伸ばせば触れられる位置にクッションがあったので、俺は特に深く考えることなく小日向の要求を叶えた。まぁ精々、お尻が痛かったのかなぁと思ったぐらいである。
『智樹ベルト』
「あぁ手ね。はいはい」
クッションが俺の股の間にセットされて、その上に小日向がちょこんと座る。少し座高が高くなった小日向は俺の手をペシペシと叩いてお腹に手を回せと要求。まだギリギリ穏やかな時間である。もう少し小日向の要求が暴走すれば、俺の心臓が疲れ果ててしまう結果となるだろう。
『顎のせて』
「……どこに?」
『肩、首の近く』
妙にふすふすしているから何を言い出すのかと思えば……クリスマス以降の小日向がどうなってしまうのか、いよいよ恐ろしくなってきたぞ。いや、いずれカップルになることを想定するのであれば、予行演習と思えば悪くもない――のか? あれ? なんか俺の感覚、麻痺してきてない?
「そ、それはいくらなんでも顔が近すぎると思うのですが」
『智樹、何でもするって言った』
「たしかに言った……言っちゃったなぁ」
いったいそれはいつ言った分なのか。もうそろそろ時効だとか使用回数限度に達していてもいいと思うんだ。小日向が喜びそうだから、結局やっちゃうんですけどね。人目がないし、セーフということで。
「これでいい?」
恐る恐る小日向の肩に顎を乗せると、彼女はメモ帳に『ばっちり』という文字を即座に記入する。実際に乗せてみた感想としては、「そういえば、無意識に乗せてたことあったわ」というなんとも微妙なものだった。
スマホの画面を覗き込むときとか、小日向が手元で遊んでいる時とか――一瞬ではあったけれど、俺はすでにこの難易度の高いミッションをこなした経験があったらしい。
小日向は頭を左右に揺らして、俺の側頭部に自らの頭をコツコツと当てる。楽しそうで何よりで――んぁあああああっ!?
突如おとずれた肉食ウサギの攻撃に驚愕し、俺は思わず体をのけ反らせてしまった。
「ち、違うぞ? 小日向が嫌とかじゃなくて、びっくりしただけだから」
俺は慌てて弁明の言葉を口にするが、小日向から反射的に体を離してしまったがために、彼女は眉尻を下げてしょんぼりしてしまっている。下唇もしっかりと突き出していた。
いやだって、いきなり頬っぺたをくっつけて擦り寄ってきたら驚くだろう……。あんなひんやりもちもちな感触、俺の頬っぺたの記憶にはないぞ。
『智樹が嫌ならもうしない』
「だ、だから別に嫌じゃないって」
『我慢する』
「だから嫌じゃないんだって! 俺は全然気にしてないから! 我慢とかしなくていいから!」
早口になりながらそこまで言ったところで、ようやく小日向は表情を元に戻し、ふすーと鼻からため息のような息を吐く。そして催促するように、自らの肩をぺちぺちと叩いた。そして、スマホをポチポチ。
『じゃあいっぱいする』
「そうそうそれで――ん? うん?」
もしかして俺、また言質とられちゃった?
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