第191話 可愛いうさちゃんだな



 景一と冴島は日本史、そして俺と小日向は英単語の暗記中だ。


 時間にして約三十分――比較的真面目に勉強に取り組んでいた小日向だが、ついに限界がきてしまったようで、ぺいっと単語帳をテーブルの上に放り投げた。まぁ飛距離にして五センチぐらいだから、『落とした』といった言葉のほうが適切かもしれないが。


「飽きた?」


「…………(コク)」


「じゃあ俺が問題出すから、わかる範囲で答えてみな」


「…………(コクコク)」


 今回の英単語の試験範囲は、普通に高校二年でやるものもあるのだけど、一般的に言えば高校三年で習う範囲もはいってしまっている。まぁぶっちゃけ覚える量は多いから、小日向がいやになる理由もわからないでもない。


「じゃあblinkはどういう意味でしょう」


 とりあえず簡単そうなところから一問目を出してみると、小日向は自分の目を指さしてぱちぱちと数回瞼を上下させた。まばたきって意味だから正解だな。


「じゃあ次、ちょっと難しいぞ。fascinateはどういう意味でしょう」


 ちなみにこれの意味は『魅了する』というものなのだけど、小日向は覚えきれていなかったようで、こめかみに人差し指をあてて頭を傾げていた。可愛い。


「これは魅了するって意味だからな。次は答えられるようしっかり覚えておけよ」


「…………(コクコク)」


 きらきらと目を輝かせて頷いた小日向は、至近距離で投げキッスを連発してくる。どうやら俺は今彼女に魅了されているようだ。なお、俺はすでに魅了されてしまっているので効果は薄い。


 しかしこんなに可愛らしい小日向を見てしまったら、出す問題もちょっと選びたくなるなぁ……よし、次はこいつにしようか。


「次、stare。これはわかるか?」


「…………(ぶんぶん)」


「そっか。これは『じっと見つめる』って意味だぞ」


 俺の解答を聞くと、小日向は口を縦に開けてほうほうと頷く。そして俺の想定通り、小日向はこちらをジッと見つめてきた。可愛いけど照れる――照れるけど可愛い。


 小日向も照れて俺から目を逸らしたりしないだろうか――そう思い、俺も小日向の目をジッと見つめてみる。


 しかし小日向は俺の反撃にひるむ様子はなく、それどころか嬉しそうににんまりとした笑顔を浮かべるだけだ。目を逸らす気配など微塵も感じられない。ふすーと息を吐いてご満悦である。


「……いちゃいちゃするのを止めてくれとは言わないけどさ、さすがに無言で見つめ合っているのを目の前にすると俺まで恥ずかしくなるんだけど。それに――」


「景一くん! 私たちもやってみる!?」


「こうやって余波が来る前に自重して欲しかったんだけどなぁ!?」


 珍しく顔を赤くして騒ぐ景一。

 まったく、俺たちは静かに勉強しているというのに騒がしい奴だな。


「景一、勉強中は静かにするもんだぞ」


「見つめ合うのもおかしいと思うんですけどねぇ!?」


 まったくもって、その通りです。ごめんなさい。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 小日向が勉強しなければならないのは何も俺の家に限った話ではない。というよりも、本命は当たり前だけど学校の授業中だ。


 俺、景一、小日向の三人の席はグラウンド側の窓際であり、しかも最後尾から連続して並んでいるような形になっている。一番後ろが景一で、その次に俺、そして小日向という順番だ。


 小日向と景一に関しては完全なる運だろうけど、俺に関しては鳴海に席を譲られたからであり、おそらくKCCの策略だと思われる。


 まぁそれはいいとして。


 現在は日本史の授業中だが、先生は俺たちに試験対策のプリントを配り終えると、席の間を縫うように歩き回りだした。――いわゆる自習タイムである。この先生に限らず、ほとんどの授業は来週から始まる試験に向けてのもので、授業が進行することはない。


「サボったら俺からバレバレだからな」


 後ろからコソコソと小日向に声を掛けると、彼女はビクッと身体を震わせてから、ゆっくりとした動作でこちらを振り返る。彼女の机の上にあるプリントは裏返されていて、そこにはカメとウサギが描かれていた。


「お絵かきじゃなくて、お勉強しないと」


 俺がそう言うと、彼女は小刻みに顔を横に振ってから俺の机にシャーペンで文字を書く。


『これは日本史の勉強。うらしまたろー』


「浦島太郎にウサギ要素ってあったかなぁ……っていうか普通に『ウサギとカメ』でいいだろ」


『じゃあそれ』


「だとしたらイソップ寓話だろうに……たしかギリシャとかだぞアレ」


『……智樹カッコいい』


「びっくりするぐらいに話を逸らしたな。とりあえずありがとうと言っておくが、サボりは見逃さんぞ。先生に見つかったら怒られるのはお前なんだからな?」


『先生、怒らない』


「いやいや、さすがに配布されたプリントに落書きされたら――「コホン」」


 小日向は筆談で、そして俺は小声で会話をしていると、背後から咳払いが聞こえてきた。明らかに景一のものとは違う、野太い声質のものである。


 恐る恐る振り返ると、そこには厳しい目つきで小日向のプリントを凝視する日本史を担当する教師――岡島先生の姿。彼は生徒指導を担当しており、規則に厳しい事で有名な先生である。


 あー、これはさすがにやっちゃったなぁ。まぁ話していたことについては口頭注意ぐらいで済むだろうけど、落書きはちょっときつめに怒られるかもしれない。


 そんなことを思っていると、


「可愛いうさちゃんとかめちゃんだな」


 ……止めてください。俺の中でのあなたのイメージがボロボロになっちゃうから『うさちゃん』とか言わないで。


「だがな小日向。絵はとても素晴らしいが、今は授業中だからしっかりと勉強しなさい。予備の新しいプリントを渡すから、こちらは回収するぞ?」


 小日向がしぶしぶ頷いたことを確認した岡島先生は、小日向の机に置いてあるプリントを奇妙な折り方で折り畳み、ポケットにしまう。


 小日向の描いたうさぎとかめに折り目がつかないような折り方なのはきっと偶然に違いない。小声で「会長に手土産が出来た」とか言っているのは、俺の空耳に違いないのだ。




※なお、嬉々としてプリントを会長に持って行った岡島先生は、小日向さんのプリントを横領した罪で正座させられました。

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