第180話 お守りと招き猫



 小日向が口で奏でるすぴすぴと違い、本物の寝息はスース―という音である。この事実を伝えると誤魔化す時に使われそうな気がするので、本人が気づくまでは内緒にしておくつもりだ。


 彼女が寝ている間に俺が何をしていたかというと、トイレに行くために退出したり、自販機を求めて館内をうろつくことはあったが、それ以外はずっと小日向の寝るベッドの横で椅子に座っていた。


 スマホで景一に連絡をとって小日向の容体を伝えたり、「こういうのがあったけどどうする?」という質問には「じゃあそれもよろしく」などと答えたり。あまりじっと寝顔を眺めるのも気が引けたので、そんな風に時折スマホに意識を逸らしながら俺は修学旅行の三日目を過ごした。


 ちなみに養護教諭は、小日向を心配して様子を見に来た生徒を追い返したりしていた。まぁ追い返すまでもなく、俺がいることを確認するとほっとした表情で帰っていく生徒もいたのだけど。



 うなされる様子も無く、すやすやと眠り続けた小日向が目を覚ましたのは、午後の五時を過ぎたころだった。景一たちは六時ぐらいに帰る予定と言っていたから、他の観光に出ている生徒たちもそろそろ戻ってくるころだろう。


 目をうっすらと開けた小日向は、寝る前と変わらずベッドの横に座っている俺を視界にいれると、もじもじと身体を動かし始める。そして布団からにょきっと手を伸ばして、俺の手を握った。


「おはよ。少しは気分がマシになったか?」


「…………(コクリ)」


 彼女は俺の手をにぎにぎしながら、小さく頷いた。可愛い。


「そりゃよかった。じゃあとりあえず水分補給して――熱も測っとこうか」


 そう言いながら、俺はおなじみのスポーツ飲料水であるアポカリプスをバッグから取りだした。小日向の背中に手を入れて身体を起こし、彼女にペットボトルを持たせる。


 彼女はコクコクと頷いてそれを受け取り、深くおじぎをする。「ありがとう」ということだろう。


「どういたしまして。ふた、開けられるか?」


 俺がそう問いかけると、小日向は眉を寄せながらキャップを捻る手に力を籠める――が、コンマ五秒ほどで諦めて、俺の目を見ながらズイッとアポカリプスを手渡してきた。


「諦めるの早いな! まぁそれぐらい別にいいんだけどさ」


「…………(ふすふす)」


 なんだか「とりあえず何か構って欲しかった感」がひしひしと伝わってくるけど、今日に限っては小日向が病人であるという免罪符があるので、甘やかされたい人間も甘やかしたい人間も、許されてもいいのではなかろうか。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「まずは本命のこれ。しっかし……良縁のお守りなんて、一年前の智樹が聞いたらびっくりするだろうなぁ」


「はい! 明日香はこっちね。ピンク色~」


 時刻は午後の六時半。ホテルに帰ってきた景一と冴島は小日向と俺が過ごす病室へとやってきて、さっそくお土産を貰っていた。お金は事前に景一に託しておいたので、おつりと一緒に例のブツを受け取る。


 景一たちに頼んでおいたのは、ネットで事前に調べた二個セットになっている良縁のお守りである。新たな縁に恵まれるというよりも、今ある縁を大切にしたい人向けのお守りだそうだ。


 俺は景一から水色のお守りを受け取り、小日向はピンク色の物を受け取る。

 景一たちにお礼を言ってから、俺と小日向は受け取ったお守りの質感や、裏表の刺繍を確認。お互いに交換して違いを見てみたりもした。


 ほんの一年前までは厄除けぐらいでしかお守りを買ったりしていなかったけど、今は現状を失わないためのお守りを購入している。人生って何がきっかけで、どう転がっていくのか、本当にわからないもんだな。


 ちなみに小日向の熱は現在七度前半まで下がっていて、普段と変わらないぐらいに彼女は元気だ。熱がぶり返さないよう、このまま安静を言い渡されてはいるけども。


「俺たちも色違いで同じのを買ったんだけど、こっちは智樹たちだけのサービスな! 俺と野乃からのプレゼントだ」


「うんうん! 特に明日香は喜ぶんじゃないかなぁ」


 冴島はそう言ってからニヤニヤした表情を浮かべると、小さな茶色の紙袋を小日向に手渡す。小日向も中身がなんなのか想像がつかないらしく、首を傾げながらキョトンとした表情を浮かべていた。


「えぇ……? なんか俺たちだけ申し訳ないんだが、いいのか?」


「いいってことよ! 智樹の反応が見られたら俺は満足だ!」


「私も明日香が喜んでいる顔が見たいからね!」


 なんという聖人君子。


 誕生日などの特別な日でもないにも関わらず、友人の喜ぶ姿が見たいというだけでプレゼントを用意するのかこのカップルは。


「今見てもいいのか?」


「おう! というか二人の反応が見たいから、是非いま見てほしいな」


「そっか、じゃあお言葉に甘えて……小日向、出してくれるか?」


「…………(コクコク!)」


 クリスマスにサンタさんからプレゼントを貰った子供のように、小日向は興奮した様子で頷くと、丁寧に紙袋の口を止めていたテープを剥がす。それから彼女は袋に手を突っ込んで、中身をゆっくりと取りだした。


「んん? これは……招き猫?」


 小日向が袋から取り出したのは、白い毛並みで赤い首輪をした招き猫だった。小日向が正面を興奮した様子で眺めているので、俺からは猫の後姿しか見えないが……シルエット的に間違いないだろう。


「ふっふっふ……ただの招き猫じゃあないぜ」


 得意げな表情で言う景一の態度に疑問符を浮かべていると、小日向がふすふす言いながら俺に猫の正面を見せてくれた。てっきり鈴があると思っていた猫の首元には、木札のようなものがぶら下がっており、そこには達筆な文字が彫られている。


 その言葉を見た瞬間、思わず俺はスッと目を細めて景一たちを見た。


「…………お前らなぁ」


「はっはっは! 思った通りの反応だなぁ智樹! 怒るに怒れない微妙な表情を浮かべてる!」


「明日香もやっぱりめちゃくちゃ嬉しそうだね!」


 そりゃね。

『夫婦円満』なんて書かれたモン渡されたら、こうなることぐらい俺でもわかるわ。

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