第177話 事件発生



 修学旅行三日目。


 今日はスキーをせずに、このゲレンデからバスで移動して観光スポットを巡る予定だ。


 中学の頃はこんな風に自由は与えられなかったが、高校生ともなるとその辺りはかなり寛容になるらしい。大多数の人がスマートフォンを持ち歩いているため迷子になることもないだろうし、何かあった時の連絡手段があるのは心強いからだろうか。


 とはいえやはり少しの縛りはあって、具体的には『この範囲しか移動は禁止』、『午後の三時に一度担任に連絡すること』、これが本日外出する班に課された最低条件である。ゲレンデに残るスキー組は、そんなこと関係なしに大量の雪を楽しむだけだが。


 景一と「今日はどういう経路で回ろうか」と話しつつ、同室の男子四人と朝食の会場に行ってみると、向かいの席には女子五人――鳴海と黒崎、そして高田たちの班の女子の姿があった。彼女たちは俺の顔を見ると、眉尻を下げて同情するような表情になった。


「小日向はどうしたんだ?」


 女子たちに「おはよう」の挨拶をするよりも先に、本来いるべき場所に彼女の姿が無かったので、俺はすぐにその疑問を解消すべく問いかける。


 これはあれか――? 俺を脅かすためにどこかに隠れ潜んでいるとかだろうか? いやでも……隠れる場所なんてないんだよなぁ。トイレか?


「おはよ、実はちょっと小日向ちゃんダウンしちゃってね。起きた時からぼーっとしてたから熱を測ってみたんだけど、三十八度あったよ」


 俺の質問には、鳴海が苦い表情で答えてくれた。さらに詳しく聞いてみると、どうやら彼女は現在、寝室とは別の部屋で休んでいるらしい。桜清学園の養護教諭がこの旅行に同行していたから、彼女に診察してもらったとのこと。典型的な風邪の症状のようだ。


「ありゃりゃ、じゃあ小日向は今日の観光スポット巡りは厳しそうだな」


「そりゃそうだろ、悪化したら大変だ。ま……急な温度変化に身体が疲れたのかもな」


 俺はやれやれ、といった雰囲気で景一に返答しているが、内心は心臓がバクバクいっている。単なる風邪――というのを聞いてほっとしてはいるけれど、彼女が体調を崩すところなんて見たことが無かったから、今すぐに彼女の元へ行って状態を確認したい衝動に駆られていた。


 隣で話を聞いていた高田たちも、表情を歪めながら「修学旅行中に災難だなぁ」と小日向を憐れんでいる様子。そりゃ他の生徒はスキーや観光で楽しんでいるというのに、自分ひとりだけ部屋で療養していたらつまらないだろう。


 まぁこれも思い出の一つみたいなもんか。彼女が起きている間の話し相手ぐらいにはなってあげるとしよう。


 俺は自分でも驚くぐらいにあっさりとこの場に残る決断をして、「ホテルに残ることにする」と言おうとしたのだが、それよりも先に景一が口を開いた。


「智樹たちの分のおみやげは俺と野乃で見繕っておくから――何か追加で注文があったら遠慮なく連絡していいぜ。取り敢えず縁結びのお守りは必須なんだろ?」


「……おい、俺はまだ何も言っていないぞ。なんで俺が残る前提で話をしているんだ」


「え? だって智樹残るでしょ? 今だって小日向の様子を見に行きたくてうずうずしてるし」


 嘘だろ……そんなにバレバレなの俺?


 景一の名推理に顔を引きつらせていたが、どうやら気付いているのはこの付き合いの長い親友だけのようで、その場にいた他のメンバーは「そうなの?」と首を傾げている。


 まぁそんなこと、今はどうでもいい。

 とりあえず、ぱぱっと朝食を済ませてから小日向の様子を見に行くとしようか。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 朝食を終えてから、俺は景一たちと別れて病人用の隔離部屋へとやってきた。

 部屋をノックするとすぐに扉は開かれ、中から保健室の先生が顔を出した。いつもKCCの連中がお世話になっているであろう、三十歳ぐらいの女性養護教諭である。


 俺は高校で保健室を利用した経験がないため、こうしてまじまじと正面から彼女のことを見るのは初めてだが、なんとも咥えタバコが似合いそうな雰囲気だ。髪が長いのも「切るのが面倒だから」とでも言いそうな感じがあるな。それを言ったら怒られそうだから口にすることは一生ないけども。


「おー、来たか杉野。愛しの小日向がお待ちかねだぞ」


 彼女は俺の顔を認識するなりニヤニヤした表情になって、さらにクククと小さく笑った。


 どうやら俺と小日向の関係は認識しているらしい。俺たちの関係は学校内でわりと有名だろうし、不思議はないか。それにしてもこの人の口調、男っぽいな。


「寝癖ぐらいなおしたほうがいいんじゃないですか?」


 からかわれた腹いせに、そんな軽い仕返しをしてみると、彼女はガシガシと無造作に後頭部を掻いて面倒くさそうな顔つきになった。


「私はいいんだよ。髪の毛整えたところで寄ってくる男なんざいないし。どうせこの部屋と食堂とトイレぐらいしか行くとこないから――ま、私のセンチメンタルな愚痴はおいといて、さっさと顔を見せてやんな」


 そう言うと彼女は、入口の扉を大きく開いて俺を部屋に誘う。

 促されるままに部屋の中へ入ると、そこにはベッドが四つ。さすがにカーテンはないようだが、一つ一つのベッドが衝立によって仕切られていた。部屋の端にあるデスクの傍に置かれた大きなキャリーバッグは、おそらく先生のものだろう。


 さてさて……旅行中に熱を出して拗ねているであろう小日向を元気づけてあげるとしようか。


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