第171話 キスはいつも通り



 普段声を発することのない小日向が、小声ではあるが俺の耳元で喋った。

 俺の身体も唐突に起きたその出来事に驚愕を隠せていないようだ。心臓がきゅっと縮まるような感覚までしたし、鼓動の音が耳元で直接なっているかのようにうるさい。


 思わず漏れ出てしまったような声はこれまでにも聞いたことがあったけれど、彼女が自らの意思で俺に話しかけてきたのはこれが初めてのことだ。記念すべき第一回は告白の返事にとっておかなくてよかったのだろうかと思ったけれど、彼女的には『おはようのちゅー』をないがしろにしていることがかなりの重要案件だったということが窺える。


 母性本能をくすぐるどころか、覚醒させるようなかわいくて幼い、そして綺麗な声。

 ここで彼女のお願いを断ることができる人間など、七十億人の中にひとりいるかいないかぐらいだろう。


 俺の耳元で喋った小日向は、そのまま俺の耳に自分の耳をくっつけてすり寄ってきている。おもちゃを買ってもらおうと親に甘えている子供の行動のようだ。


「どうしても?」


「…………(コクコク)」


 もしかしたら冗談の一種かもしれないと思って聞いてみたけれど、全くその様子はなかった。小日向は「もちろん」といった様子で頷いている。


「……わかった。小日向の気合に免じて俺も腹をくくろう。おはようのキスは必ずやりとげる――だがな、やっぱり他の人に見られるのはダメだ。だからここからは、普通通りにかまくらを作っているように見せつつ、隙を見て、ヤるぞ」


 いつになく真面目な口調で話す俺の言葉を聞いて、小日向は大きく一度頷いたのち、ふすーと強めの息を吐いた。やる気は十分の様子。


「ここを基準に作ろうぜ」


 景一がそう言いながら、冴島と二人で運んだ雪を少し開けた場所にドサリと置いた。その間にも、時田さんはせっせと雪集めに尽力している。そしてちらちらと小日向の様子を気にしては、へにゃりとだらしなく顔をほころばせていた。


 俺は景一に「了解」と返事をしたのち、バケツの中身をその小さな山の上にぶちまける。


 ふむ……しかしどうしたものか。前方には景一たち――そして後方には学校の生徒が視認できる距離にいる。やつらの視線をかいくぐって『おはようのちゅー』を成し遂げるのは、なかなかハードなミッションと言わざるを得ない。


 そしていつどこで俺たちを見ているかわからない鳴海と黒崎の視線をかいくぐるのは至難の技だ。いつシャッターをきられていても不思議はないからな。


「小日向、これちょっと難しくないか?」


 バケツに雪を詰めながら、俺はそんな情けない言葉を口にする。

 しかしそんな俺を咎めることなく、彼女は手元でサッカーボールほどの小さな山をつくり、ペタペタと手で固めた。そしてその中をくりぬき、簡易版かまくらを作成。その空洞を人差し指で示しながら、俺の目を見て頷いた。


「なるほど……つまりかまくら内部でヤってしまえばバレないと――そう言いたいんだな?」


「…………(コクコク)」


 口の端をちょこんと上げて、親指をニョキッ。

 その仕草が非常に可愛かったので思わず頭を撫でると、彼女は目を細めて俺の手に頭をこすりつけてくる。今の小日向はちょっと犬っぽいな。


「じゃあ頑張ろうか。ま、でもただ雪を詰めるだけってのもつまらないし、時々景一たちにちょっかいをかけながらにしよう」


 そう言って顔を上げて前方へ目を向けてみると、学園祭で優秀な成績を収めた美男美女が近距離雪合戦を行っていた。お互いに軽く雪玉をぶつけ合い、「おいやめろって」だとか「つめたーい!」だとか、もう雪がピンク色に見えるぐらいにいちゃいちゃしていた。


 こいつら……次に俺たちのことをからかってきたら絶対にこの話を持ち出してやろう。

 そんな事を考えながら、俺は雪玉をギューギューと押し固めるのだった。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 時間は確認していなかったので定かではないが、おそらくかまくらが完成するまでにかかった時間は三時間を超えていたと思う。押し固めながら山を作るのも大変だったし、人が入れるようなサイズにまで成長させるのは苦労した。途中で雪合戦に発展してしまったのも、時間が掛かってしまった大きな要因ではあるが。


 ギリギリ大人二人、小さな子供三人ぐらいなら入れるかまくらが完成し、現在時田さんが内部に入って内側から安全性を確認中である。


「いまさらだけど、俺たち全然スキーしてないな」


「俺も思った、あとで滑ろうぜ」


 せっかくこうしてスキー場へと来たのに、俺たちはまだまともに滑っていない。かまくらづくりと雪合戦に熱中しすぎてしまった。まぁ楽しかったから、これはこれでいいと思うのだけど。


 かまくらから這い出してきた時田さんから「問題なし」とのお達しがでると、さっそく小日向がちょこちょことかまくら内部に突入。膝を抱えた姿勢でテコテコと歩いており、軽く押したら転がりそうな感じだ。


「はいはい、俺も行くよ」


 小日向が中からちょいちょいと手招きをしてきたので、俺は四つん這いになってかまくらの中へ。風がないからなのか、それとも小日向の体温のおかげか、かまくらの中は外よりも少しだけ気温が高いように感じた。


「おー、ちゃんとしたかまくらだ。すごいな」


「…………(コクコク)」


 小日向も俺と同じように、かまくらの内部を興味深そうに見渡している。口を縦に丸くあけており、実に楽しそうな表情だ。以前の小日向からは想像できないような、はっきりと感情が読み取れる顔である。


 よし、やるか。


 あまり躊躇ってもやりづらくなるだけだろうし、俺は入り口方向に誰もいないことを確認すると、素早く小日向のおでこに唇を付ける。一瞬キョトンとした表情になった小日向は、今しがた起こった現象を理解すると、ふすふすしながら上下に跳ねはじめた。


 しばらく身体をつかって興奮を表現した小日向は、俺の顔の前でピースサインを作る。まぁ小日向は、ピースしてるつもりはないんだろうけど。


「あと二回ですか……」


 薄々感づいていましたよ。いつも通り、三回要求されるということを。

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