第170話 ウィスパーボイス(ささやき声)



 午前中は女性陣を相手に雪合戦をしながら滑り、俺も景一も傾斜のきつくない場所ならば転ばない程度には成長した。それでも回避のために無理な体勢をとろうとすれば、呆気なくすっころぶのだけど。


 十二時を過ぎたところで、元の班構成でゲレンデに併設されている食堂で昼食をとる。鳴海も黒崎も上級者コースを滑ってきたり、他の班にお邪魔して遊んだりしていたらしい。その割には俺たちが雪合戦をしていたことを知っていたし、小日向の下手くそアピールのことを知っていたから、実はどこかで監視していたのではなかろうかと俺は思っている。


 まぁそれはいいとして。


 午後のスキーも冴島が参戦することになり、俺たちは普段学校で一緒にいるようなメンバーで行動することになった。それにプラスしてインストラクターの時田さんがいるけれど、彼女も俺たちとさほど年が離れていないし、なんだか指導者というよりも友達みたいな感覚で接してくるので、あまり気にならない。


「かまくらを作りたい!」


 昼食を終えてから、時田さん、小日向、それに俺と景一で固まって「何をしようか」と話していると、斜面を軽やかに滑って登場した冴島が元気よくそう言った。


 なるほど、かまくらかぁ。


 作るのは大変そうだけど、この人数で協力すればそれほど時間をかけなくてもある程度形にはなりそうだ。ご立派で大きなものを作るのは難しいかもしれないが、一人二人程度が入れるぐらいならばなんとかなりそうな気がする。


「かまくらか! あまり積もらない地元じゃできそうもないし、俺もやってみたいかも」


 どうやら景一も冴島の案に賛成な様子で、小日向も俺の隣でコクコクと頷いている。


「じゃあみんなでかまくらを作りましょうか! この場所につくると滑る人の邪魔になるかもしれないから、端っこに移動しましょう」


 鼻に詰め物をしている時田さんが、笑顔でそう言うと「あっちに行こう」と指をさしながら先導する。途中、すれ違った別の男性インストラクターが時田さんを見て目を丸くしていた。


「時田先輩、えっと、それ、どうしたんですか? どこかでぶつけたとか……?」


「名誉の負傷です」


「あぁ……子供たちを庇って、みたいな感じですか。無理しないでくださいね」


 男性インストラクターはどうやら出血原因を勘違いしているらしく、時田さんのことをキラキラした目で見ていた。真実を話したらいったいどんな反応をするんだろうか――とちょっと気になったけれど、『時田先輩』と呼ばれていたし、威厳が無くなってしまいそうでかわいそうなので、俺の心の中にしまっておくことにした。


 今日と明日――どこかでバレてしまいそうな気がしなくもないが。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 滑るのには適していないまばらに木々が生えているような場所――だけど、他のグループからさほど離れておらず、人目はある場所に俺たちはやってきた。


 俺たちを案内した時田さんは、近くの小屋から雪を集める用にバケツやそりを持ってきてくれた。本気で大きい物を作ろうとしたら塩や水があったらいいみたいなのだけど、俺たちもそこまで気合を入れているわけではないので、その申し出は断っておいた。


 やや残念そうにしている小日向を見た時田さんが「五秒で行ってきます」といって滑りだそうとしたが、冴島が行く手を遮って時田さんを説得していた。お遊びの一環なのだから、手でペタペタ固まる程度で十分だろ。


「山を作って、中を掘ればいいんだよな?」


 バケツの中に手で掬った雪を詰めながら、小日向に話しかける。彼女は俺と同じようにぽいぽいと雪をバケツに入れながらコクコクと頷いた。

 俺たち二人とは別に、景一、冴島、そして時田さんたちは三人がかりでそりに雪を乗せている。ひとりようのそりだけど、あれを山盛りにしたら運ぶのが大変そうだな。押し固めた状態ならば、結構な重量になりそうである。


 あれを運んでいるときは雪玉ぶつけ放題だな。準備しておくことにしよう。

 午前中は味方だったが、午後もそうとは限らないのだよ景一くん。ふはははっ! 不幸な事故で女性勢に当たらないように注意しておこう。


 心の中で悪役全開の笑い声をあげつつ、味方を増やすべく小日向にも雪玉作成を依頼しようと顔を右に向けると――目の前に小日向の顔があった。


「――うおっ」


 驚いてそんな声をあげると同時、小日向が俺の頬に口づけをする。ちゅ、と耳に残る音を残して顔を離す彼女は、俺と目が合うとニマニマした笑顔を浮かべた。そしてその表情を維持したまあ、自らのおでこを人差し指でトントンと叩く。


「なんだ? 次は俺にしろってか?」


「…………(コクコク)」


「だーめ。今俺たちの周りには人がいるだろ? 景一たちはほんの数メートル先だし、他の生徒たちからも見える距離だからな。小日向本人が気にしなくても、他の人から見たら、いちゃいちゃしてるカップル――じゃないけども、とりあえず気分が良くないかもしれないぞ?」


 小日向の額をぺチンと叩きながら言うと、彼女は唇を尖らせて首を横に振る。やだやだってか? 駄々っ子小日向も可愛いな。


 甘えん坊モードに入った小日向を見て苦笑していると、彼女は手の平を合わせて、それを自らの頬にあて首を傾ける。そんなおやすみのポーズをしたのち、太陽を指さしてから、手でバツを作ってブンブンと首を振った。


 いまはスマホを持ってきてないから、おそらくジェスチャーでなんとか説明しようとしているのだろう。残念ながらさっぱりわからんが。


「……つまりどういうこと?」


 十秒ほど顎に手をあてて頭を悩ませてみたものの、小日向が俺に伝えたいことがなんなのか理解できなかったので、率直に聞いてみることにした。


 すると彼女はふすーと呆れたように息を吐いたのち、僅かに頬を赤く染めた。それから俺の肩にゆっくりと顎を乗せて、耳元に顔を寄せてくる。


 そして――、


「…………おはようのちゅーがまだ」


 吐息混じりのウィスパーボイスで、そんな言葉を発したのだった。

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