第169話 雪合戦、開幕



 鼻血でゲレンデを赤く染めた時田さんは、鳴海黒崎ペアの介抱によって復活。

 平常通りの調子を取り戻したようなのだが、鼻にトイレットペーパーを詰めているので鼻声である。あのトイレットペーパーが凍ったら大変なことになりそうだなぁと思うが、そこまで低気温というわけでもないので、まぁ大丈夫だろう。

 個人的には凍って彼女が慌てているところが見たいに一票。


 ハの字ブレーキのレクチャーや、皆でなだらかな傾斜をゆっくりと滑ったり、一時間近くかけて基本的な動作を覚えたら、そこからは先は自由時間となった。


 経験者の鳴海と黒崎は時田さんから『問題なし』と太鼓判を押されており、中級でも上級でも好きなコースに言っていいと言われていた。


 初心者であるはずの小日向も、なぜか鳴海黒崎レベルの滑りを見せていたのだが、時田さんが「小日向さんも好きなコースに――」と言いかけたところで、横にコテンと倒れた。明らかにわざとらしいこけ方だったので、小日向は初心者のグループ――つまり俺や景一と一緒に行動したいということなのだろう。


「小日向はあっちに混ざっても良かったんだぞ? 滑らなくてよかったのか?」


 生まれたての子鹿のように足をプルプルさせている俺と景一の前で、スイスイと雪の上を滑っている小日向に言う。彼女は俺の質問に対してコクコクと頷いたのち、俺の目の前でコテンと倒れた。下手アピールが雑すぎるだろ。


 彼女は倒れたまま手をパタパタとさせて雪を叩いたのち、「起こして」とでもいうように俺へと手を伸ばしてきた。もし彼女がもっと小さかったら抱っこを要求しているようにも見えなくはない。


 彼女が『人生で初めてのスキー』よりも、『俺と過ごす時間』を優先してくれたことがわかってしまうので、あまり強くは言えない。嬉しくないわけがないからな。


 自分が転ばないように慎重に小日向へと手を伸ばし、ぐいっと身体を引きあげる。すると流れるような動作で彼女は俺に抱き着いてきた。はいはい、どうかんがえてもこれが目的ですね。


「感覚がまだよくわからねぇなぁ。アイススケートは遊びでやったことあるから何とかなるんじゃないかと思ってたけど、ちょっと違うよな」


 頭を擦りつけてくる小日向の背中をポンポンと叩いていると、景一がスキー板で雪を踏みしめながら苦々しい表情で言った。


 くくく――わりとなんでもそつなくこなす景一でも、さすがに初のスキーにはてこずっているようだ。もっと無様をさらしてイケメンのレッテルを剥がされてしまえ!


 と、自分が上手く滑れない腹いせに友人の不幸を願っていると、景一の元に颯爽と滑ってくるひとつの影。黄色のド派手なウェアに身を包んだ少女――冴島が現れた。


「招集に従い参上! 景一くんが拗ねてるって聞いて半信半疑だったんだけど、まさか本当だった感じ?」


 彼女はニコニコとしながらも、表情の奥底にイタズラっ子の雰囲気がにじみ出ている。


「……別に拗ねてないんだけど」


「でも鳴海さんと黒崎さんが『カップルとその他みたいになって拗ねてる』って言ってたよ」


「どっからどう見たら――いや、そう見えるのも仕方ないか」


 景一は「お前たちのせいだぞ」と言わんばかりのジト目を俺と小日向へと向ける。ちなみに小日向は現在進行形で俺の胸元でふすふすしているので、彼の視線には気付いていない。


 というか一番の戦犯は鳴海と黒崎ではなかろうか――と一瞬思ったが、彼女たちも景一カップルの為に動いたのだろうし、恨むのは間違っているか。景一もそれをわかっているらしく、鳴海たちに不満を持っている様子はない。


「冴島は班員と行動してなくてよかったのか?」


 景一の視線から逃れるように、俺は冴島へ顔を向けて話しかけた。

 それにしても、ひとりだけ抜け出してきて大丈夫だったのだろうか? 班の中で仲間外れとかにされているわけじゃないよな?


「心配ないよ~。うちの班はみんな経験者だったからさ、即自由行動になったんだ。男子三人はなんか勝負始めちゃったし、残り二人の女子は好きなペースで滑りたいって感じだったから」


「なるほど――というかお前はいつまでそうしてるつもりだ。親友が遊びに来たぞ」


「…………(コクコク)」


 小日向は俺の背に回していた手を解いてから距離を取ると、スイーっと慣れた様子で冴島の周囲を滑り始めた。これでつい先ほどまで未経験だったというのだから、先天的運動センスの違いを実感させられる。


「相変わらず明日香は何でもできるよねぇ。勉強以外」


「小日向は何でもできるよな。勉強以外」


 冴島と二人でうんうんと頷きながらそう呟くと、小日向は少し離れたところでピタリと停止して、ぷくっと頬を膨らませて不満を表明。


 そして彼女はその場にしゃがみこんでおにぎりを作るように雪を丸めると、ポイポイと俺たちに向かって投げ始めた。冴島は笑いながら華麗に避けていたが、俺は身動きが取れずバシバシとその身に雪玉を受ける。


「あっはっは! よし! 小日向もっとや――うぶふぉっ!?」


「景一くんは私が相手だぁ!」


 冴島の直球が景一の顔面に直撃。たまたまかもしれないけど、容赦ないな。


「男子対女子の対抗戦だね! 負けを認めたほうが負けで!」


「もう負けを認めたいぐらいなんですけど!?」


「情けないこと言わないの景一くん! 経験者は私だけなんだから、男の子の意地を見せないと!」


「小日向を経験者に数えないとか詐欺くせぇ!」


「だって本当のことだもーん!」


 などと――景一と冴島は楽しそうに夫婦漫才を披露している。冴島はずっと別行動だったから、一緒に遊べて楽しいのだろう。まぁ小日向も冴島が来たことで少しテンションが上がっているようだし、この宣戦布告にはのっかるべきだろうな。


「よし――景一。女子共にやり返すぞ」


「おう! つっても、智樹はすでに雪まみれだけど……」


 だって小日向がずっと俺に向かってポイポイ雪玉を投げてくるんだもん。しかたないじゃないか。

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