第156話 糖分過多




 結局、キスマークだらけになってしまったために、俺は小日向とともに休日を家で過ごすことになったわけだけども、半数の小日向印は時間が経つに連れて薄れて消えていった。


 翌日まで持ち越すことになった小日向の吸い跡は三つ――首の前後に一つずつと、鎖骨の下に一つだ。


 鎖骨の下部分に関しては、位置こそ恥ずかしいものの、服を着ていたらまず他人に見られることのない位置だから安心できる。そして首の後ろ側の跡に関しても、ギリギリ制服のカッターシャツで隠れると思う。


 だが、首の前側――喉ぼとけの少し右側に付けられた小日向の独占欲の象徴は、服では隠すことができそうにない。マフラーを付けることも考えたけれど、そんな冬仕様のものをつけるほど気温は下がっていないし、授業中に付けることもできない。


 俺にできることと言えば、せいぜい顎を引いて生活するぐらいなものだ。



 そしてやってきてしまった月曜日。


「穴があったら入りてぇ……」


 俺はなんとか景一以外のクラスメイトに勘付かれることなく登校に成功したのだけど、冴島とともに学校へやってきた小日向の腕には、特に何も対策がされていなかった。


 ぶんぶんと元気よく腕を振りながら教室に入ってきた小日向は、いつも通りたくさんのクラスメイトたちから挨拶をされている。そこまではよかったのだけど、小日向はその場で立ち止まり、周囲の級友たちに対してコクコクと頷きながら自らの肩をもんだり、髪を梳いたりしていた。


 当然、そんな仕草をすればキスマークの付いた腕が周囲に晒されてしまうわけで、小日向の周りにいるクラスメイトたちは案の定チラチラとこちらを見はじめてしまった。


「新たな小日向の一面が見られて智樹も満足?」


「それどころじゃないです……」


 力のこもっていない俺の台詞に対し、景一はニヤニヤと俺のことを見てくるだけだ。


 他人事だと思いやがって……よし。今度冴島に依頼して景一にもキスマークを付けてもらおう。そうしよう。


 ひとしきりキスマークアピールを終えた小日向が、テッコテッコと機嫌よくこちらに歩いてくる。お前は楽しそうでいいですねぇ。


「おはよう小日向」


 言葉を発さずにジト目を小日向に向けていると、景一が挨拶をする。

 コクコクと頷いた小日向は、もはや自然にバレるように仕向けるでもなく、ずいっと二本の両腕を景一の前に突き出して、『見て見て、智樹が付けた』とでも言うかのようにふすふすし始めた。


「小日向……隠せとは言わないから、せめてアピールは止めてくれ……羞恥心が限界を超えそうだ」


 おそらく真っ赤に染まっているであろう顔を両手で隠し、俺は懇願するように呟く。


「ははは……相変わらず智樹は小日向に弱いな」


「笑っていられるのも今のうちだぞ景一。お前も絶対道連れにしてやるからな」


「え……? もしかして智樹、俺にキスマーク付けるつもり?」


 俺から少し距離をとりつつ、景一がそんなことを言う。


「なんでそうなるんだよ! 冴島に付けさせるんだよ! どうしたらそんな発想が頭に浮かんでくるんだアホ!」


 俺の全力のツッコみに、景一はヘラヘラと笑う。どうやら冗談だったらしい。

 まぁ俺のほうは冗談じゃないけどな。冴島の頑張りに期待しよう。


 やれやれとため息を吐いていると、未だに自分の席に座ろうとしない小日向が、スマホを俺の前に持ってくる。画面を見てみると、そこには『怒ってる?』という疑問文が記されていた。


 視線を上げてみると、眉尻を下げてしょんぼりした様子の小日向の顔が目に入る。


「……いや、恥ずかしいけど、そんなに怒ってはないから。気落ちしないでくれ」


『そんなにってことは、少し怒ってる?』


「あー……いや、全然怒ってない。まったくもって欠片も怒ってないから、そんなに泣きそうな顔するな」


『本当に? 嫌いになってない?』


「なってないなってない」


 大丈夫だよという気持ちを込めて、しょんぼりしている小日向の頭を撫でていると、彼女は椅子に座る俺の太ももにまたがってくる。そのまま頭をぐりぐりと俺の胸にこすりつけてきた。どうやら甘えているらしい。


「そんなに皆に見てもらいたかったのか?」


 苦笑しながら問いかけると、小日向は俺の胸に顔をうずめたままコクリと頷く。


「自慢したかったとか?」


「…………(コクコク)」


 俺のキスマークが自慢になるとは思わないのだけど……あたらしく手に入れたオモチャを友達に見せびらかしたい子供の考えみたいなものだろうか。


 まぁその気持ちはわからんでもないし、小日向も景一以外のクラスメイトに対しては無理やり見せるようなことはしていなかったから、セーフと言えばセーフなのか。


「甘いなぁ。いろいろと甘い」


 無意識にこぼれ出たであろう景一の呟き。

 視界の端で、クラスメイトが一斉に頷いたような気がした。

 


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