第150話 いちゃいちゃは止まらない



 現在、俺の目の前にはお玉片手に『あ・す・か?』というフリップを掲げたリアル熊さんがいる。その部分だけ切り取れば何がなんだかわからない状態なのだけれども、彼女がエプロンを着けて新妻モードになっている他、『お風呂にする? ごはんにする?』という前置きがあったために俺は冷静ではいられない。


「…………」


 一瞬呆然としてしまったが、とりあえずこの可愛い小日向をご近所様に見られたくはないので、後ろ手にそっと扉を閉める。


 ふすふすとお面越しに鼻息を鳴らしている小日向に近づいた俺は、スカートをめくるかのごとくお面をぺラリとめくった。


「ひとりだけ顔を隠すのはずるいぞ」


 お面の中にあった小日向は予想通り赤面しており、俺から目を逸らしてぷすーぷすーと口笛もどきを吹く。俺だって顔が熱いというのに、ひとりだけ助かろうとしても許さんぞ。


「あのですね小日向さん。あんた自分で『例のヤツ』はクリスマスに――って言ったんでしょうが。俺にフライングさせたいのか?」


 肩を竦めながらそう言うと、彼女はふるふると首を左右に振る。

 ちなみに『例のヤツ』というのは告白――つまり正式にカップルになるということ。


『お嫁さんごっこしたかった』


「いやそれは別にいいんだけどさ、もし俺がそこで――こ、これを選んだらどうするんだよ」


 そう言いながら、俺は小日向が掲げている『あ・す・か?』と書かれたノートをペシペシと叩く。顔が熱い。


『ちゅーしてあげる』


「まるで俺がキスで喜ぶと確信しているような言い方だな」


『智樹、喜ばない?』


 ……その質問は止めてほしいなぁ。喜ばないはずがないだろうに。

 嬉しくないと言えば間違いなく小日向は傷つくことになってしまうし、もし俺が「嬉しい」とはっきり口にしてしまえば、小日向の暴走が加速してしまう恐れがある。


「……嬉しいけど、自分を抑えられなくなりそうだから怖いんだよ。俺は小日向のことを大切にしたいんだから」


 恥ずかしいことを言っている自覚はあるので、俺は小日向から視線を逸らしながらそう答えた。無意識にかゆくもない頭をポリポリと掻いてしまう。


 そしてそんなむずがゆいようなセリフを聞いた小日向はというと、


「…………喜んでる、のか?」


 玄関からリビングに繋がる二メートルぐらいしかない短い廊下。


 小日向はその短い区間を、お玉とノートを持ったままテテテテと行ったり来たり。飼い主が帰宅してはしゃいでいる犬のような動きだな。小日向は走り方もちょこちょこしているからか、聞こえてくる音は『ドタバタ』というより、『トテトテ』といった感じ。


 五往復ぐらい廊下を走り回った小日向は、その勢いを保ったまま俺の胸に頭突き。助走が加わっているためいつもより重い衝撃が俺に腹に伝わってくる。


「――うぐっ」


 圧迫された肺から息が漏れた。小日向は頭に装着していたお面が外れても、無我夢中と言った様子で俺の胸に頭をこすりつけてくる。


 あわただしく右往左往するつむじを見ると――怒る気になれるわけもなく。


「はいはい、好きなだけ頭突けばいいさ」


 そう言いながら、俺は頭を撫でるのだった。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 俺がリビングに向かって歩きはじめると、小日向は俺の背後に回って後ろから抱き着いてくる。引きずるような感じになりながら、俺たちはよたよたと憩いの場へと戻ってきた。


『今夜は帰りたくない』


 リビングに戻ったところでふすふす言いながら自信満々にノートを掲げる小日向。

 このアホ天使、これも用意してやがったな。


「それは明日だろ。二日連続はダメです」


 軽い手刀を小日向の頭に落としながら言うと、彼女は頭を両手で抑えて唇を尖らせる。


 そりゃ俺だってできることなら小日向に泊まってほしいさ。だけど、こうやってだらだらと誘惑に負けてしまうと、歯止めが効かなくなってしまう。


 小日向は十中八九、こういった自制心を持ち合わせていないので、相方である俺がストッパーになってあげないといけない。


 小日向は痛くないであろう頭を擦ったのち、制服の胸ポケットから取り出した油性ペンでノートにカキカキ。


『明日はお泊まり』


「そうだな。俺は土日両方ともバイトだから、夜から朝の間だけしかゆっくりはできないけど」


 俺の言葉を受けて、ふんふんと頷いた小日向は、再度ノートにカキカキ。


『ゆっくりしよ』


「そうだな。小日向も勉強頑張ったし」


『いちゃいちゃする』


「そ、それはどうかなぁ……何度も言うが、俺たちまだカップルじゃないからな?」


『ぎゅってするのは?』


「それはいつでもどこでもしてるだろ」


『おでこにちゅーは?』


「それも泊まりの日は毎朝毎晩三回してるだろ」


 んん? というか、これをイチャイチャと言わずして何と言うのだろうか?

 ……うん、あまり気にしないようにしよう。



 俺の返答に満足そうにふすーと息を吐いた小日向は、家に帰るまでの残りの時間、ずっと俺の足の間に挟まって左右に揺れるのだった。




~~作者あとがき~~


いちおうここで第四章完、と致します。

次章は修学旅行編の予定です~

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