第148話 もひもひ
三連休が明け、再び学校が始まった。
今週は通常授業と異なり、試験前一週間なのでそれらの対策に充てられた授業がほとんどだ。先生たちも生徒たちに良い成績をとってもらいたいのか、ありがたいことに試験対策のプリントなどを配布して、それの解説をしたりしてくれている。
わざわざ家で試験勉強をしなくとも、これらの授業だけで八十点ぐらいは取れるんじゃなかろうか。
「現代文は漢字ぐらいしか覚えるところないからなぁ……文章の読解は慣れみたいなもんだし」
三限目の現代文の授業中。俺は小日向と一緒にプリントを解きながら、こめかみに人差し指を当てていた。
現代文を担当する真中先生はなかなかにいかつい顔つきをしており、服装や出没する場所によっては『ヤ』のつく職業に見えなくもない容姿をしている。これでギャップがあって実はとても穏やか――なんてことがあれば面白いのだけど、生徒指導も担当しているので基本的に厳しい先生だ。
真中先生は試験対策のプリントを配ってから、「わからないことがあれば周囲と相談もしていいぞ、ただし、隣のクラスの迷惑にならないように。私に聞きたい所があれば遠慮なく聞きなさい」との言葉を残したあと、サボりがいないか監視するように、教室内を徘徊し始めた。
『もひもひ』
小日向は教卓にがっつりと背を向けて、俺のプリントに謎の言語を記入している。なんだよもひもひって。
「それは何の暗号だ?」
『特に意味はない』
「さいですか……」
その後、自分のプリントに相合傘を書き始めてしまった小日向を眺めていると、後ろから肩を叩かれる。振り返ると、景一が「どこまで終わった?」と問いかけてきた。
「いま半分ぐらい。そっちは?」
「俺は八割がた終わったぜ。智樹が俺を相手にしてくれないから黙々と解いてた」
「声掛けられたらちゃんと対応してたって……」
そういう発言が一部の人たちにいらぬ誤解を与えてしまうんだからな? 本当に気を付けろよ? ただでさえ冴島と付き合っているのに、浮気相手が俺なんて噂が立てばお前モデルの仕事なくなるぞ?
智樹が構ってくれないなー、などとヘラヘラしながら言っている景一にため息を吐いていると、再び肩を叩かれる。今度は小日向だ。
『浮気、よくない』
「それは景一に向かって言っているんだよな? 俺に対してじゃないよな?」
顔を引きつらせながらそんなことを聞いてみるが、小日向はツンと俺から顔を逸らせて斜め上を向く。それからチラッと目だけ動かして俺を見たあと、いそいそと席から立ち上がり、椅子を持って移動――俺の椅子にドッキングして、あっという間に二人席の出来上がりだ。
「いやいや! ふすー、じゃなくて、それはさすがにダメだろ!?」
小声ながらも必死さを込めて言うが、小日向は俺の言葉を無視して自らのプリントに集中するフリをする。休み時間と勘違いしていないだろうかこの子は。私語を禁止していないとはいえ、一応授業中なんですけどね!
真中先生に怒られやしないだろうか――そう思って辺りを見渡すと、先生は俺たちがいる場所のちょうど対角線上、教室の前方の入り口付近で、スマホを耳に当てているのが目に入った。どうやら電話しているらしく、俺たちのやりとりには気付いていない模様。
ほっと息を吐いてから、俺は先生にバレていないうちに小日向の説得を試みることに。
「あのな小日向、たしかに並んでやったほうがお互いのプリントを見やすいかもしれないけど、ほら、肩が当たっちゃうぐらい狭いだろ?」
「…………(コクリ)」
「それにな、周りクラスメイト見てみろ。ちらちらとこっちを見ているし、中にはティッシュを鼻に詰め始めた奴らまでいる。周りの勉強の邪魔をしたらダメだってことはわかるだろ?」
「………………」
「机に『の』の字書いてもダメです。俺の家でなら好きなだけ隣にいていいから、学校では――というか、せめて授業中は我慢しような?」
その後も俺は真中先生のことを気にしながら、小日向の説得を試みる。最終的には下唇を突き出して不満をあらわにする小日向さんが完成してしまったが、なんとか彼女も納得してくれたみたいだ。
ほっと胸をなでおろして、しぶしぶ立ち上がろうとする小日向の背中をポンポンと叩いていると――、
「席に座りなさい小日向。授業中だぞ」
いつの間にか電話を終えていた真中先生が、いかつい顔を携えてこちらへと歩を進めてきていた。無表情でジッと真中先生を見る小日向の代わりに、俺が「すみません」と謝る。
あーあー、やっぱり怒られてしまった。俺はテストで点数をとれるから別にいいけど、小日向の平常点が落とされないことを祈るばかりだ。
そんなことを思っていると、小日向は俺の隣から椅子を移動させることもなく、そのままストンと腰を下ろした。なにしてんねん。
「いやいやそこじゃダメだって! 椅子も移動させて、自分の席に戻りなさい! たしかに先生は「席に座りなさい」って言ったけどさ、そういうことじゃないだろ!?」
「杉野、静かにしなさい」
思わず小日向にツッコみを入れると、真中先生からギロリと視線を向けられる。ちびりそうだ。
「す、すみません――えぇ、俺が怒られるの?」
「コホン――では、二人とも授業が終わるまでその席から動かないように」
「は、はぁ……」
いやおかしくね? 明らかにおかしくね?
普通声が大きいとか以前に、授業中に肩をくっつけて席に座っているほうを優先して注意するよね? なんでそっちに関しては無視してるのこの先生? というか、むしろ戻らせないようにしてないか?
この先生もしかして、例の会員のメンバーだったり……?
ちなみに小日向はというと、この席が公認になって嬉しいのか俺の肩に頭をこすりつけている。可愛い。
「あのー……真中先生、ちなみにKCCって団体を知って「杉野」――なんでしょうか?」
俺が疑問を口にするよりも先に、真中先生に言葉を被せられてしまう。先生は俺の名を呼んだあと、目を閉じて、額に人差し指と中指を当てた。それからゆっくりと息を吐く。
「世の中には、知るべきでないこともあるのだぞ」
そう言いながら真中先生は、スーツの胸ポケットから慣れた手つきでティッシュを取りだしたのだった。
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