第126話 お互いの独占欲



 いったい俺の手の平が小日向のどの部分をなぞったのか――視界が閉ざされているために、わからない。うん、わからないってことにしておいた方が平和だと思うんだ。


 俺は無言で小日向の肩を掴み、ぐいっと向きを反転させる。そして口を開かぬまま、ごしごしと彼女の背中を擦った。


 お互いが喋らないから、静かな風呂場にはボディタオルが擦れる音と、水の滴り落ちる音しか聞こえてこない。俺は彼女の背中を傷つけないよう、丁寧に擦ることだけに集中して、他のこと一切を考えないようにしていた。


 まぁ、やっぱり多少は彼女の裸を想像してしまったりもしたのだけど。


 身体を洗い終えたあとは、小日向の小さな頭をガシガシと洗い、水で泡を洗い流すところまで無事に終了。まぁあくまで視界が閉ざされた状態の俺視点から見ると――という話なのだけど。


 水で洗い流している途中に『ふにょん』と小日向のどこかに手の甲が触れたけど、部位によっては事件だったかもしれない。二の腕とかだと思いたい。


「…………えっと、このまま湯船に浸かる感じですか?」


「…………(ふすふす!)」


 俺の問いに対し、小日向は元気のよい鼻息で応じる。


 背中を流してもらうところまでは良かったのだけど、彼女の身体を洗ったとなると、彼女だけをここから追い出すのも忍びない。かといって、俺がこのまま風呂からあがろうとすれば、きっと小日向は『自分のせいだ』と罪悪感を覚えてしまうだろう。


 というわけで、二人で湯船に突入。

 それと同時に、俺の目隠しも外された。


「いやいやちょっと待て! 君はもうちょっと恥じらいを持ちなさい!」


 慌てて俺は視線を天井に向けて、さらに目を閉じる。


 バスタオルは現在俺の下半身を隠すために使用されており、ハンカチは身体を隠すほどの面積はない。つまり、俺の目の前に堂々と居座っているクラスの女の子は、防御力ゼロの状態でふすふすしているのだ。強すぎる。


 俺が攻撃してこないとわかっているからなのかもしれないけど、俺だって男なんだぞ? いろいろと保健体育で勉強していないのかい君は?


 小日向に動く気配がないので、俺は女の子としてあまり見せびらかすべきではない部分が視界に入らないよう、徐々に視線を下ろしていく。


 小日向の頭が視界に入ってきて、次にこちらをジッと見ている小日向の目が見える。鼻、口、首、そして鎖骨、そしてほんのわずかな膨らみ――このまま視界を下にずらしたい願望を理性で抑えつけて、俺はぐっと視点を固定した。


「まったく……楽しそうにしやがって」


 俺は小日向の眼だけに視線を向けるようにしてから、小日向の頭をペチリと叩く。すると彼女は、俺の予想通りにふへへと笑った。


「こういうことして、もし俺が襲ってきたらどうするんだ? 小日向は声を出さないから、誰も助けに来てくれないぞ? 男の俺に力で勝てないだろうし」


 軽くため息を吐きながら言うと、彼女はコテンと首を横に倒す。「別にいいけど?」といったところか。


 お互いに好きなのだから問題ないのかもしれないけど……俺たちはまだお互いに責任能力のない高校生である。突っ走ってはいけないのだ。


「あのなぁ小日向。俺だけじゃなくて、お前も注意しておかなきゃいけないんだぞ? これから長い間一緒にいるつもりなら、お互いの両親に反対されたくはないだろ?」


 小日向はコクコクと頷く。どうやらそれはわかってくれているらしい。


「だから……こうして俺を誘惑するのはほどほどにな? 俺も、正直いつまで耐えられるかわからん」


 正直言って、いつこの理性が崩壊してもおかしくない状況である。なんとか自分を保っていられるのは、おそらく父親の教育の賜物だろう。


 小学校の頃女子とよく対立していたときに、「相手を傷つけてはいけないよ」とよく言われていたからなあ。最近は言われていないが、記憶にはよく残っている。


 まぁ今回の場合、小日向は傷つくどころか喜びそうだから困るのだけど。


 俺の言葉を聞いた小日向は、唇に人差し指を当てて、何かを考えるように斜め上を向いたかと思うと、顔を赤くした状態でザバッと湯船から立ち上がり(色々見えた)、身を乗り出して洗い場にある鏡に何かを書き始めた。


 俺は「いぃっ!?」という謎の声を発したのち、慌てて彼女の身体にバスタオルをかける。


 そして今しがた網膜に映った光景を塗り替えるべく、小日向が鏡に記した文字に目を向けてみた。そこには『もっと夢中になってほしい』という言葉が書かれている。


「そう思ってくれるのは嬉しいけど……もうすでに夢中だぞ?」


『もっと好きになってほしい』


「……返答したいところだけど、クリスマスまではお預けだろ、それ」


 俺がぽつりと呟くと、小日向は口と目をまん丸に開けてポンと手を叩く。また暴走していたのだろうか。


 小日向は納得したような表情を浮かべてから、湯船に身を沈めた。なお、バスタオルとハンカチはポイッと湯船の縁に追いやられております。


 それから彼女は何を思ったのか、俺の背を向けるように座り、そのまま背中を俺の胸にピタリと付けてくる。


 楽しそうに水をパシャパシャと跳ねさせている小日向に対し、俺は特定の部位が彼女に接触しないように必死に空間を確保。事なきを得ていると信じたいところだ。


「まったく……ガードを緩くするのは俺だけにしてくれよ……」


 ふつふつと湧き上がってきた独占欲が、俺にそんな言葉を口走らせる、


 小日向は俺を見上げるように首を動かして、コクコクと頷いた。

 付き合っていない今でさえこれなのだ。いったいクリスマス以降の小日向は、どうなってしまうことやら。


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