第125話 背中?の流しあい



 もし自分の大好きな子が、お風呂で背中を流したいと言ってきたら、はたして他の男子高校生諸君はどういった反応を示すのだろうか。


 冷静に「そういうのは大人になってからな」と追い返せるだけの精神力を持っている人は、なかなかいないんじゃないかと思う。相手が水着姿ならまだしも、目隠し&バスタオルスタイルの女子を見て我慢できる猛者はそういないはず。


 しかも――しかもだ!


 俺と小日向の関係は、完全なる『友達以上恋人未満』状態。将来付き合うことがほぼ確定しているような仲であることに加え、相手の家族公認である状態なのだ。


 これで自制できる男子がいるだろうか? いや、いない。


「…………背中だけな?」


 俺はそう言ってから、小日向の手にボディタオルを握らせる。小日向は手に渡されたタオルを両手で広げてから、綺麗に折りたたんで擦りやすいサイズにした。とても楽しそう頬を上昇させている。いちおう、顔は赤いようだから照れる気持ちはあるのだろう。


 俺はその光景を引きつった顔で眺めていたのだが……いやもうほんと、目のやり場に困りますよ。


 現在小日向は目隠しをしているため、例え俺が彼女の胸や太もも、その他あまり注視してはいけない場所をジッと観察したとしても、誰にも気づかれない状態なのだ。


 店員不在――そして防犯カメラもない宝石店に一人で訪れた気分である。一般的には盗難はいけないことのはずなのに、俺がやってきた宝石店には『ご自由にどうぞ』の張り紙がいたるところに貼ってあるのだ。試練以外のなにものでもない。


「俺は他のところを洗ってるから」


 小日向に背を向けた状態でそう言ってから、俺は素手で身体を洗い始める。

 すると小日向も俺の背にタオルを押し当てて、上下にごしごしと動かし始めた。


 途中で小日向はピタリとその動きを止めて、肩をトントンと叩いてくる。そして背中を優しくこすり、次に強くこする。


「……力加減ですか? ちょうどいい感じです」


 なんとなく敬語で返答すると、小日向は俺の耳元でふすふす。背中流しを続行した。


 別に頑張っている彼女に気を遣ったわけではなく、本当にほどよい力加減なのだ。

おそらく、彼女の小さな身体ではそこそこの体力を使ってしまっているだろう。腕だけではなく、身体全体を上下に動かして力を込めているような感じだ。


 小日向が背中を洗ってくれている間に、俺は素早くその他の全部位を洗う。「流すからちょっと下がってな」と前を向いたまま声を掛け、風呂桶を使って体についた泡を洗い流した。


 その水の流れに乗って、バスタオルが俺の足元に流れてきた。


「………………う」


 気持ち的には「嘘だろ」と言いたかったのだけど、言葉にすることができたのはわずか一文字だけ。頬がひくひくと痙攣をはじめる。


 このバスタオルは、いったいどの段階で小日向の身体から分離したものなのだろう。


 擦っている間に少しずつ彼女の身体からずれ落ちて、最後の水が決定打となってしまったのか――もしくは、全裸の状態で俺の背中を流していたのか……き、気にするのは止めよう。とりあえずは現状をどうにかせなば。


「お、おい小日向! お前いま何も付けてないだろ!? 俺はこっち向いたままにしておくから、すぐにバスタオルを――ってそれもマズいか!?」


 幸い、風呂場にある鏡では角度的に小日向の姿を確認することはできない。本当に『幸い』なのかどうかは俺のみぞ知るということでどうぞよろしく。


 まぁそれはいいとして、問題はバスタオルが水浸しになってしまっているということ。こんなびちゃびちゃなタオルを身体に巻き付けても、もはや肌色を隠すだけで凹凸は細部にわたり全てわかってしまうはずだ。ほんの少しだけ想像してしまい、鼻の奥がツンと熱くなる。


 これはもう、小日向に風呂場から出てもらうしかないか――そんなことを思っていると、


「…………へ? あぁ、そういうことか……」


 ハンカチを持った小日向の手が、俺の顔の前ににょきっと伸びてきた。そしてそのハンカチは俺の目を覆い、頭の後ろで軽く結ばれる。


 たしかにこうすればバスタオルがなくとも俺に身体を見られる心配はないだろうけどさぁ……結びかたが緩いんだよ……まるでずれ落ちることを考慮しているかのような緩さだよ。


 そんなことを考えながらも意外と俺の頭も冷静で、目隠しされると分かった瞬間に地面に落ちていたバスタオルを拾い上げ、すぐさま自分の下腹部を覆い隠した。そして、きちんと目隠しのハンカチもきつく結びなおす。


 俺が目隠しを完了したところで、小日向は俺の手にボディタオルらしきものを握らせると、バスチェアをコツコツと叩いた。おそらく、その場所を変われと言っているのだろう。


 そしておそらく、この天使様は背中を流せと言っているのだ。


「……ま、まぁ俺もやってもらったし……やれと言われたらやりますけど……」


 俺は言い訳のようなことを口にしつつ、バスタオルの向きなどを確認したのち、立ち上がりながら素早く腰に巻き付ける。たぶん、小日向の眼に教育上よろしくない物は映っていないはずだ。


 壁に手をつきながら狭いスペースを移動して、小日向と場所を入れ替わる。バスチェアが床を擦る音が聞こえてきたので、おそらく小日向はもう座っているはずだ。


「向きと場所、合ってるか? このまましゃがんで大丈夫?」


 視界が真っ暗なので、自分がきちんと正しい方向を向いているのかわからない。壁の位置から考えて正しいと思うのだけど……いまいち自信が持てない。


 俺の問いかけに対し、小日向は両手を俺の肩に乗せ、ぐいっと下方向に力を籠める。このまま座っていいってことか。


 というかいま、小日向って全裸状態なんだよな……両手が俺の肩に乗っているってことは、もはや何も隠していない状態というわけで――は、早くしゃがまないと色々まずいです。


 やがて、小日向が椅子に座る音が聞こえてきたので「準備ができたら手を二回叩いてくれ」と言うと、ぺちぺちという音が聞こえてくる。俺の手を叩いてくれと言ったつもりだったんだけど、どうやら自分の手を叩いたようだ。可愛い。


「じゃあ痛かったら言ってくれよ」


 俺はボディタオルを左手に持ち、まず彼女の位置を確認すべく右手を宙に彷徨わせる。そしてなんとか無事に彼女の肩を掴むことに成功。ボディタオルをもった左手も逆サイドの肩に置き、自分が擦るべき範囲を頭の中で思い描く。


 よし、シミュレーションは完璧――では無心になろうか。何も深い事を考えてはいけない。考えたら色々と大変な出来事が起きてしまう。


「これは景一の背中、優の背中、薫の背中」と自己暗示をかけてみた。焼け石に水な気もするけど、ないよりはマシだ。たぶん。


 それから俺は何度かゆっくりと深呼吸をしたのち、膝立ちの姿勢になった。そして彼女の背中を上から下に向かって、一息にボディタオルで擦り下ろして――、


「――――チョットマテ」


 停止。思わず棒読みの言葉を口にしてしまう。


 今しがた俺の手の触覚にもたらされた情報を思い返してみると、平らなはずの背中を擦ったはずなのに、なぜか俺の辿った軌跡は波打っていたのだ。なぜか柔らかい膨らみを経由した気がするのだ。しかも下までたどり着いたとき、太ももらしきものがあった気がするのだ。


「小日向さん……? 君さ、ちゃんと俺に背中向けてるんだよね……?」


 何かの間違いであってほしい――そう願いながら聞いてみると、彼女は俺の空いた手をとって引っ張ってくる。たどり着いた先は、小日向の顔だった。


 鼻があり、口がある。俺の顔と、向かい合うような位置にそれらはあった。


 つまり、つまり今俺が擦った部分は――。



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