第115話 小日向さんは警戒しているようだ
九月十二日、月曜日。
俺はいつもより十五分ほど早く学校に登校し、窓から朝練に励む生徒たちをぼんやりと眺めていた。
教室の中にはまだ両手の指で数えられるぐらいしか人はおらず、数人で固まって話す者、机に突っ伏して寝ている者、黙々と読書に励む者などがいる。
二日前の土曜日――俺と小日向はお互いが好きということを把握することになった。
日曜日も午前中は一緒に過ごしたから、まだ時間的には二十四時間も離れていないのだけど、俺はいっこくも早く彼女に会いたくて、いてもたってもいられず登校してしまったのだ。
俺ひとりが早くきたところで、彼女が来てなけりゃ意味はないのだけど。
昨晩も彼女にチャットしようと思ったけど、何を話せばいいのかとか、寝ようとしていたら悪いな――など色々と考えてしまい、結局何もできなかった。
我ながら実に恋愛初心者といった感じで、初々しいな。
そんなことを考えていると、
「おー、小日向ちゃん早いね! おはよっ!」
「おはよう小日向」
そんなクラスメイトたちの明るい声が聞こえてきた。
慌てて顔を左から右へ――グラウンドから教室の入り口へと視線を動かすと、そこにはクラスメイトに向かってコクコクと頷いている小日向の姿があった。
えぇ? 小日向、今日やたらと来るのが早くないか?
俺より後に登校してくるという点でいえばいつも通りなのだけど、もし俺が普段と同じ時間に来ていたとしたら、俺よりも彼女が来るほうが早かったんじゃないか?
呆然としている俺に対し、テコテコとこちらに向かって歩いてくる小日向は、なぜか不満そうな表情を浮かべている。怒っているというよりは拗ねているって感じだけど。
「おはよ、小日向。今日は随分と早いな」
「…………(コクコク)」
拗ねた表情を崩さないまま頷いた小日向は、机の横にバッグを掛けると自分の席――つまり俺の前の席に腰を下ろして、すいっとこちらに身体を向ける。俺の頬を指でツンツンと突いてから、スマホをポチポチ。
『智樹より先に来るつもりだったのに』
小日向はそんな文章が書かれた画面を俺に見せると、ふすーと息を吐く。やれやれって感じの鼻息だ。
せっかく早く登校したけれど、すでに俺が来てしまっていたから拗ねているのか。
「そりゃ残念だったな――というかさっきの頬ツンはどういう意味?」
『触りたかっただけ』
「な、なるほど」
なんだか小日向が俺に恋愛的な好意を抱いていると知った状態だと、余計に照れるな。好きな人に触れたいと思う心情は、よくわかる。俺だって周囲に誰もいなかったら小日向の頬をムニムニしていただろうし。
『嫌だった?』
小日向は少し申し訳なさそうにしながら、俺の机に視線を落とした状態でスマホを提示。ほんのり唇を尖らせているのが非常に可愛い。
「……嫌じゃないよ。クラスのやつらも見慣れただろうしな」
そんな可愛い顔で質問されて、『嫌だ』なんて言えるはずがないだろうに。
もし彼女の行動を不快に思うやつらがいるのならば、少し自制してもらう必要があるけど、クラスの九割は祖父や祖母が孫に向けるような視線で小日向を見ている。
残りの一割はリア充爆発しろって感じの視線だけど、否定的な雰囲気ではないと思う。希望的観測でないことを願うばかりだ。
俺と小日向の関係を周囲に反対されるようになりたくはないので、これからも視線には気を配っておこう――そんなことを考えていたのだけど、当事者である小日向は、
『じゃあちゅーは?』
そんなことを言いだした。
「アホか」
思わず小日向の頭に軽く手刀を振り下ろすと、小日向は楽しそうにえへえへと笑う。
それから彼女は弾むように椅子に座ったまま身体を上下に動かして、全身で気持ちを表現。彼女なりのジョークだったんだろう――たぶん。
あまりの可愛さに自分を制御できず、小日向の頬を両手でムニムニと弄んでいると、教室にまた一人生徒がやってきた。
「朝からやってるねぇお二人さん――あ、おはよー! おはよー!」
我が2年C組にやってきたのは、冴島。
冴島と小日向はいつも一緒に登校しているし、もしかしたら小日向の巻き添えをくらったのかもしれない。彼女は付近の人に挨拶しながら、机の間をぬってこちらへとやってくる。
「おはよー杉野くん!」
「あぁ、おはよう冴島」
「すごく何気ない顔で挨拶してるけど……杉野くん明日香のほっぺたから手を離さないんだね……」
「あと五秒だけ」
『あと五分ぐらい』
「なぜお前が延長しようとしてるんだよ」
そんな俺たちとやりとりを見て、呆れた様子でため息を吐いた冴島は景一の席に腰を下ろす。そして「なんだか私たちよりカップルしてるよねぇ、明日香たち」と呟いた。
「羨ましそうだな――よし、わかった。俺から景一に冴島の頬をムニムニするように指示しておこう、遠慮はいらんぞ」
「えぇ!? そ、それは恥ずかしいよ……」
やめろ。それではまるで俺たちが恥ずかしいことをしているみたいじゃないか。まぁまったくもってその通りなのだが。
「嫌なのか?」
「べ、別に嫌ってわけじゃないけど」
「俺たちを見てみろ、付き合ってもないのにこの状態だぞ」
そう言いながら俺は小日向の頬をむにーんと伸ばす。小日向はその影響で『いー』といった感じの口になっているが、表情は自慢げだった。
「というわけで付き合っている冴島たちならなにも問題はない――むしろさえひひゃひゃらひひゃらひょうひゃ」
途中から俺の頬も小日向に捕捉されてしまい、言語として成立することはなかった。ちなみに「むしろ冴島からしたらどうだ」といったつもりである。
「ごめん、何を言ってるか全然わかんない」
真顔でごもっともなことを言われてしまった。あれで聞き取れたエスパーを疑うぞ。
小日向が俺の頬から手を離す気配がなかったので、筆談でもしようかと思っていると、
「智樹、野乃に変なこと吹き込むなよ……」
いつの間にか、景一がうんざりとしたような表情で横に立っていた。いつのまに登校してきていたんだろうか、全然気づかなかった。
「智樹は『むしろ冴島からしたらどうだ』って言ってたぞ」
「けいいひ、ひょひゅききひょれひゃひゃ(景一、良く聞き取れたな)」
「まぁ付き合い長いしな」
両手でやれやれといったジェスチャーをしながら、景一が言う。
小日向はそんな俺の親友に鋭い視線を送りながら、かなり強めのふすー。
どうやら対抗意識を燃やしているようだ。
女子が相手ならまだ理解できるが、男相手に対抗せんでよろしい。
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