第113話 伝家の宝刀「智樹、なんでもするって言った」



 ケーキを余すことなく綺麗にたいらげた俺たちは、横に並んで使用した食器を洗い、これまた横に並んで歯を磨いて、二人で一緒にがらがら口の中をゆすいだ。


 こうして歯を磨くのはお泊まりの時の習慣になっているのだが、慣れないころは鏡でみる小日向と自分が並んだ姿が非常に照れくさかった。


 だってほら、この光景はもはや恋人を通り越して新婚さんみたいじゃないか? 実際の新婚さんの生活を知らないから、ドラマとかの知識だけども。


「口の横に白いのがついてるぞ」


 鏡に映る小日向の顔に、歯磨き粉と思われる物体が付着していたので俺はそれを指摘した。すると彼女は自分の顔を見てから、「おぉ、たしかに」といった雰囲気で目を丸くして、近くにあったティッシュでさっとそれを拭き取る。


 それから小日向は俺の目を見ながら、スッキリした顔でえへえへと笑った。鏡越しに。


「めちゃくちゃ蕩けた笑顔だな。自分の顔見てみな」


 目の前には鏡があり、お互いに自分の顔が見える状態だったのでそう言ってみたのだけど、彼女は自分の顔に視線を向けるなり、みるみる顔を赤く染めていった。ここ最近では一番強いトマト化である。完熟だ。


「あははっ、可愛いからいいじゃないか」


 顔を真っ赤にさせた小日向は、顔を俯かせた状態でペチペチと高速で俺の腰を叩いてくる。

 どうやら自分的にはあまりよろしくない笑顔だったらしい。可愛いのに。


 不満そうに唇を尖らせている小日向の頭をぽんぽんと軽く叩くと、彼女は恨みがましい目でこちらを見てから、再度腰ぺチ。


「からかったわけじゃないんだよ」


 俺はそう弁明したあとに、小日向の機嫌を取り戻すべく「笑顔が出るってことは、また一歩前進したということだな」と声を掛けた。すると彼女は口の端を吊り上げてニヤリと笑う。


 その顔も非常に可愛いのだけど、これを指摘したらエンドレスな気もしたので、俺は心の中で「その表情も可愛いぞ」と呟くだけにしておいた。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 クーラーのタイマーをセットして、小日向と二人でベッドに横になった。

 親父がダブルベッドを購入した影響で、一人で寝るときは非常に広々と感じてしまうこのベッド。小日向がいてちょうどいいぐらいの感じなのだ。


 オレンジの豆電球だけを点灯させた薄暗い状態にしてから、しばしの間、お喋りタイムである。もちろん小日向は喋らないので、音声だけ聞けば俺のひとりごとになるのだけど。


『表情が戻ったってどうやって判断するの?』


 暗闇のなか、煌煌と輝くスマホの液晶画面には、そんな疑問文が表示されていた。


 ……実はこの問題、俺も何度か考えたんだよなぁ。


 結果が誰の目にも見て明らかならば判断しやすいのだけれども、表情が戻った戻ってないの判断なんて、彼女の家族ですら正確に判断するのは難しいかもしれない。


「うーん……ちなみに、小日向が自分で判断するってのは難しい?」


『もう戻った!』


「そうか……難しいか」


 俺が苦笑しながらそう呟くと、小日向は「ちぇー」と拗ねたような表情を浮かべる。そしてすぐに楽しそうに笑った。たぶんダメもとで言ってみたのだろう。


 ふすふすしながら胸にすり寄ってくる小日向の頭を撫でながら、俺は考える。


 もし俺が判断するというのであれば、だらだらと先延ばしにしてしまいかねない。もちろん小日向に気持ちを伝えたいのだけど、それと同じくらいこの関係が壊れてしまうという不安もあるからな。


 現状が幸せすぎて、踏み出さなくてもいいんじゃないかと思ってしまいそうだ。

 小日向がスリスリに満足して顔を上げたところで、俺は一つ提案をしてみることにした。


「期限を決めようか」


 俺がそう口にすると、小日向は興味津々といった様子で首を縦に振る。


「小日向と俺が最初に会ったのは正確にはいつかわかないけど、関わるようになったのは四月からだろ? いまが九月だから、だいたい五ヶ月ぐらいで表情が無い状態からここまで改善できたというわけだ」


 小日向はふむふむと、続きを促すように頷いている。


「だから、これまでの成果から小日向が完全回復する時期を予測して、その日を期限としたらいいと思うんだけど……現状何パーセントぐらいなんだろ」


 俺は小日向の昔の姿を知らないから、判断してもらうとしたら姉の静香さんや母の唯香さん。もしくは昔からの友達である冴島あたりの意見を聞くのがいいだろうか? 


 まぁ五割を切っているということはないだろうけど、九割なのか六割なのかは判断できない。


 小日向に問いかけたわけではなく、ただ疑問を口にしただけのつもりだったのだが、小日向は自信満々にふすふすと鼻息を鳴らすと、左手をパーに、そしてその手の平に右手の親指以外の指をペチンと当てる。


「九割回復したって言いたいのか?」


 そう質問してみると、小日向はニヤリとした表情を浮かべてから人差し指を立て、ちっちっちと横にふる。指がちっちゃいからその仕草ひとつでも非常に可愛い。


 指を振った小日向は、再度手で『九』を示して、そしてもう一度ペチンと四本の指で手の平を叩く。


「あぁ……九割九分ってことね」


「…………(コクコク!)」


「正直に言わないと、五割ってことにするぞ」


 俺はそう言って、ジト目で小日向を見る。すると彼女は俺の視線から逃れるようにスイーっと黒目を横に動かして、右手の指を一本下ろした。


「八割ぐらい?」


 確認のためにそう問いかけると、小日向は眉間にしわを寄せてから、スマホをポチポチ。


『数字で言うの難しい、よくわかんない』


 彼女は唇を尖らせて、いじけたように俺の胸を指で突いている。


「――そりゃそうか。無理言って悪かった、ごめんな」


「…………(コクリ)」


 小日向は頷いてくれたのだが、なんだか空気が気まずいものになってしまった。

 いったんこの話題は終了させて、まったく別の話題を振ってみよう――そんな風に俺が考えていると、小日向がスマホを操作して、


『期限はクリスマスにしよ』


 そんな文面を俺に見せつけてきた。


 ……なるほど、十二月か。

 今までの小日向の回復具合から考えて、その時期になればさすがに完全回復していると思う。俺は最終的に小日向に告白するつもりだから、その日はシチュエーション的には最適だと思うのだが――小日向は俺から何を話すのか知らないはずだよな? なぜクリスマス?


『ロマンチックだし』


 ……知らないはず、だよね? バレて、ないよね?


 ひっそりと嫌な汗が流れるのを感じつつ、小日向の次の行動を待っていると、彼女は再びスマホをポチポチと操作してから、『苛めた罰としてちゅー』という文章を見せてきた。


 なんだかやたらと顔が赤い気がするのだけども……なぜ? というかそもそも苛めたつもりはない。申し訳ないとは思っているから、お願いは聞くけども。


「おやすみのキスならいつもしてるだろ? 数を増やせってこと?」


 いつも三回しているキスを四回に増やせということだろうか。それぐらいなら顔を赤くするまでのことではないと思うのだけど……。


 そんなことを考えていると、彼女は視線を俺の胸に向けた状態で、自分の唇を人差し指でタッチ。


「……まさかとは思うけど、そこにキスしろってわけじゃないよな?」


 恐る恐る問いかけて見ると、小日向は真っ赤に染めた顔を俯かせたまま、再度スマホをポチポチ。


 こちらに向けられたスマホの画面を見てみると、そこには――、


『智樹、何でもするって言った』


 何度かみたことがあるような、恐ろしい文面が記されていた。


 いやそれ、いつまで使うつもりだよ。



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